ある日、日本のは知らんけど

フランス人は外国から取り入れたものを発展させるのがうまいと言われている。例えばクロワッサンはオーストリア発祥で、現在一般的に知られているバターたっぷりの層が重なり、皮はサクサク・空気を含んだ中身はふっくらしっとりの形状は、フランスで改良されたというのは有名な話だ。また、カトラリーはイタリアからもたらされたということを考えると、もしカトリーヌ・ド・メディシスがフランスに嫁いでこなかったら、現在世界的に有名なクリストフルも誕生していなかったかも、などと考えてしまう。

フランス人は自分たちが発展させてきた技術を自負している。そのため、彼らの手によらないものまで自分たちのものと言っている人がたま~にいる。私の周囲にいたそういう人たちは、自国の文化や歴史には一家言あるものの、他国のことには疎いというか、無関心のようだった。
私がインターンでフランスに滞在中、街中をブラブラしていたとき、1軒のこぢんまりとしたショコラティエを見つけた。ショーウィンドウに飾られていたのは、直径2cmほどの筒状のプラスチックケースに入ったパステルカラーのドラジェで、筒の下部から中央辺りまで和柄の紙が巻かれていた。いつもならチョコに釣られてお店へ入ってしまうが、そのときは巻かれている紙のことが気になり、私は中を覘いてみることにした。
ドアから縦長に続く店内では、お客は左側のショーケースを眺めながらケース裏にいる店員さんに注文し、奥で会計をするシステムになっていた。10人も入れば動けなくなるくらいの広さで、そのときの店内には、2・3人のマダムが接客の女性にフレーバーの質問をしたりしながら商品を吟味していた。接客の女性が日本人のようだったので、ドラジェに巻かれていた紙はおそらく和紙なのだろう。私はマダムたちの背後に並び、彼女に声を掛ける機会を窺っていたのだが、思いのほか1人のマダムが話し込んでいたため、日を改めることにして店を後にした。
そのショコラティエのことをインターン高校のマルティヌに話したところ、「店主が日本人と結婚したらしい」と教えてくれた。小さな街なので、コミュニティセンターで日本語を教えている在住日本人2名の間でも既知のことかと思ったら、「そうなの?」といった反応だった。結婚してまだ日が浅かったのかも知れない。
パステルカラーのドラジェはそれだけでも目を引くけれど、桜や藤・松竹梅などの植物文様や、鞠・熨斗柄・扇面などの吉祥モチーフは、簡素なプラスチックケースを華やかにし、柄の持つ意味を知らない人にも贈り物として喜ばれそうだった。

インターン生活にかまけ、お店への再訪をすっかり失念していた頃、ある女性教員が、見覚えのある和紙の巻かれたケースを10個ほど抱えて教員部屋へ入って来た。彼女はイタリア系で、近々旅行でフランスにやって来るイタリア人の友人への贈り物として、それらを購入したらしい。
「見て!これ、素敵でしょ?一つ一つ違う柄なのよ」
女性教員は、自分のセレクトに満足げだ。
どこで買ったの?と尋ねる教員仲間に教えた店の場所からして、私が訪れたあのお店で間違いない。
「こういうちょっとしたセンスがいいのよね~」
そうだよね~、私もそう思う!と心の中で頷いていたときだ。
「このプロヴァンサル柄だったら、この地方のお土産としてぴったりだわ」
……ちょっと待ったぁ~!
「それ、日本の柄だと思います!」
私はボケの相方をどつくツッコミ担当くらいの勢いで、女性教員の言葉を訂正した。普段は話したこともない日本人のインターンが急に話に割って入ったものだから、一瞬彼女は面食らったようだった。しかし、自分の意見に異を唱えられたのだとすぐに理解したようで、不満げな口調で食ってかかってきた。
「これはプロヴァンサル柄。この地方の植物などをあしらっているの」
「でも、これ、桜だと思います」
「いいえ、これはアーモンドの花よ」
(確かに桜とアーモンドは似ているけれど、これは違う!)
私は突っ込みたい気持ちを抑えつつ、できる限り冷静に伝えようと、教材用に持っていた千代紙を自分のロッカーから取り出した。
「これ、見てください。日本の桜です。巻かれている紙と同じデザインでしょう?」
女性教員は怪訝そうな面持ちで千代紙を受け取った。
「似ているけれど、全く同じとは言えないわ」
しばし千代紙とケースに巻かれた紙を見比べたのち、自分に言い聞かせるように呟いた彼女は続けて
「日本のお菓子でもないのに、日本のものを使ったりするかしら」
と先ほどより強めに言葉を吐いた。
「店主さんが、日本人と結婚したって聞きました。私もお店に行って、会ったことがあります」
実際には見かけただけで日本人かどうかを確かめたわけではなかったから、少し気が咎める。まあ、虚偽ではないから良しとさせてもらいたい。三谷幸喜さんは『古畑任三郎』の脚本で、ある犯人に「言葉が足りないのは嘘とは申しません」って言わせてたし(私はこのセリフを聞いたとき、そういう解釈もアリか!と感動して、話題をはぐらかしたいときなど、言葉足らずで話している)。いつもだったら、頑なな意見を言われたときは当たり障りなく話を切り上げたりしてきたが、そのときの私は日本のことを知って欲しい・分かって欲しいという思いが強かったのだろう。言葉足らずでも、あのお店の女性は日本人だと思うし、この紙は和紙だと信じてる!
私の最後の一言に、女性教員は分かりやすく眉間に皴を寄せ、
「ジュ・ヌ・セ・パ」
と言い放った。関西弁でいうところの、「知らんけど」って感じ。
「日本の柄のことも、お店の人間のことも知らないけれど、ソルグで紙を作っているし、これはプロヴァンス柄よ」
……まだ、言いますか?!
私もソルグに行って紙を見たけれど(ソルグ川が流れるラ・フォンテーヌ・ド・ヴォークリューズでは、水車を使用して紙を漉いている)、このケースに巻かれている紙とは質感も柄も全然違うものだったよ?!
我の強いフランス人を前にして、私はすっかり反論する気が失せてしまったのである。

先述の件だけでなく、柔道がフランス発祥のスポーツだと思っているフランス人がいるというような話を聞いたこともある。日本人からすると、そんなことを言ってる人はどこのどなたですか、嘉納治五郎に謝って!と呆れ果ててしまう。当たり前のように国際交流の機会が増え、日本への理解が深まっていると感じていたけれど、そう思っているのは日本人だけなのかも知れない。
サミットが広島で開かれ、バイデン大統領やゼレンスキー大統領の訪日に意義を感じる一方、各国がこれからも「他国のことは知らんけど」と無関心にならないことを願う。

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