ある日、遊び慣れている人は……

人出が戻りつつある。今年のGW期間中は、夜になっても人いきれがしていた。コロナ前はこんな感じだったっけ?と、多少戸惑いながら賑わう街中を蛇行して歩いた。

遊び慣れている人というと軽薄なイメージが伴う場合があるが、人生を謳歌するという意味合いでいうと、遊び慣れていない私には羨望の対象である。学生の頃は部活に明け暮れていたので、活動後は疲れ切って自宅へ直行。部活がオフの日にはバイトをしていたが、2つを掛け持ち(朝~夕方にカフェ、夕方~深夜まで薬局)していたから、部活同様、勤務後はまっすぐ家路についていた。周囲の同級生はバイト仲間と遊んだりすることもあったようだが、私の同僚の方々はご家庭のある奥様方や定年退職後のおじさまだったりしたので、生活環境の違いからも、勤務時間外のお付き合いは皆無だった。
就職してからは、職場と家を往復する毎日。ときどき接待やら飲み会などにも参加してきたが、それらは仕事の延長だったし、私の趣味嗜好は大勢でワイワイより数人でまったり・お酒より甘味なので、楽しめる要素(食事やお店の雰囲気)は享受しつつその場をやり過ごしてきた。

そんな私だから、フランスでの留学やインターン期間中に人が変わったかのような遊楽ができようはずもなく、実に規則正しく毎日を過ごしてきた。日々の生活には刺激があり、興味深い出来事に溢れ、充実していたので、ライフサイクルに不満は感じていなかった。
それでも、せっかくフランスまでやって来たのだから、今までの日常生活ではご縁がなかったような経験を更にしたいと思ったのは、海外でのあるあるなのか、私が欲深いのか。欲求に拍車を掛けたのは、周囲のフランス人が遊び上手だったことだ。ヴァカンスの過ごし方を念入りに計画するのはもちろん、毎日のちょっとした空き時間も有効活用している。
例えば、インターン高校の教職員たち。ラシェルは当時小学校低学年だった娘・ベリンの洋服を物色するため、高校近くのモノプリへよく足を運んでいた。サンドイッチ片手に見て回るので、私はラシェルが店員さんから注意されるのではないかと気を揉んだ。彼女は
「見てるだけだから大丈夫」
と、食事中は商品に手を振れなかったし(食後に手を拭いてから触ることはあった)、店員さんと目が合うと、
「食べながらごめんなさい~。見るだけなので~」
と先手を打って申告していた。
「この色、ベリンが好きなのよ。最近、大人っぽいデザインをより好むようになってきたから、あっちの服よりこっちの方が気に入ると思うの」
ラシェルにとって昼休みのウィンドーショッピングは、仕事の合間の息抜きというだけでなく、大切な娘が好むような服があるかも知れないという宝探し的なワクワク感を含んでいた。
マルティヌは、講義の合間に着替えて高校周辺をランニングしていた。私も付き合って走ったことがあるが、石畳の街中はただでさえ走りにくいのに、細くて傾斜がきつい坂道などもガンガン走る。また、通行人がひしめいているから、ぼんやり走っていたらぶつかってしまいそうだった。このあとまだ講義が残っているのに、わざわざこんなところを走らなくても……と、彼女の行動を不思議に思ったものだ。マルティヌからすると、週末はご主人や愛犬・近くに暮らすご両親や親族と過ごす時間に当てているようで、空き時間に身体を動かすのは効率的かついい気分転換になるそうだ。
自習室担当のマリーは、ランチが長引いたとき(食事を提供されるのが遅かったとか、久し振りに集まった面々と話が弾んだとか)など、昼休みの時間が過ぎても平然としていた。
「戻らなくて平気なの?」
と心配する私に対し、
「生徒は自習室が空いていなかったら図書室に行くから大丈夫」
とまったく気に留めていなかった。
あるときドレッシーな装いで出勤してきたフランス語の女性教員は、
「今夜は主人と外でちょっと贅沢な食事をするのよ」
と、ランチはスムージーだけ・空き時間にはヨガ教室を予約し、少しでも空き容量を増やしてフルコースディナーに臨むと意気込んでいた(むしろ、胃が小さくなって入らないのでは……)。
日本社会は大抵が時間厳守だし、勤務時間中は仕事一色になっていることが多いと思う。学校などの教育現場においては、実習程度ではあるが私の経験からすると、昼休みや空き時間には次の授業の準備やらテストの採点やらを行っていたので、フランスの教職員の自由度の高さに驚かされたものだ。

自由度の高さは、夫婦間・家族間でも同様だ。マリーの友人の女性は、離婚した旦那さんと現在のパートナーの3人、一つ屋根の下で暮らしていた。その離婚した旦那さんというのがコミュニティセンターの日本語クラスの生徒さんだったこともあり、私はマリーの友人の女性とも元旦那さんとも面識を持っていた。私は、お互い気まずくないのだろうか、2人の男性と暮らす女性も女性だし、居座る元旦那さんも相当な強心臓だ、と半ば呆れていた。女性は女性で
「ここは私の家なのだから彼(元旦那さん)が出ていくべきだし、私もパートナーも気兼ねすることではないわ」
という姿勢だったし、元旦那さんも、
「新しい家が見つかるまでは、荷物を動かせないだろ?」
と居座る理由を正当化していた。お互いに自分の主張はするけれど、それでいがみ合ったりする様子はなかったので、この微妙な関係はただただカルチャーショック!だった。
また、小さなお子さんのいるご家庭で、週に1度は子どもをシッターさんに預け、2人の時間を楽しむご夫婦がいるという話も耳にしたことがある。そういった行為をご夫婦がうしろめたく感じることもなく、子どもを人に預けて遊びに行くなんて、と周囲の人から陰口を叩かれるようなこともないという状況には感心させられた。一人の人間として人生を謳歌する姿勢に、フランス人には一人一人明確な自分軸が存在し、お互いがそれを主張することをためらわないのだと気付かされた。

日本に戻ってからも、私は相変わらず遊び慣れずに、家と会社を往復していた。それでも、昼休みに会社周辺を散歩してみたり、もの書きの時間に充ててみたり、フランス人のように時間を有効に活用してみようと試みたこともある。コロナが蔓延してからは、また閉塞的になってしまったのだけれど。
最近街中ですれ違う人たちは、とても晴れやかな顔をしているように思う。マスクを外せるようになったし、外出や旅行を控えてきた3年間を取り戻そうとするかのように、大いに楽しもう!という熱が伝わってくる。一方で、以前よりも公共の場でのマナーが悪くなったとか、周囲を気にしなくなった人が多いというような意見があることをニュースで見聞きした。
私が思うに、以前は同じようなことが起きても気にならなかったり大目に見てもらえたことが、コロナ禍での控え目な生活に慣れてしまったため、気になったり羽目を外していると捉えられてしまうのではないだろうか(もちろん、誰から見ても迷惑行為に当たる出来事も発生しているのだとは思うが)。
今週末、人の波を左右にかいくぐりながら街を歩いていたところ、避ける方向が同じでお見合いになった女性から舌打ちされてしまった(笑)。お互い様なのでは~?
マリーの友人の女性と元旦那さんの、主張はすれどいがみ合わずの関係が、ちょっと尊く感じられる。遊び慣れている人というのは、心地良い距離感も知っているのだろう。
日常生活が徐々にコロナ前のような活気を取り戻したとき、一人一人が自分らしく気兼ねせずに周囲にも配慮して楽しめる状況になっていて欲しい。

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