緑陰にカラス、碧落に雲、玉は武蔵野
GW到来。9連休になる人もいるということだが、私はカレンダー通りなので、この土日はいつもと変わらない週末といったところだ。
毎月お参りしている神社では、昨年同様、鯉のぼりが掲げられていた。晴天にそよぐ鯉たちは、曇天の前回より元気そうに見えた。
鎮守の森の名残か、参道や境内、拝殿を取り囲むように樹木が堂々とそびえ立っていて、新緑の時期はひときわ樹葉が美しい。新樹光から受けるパワーや清々しさ。この季節、ここでの私はずっと上ばかり眺めている。
大樹の上から数羽の小鳥のさえずりが聞こえた。うぐいすではなかったが、緑深い葉の陰で鳴き交わす鳥はどんな子たちかな?と目をやると、飛び込んできたのは大きなカラスの姿だった。近距離だったので普段見かけるよりも大柄に感じる。小鳥たちは上方の葉に隠れて姿が見えなかった。そぉ~っと距離を取って様子を窺ってみると、カラスは鳴いたり動いたりせず、小鳥たちの声を聞いているように首を傾けている。なかなか風流じゃないか、と携帯カメラを構えたところ、濡羽色の翼をゆったりとはためかせ、すぅ~っと低空飛行で去ってしまった。無粋なまねをしてゴメンネ……。
旭荘の詩とは異なり、花がなくとも人が大勢集まるこちらの神社では、樹々を愛でている人たちが同じく空を見上げて熱心に撮影していた。
裏参道に向かったところ、目にも鮮やかなノムラモミジが。数年お参りしてきたにも関わらず、その存在に初めて気付いた。名前の由来は、葉色の濃紫(のうむら)からきているそうだ。こちらの神社の葉は、赤が強い深緋といったところだろうか。また、ノムラモミジは武蔵野と呼ばれることもあるようだ。土地柄なのか、はたまた万葉集の武蔵野オケラにちなんでいるのか(オケラだと色が違うような気もするけれど)。興味を惹かれる樹木である。
目線の延長上にあった空の雲を、形が面白いなぁと思ってまじまじと眺めてみたところ、中央部分が薄水色に光っていて、彩雲とまではいかないけれど透明感があることに気付いた。周りを取り巻く雲も羽衣のように軽やかで気分が上がる。自然のコントラストを前に、良い条件が重なる日に神社を訪れることができてラッキー!と、一人で感動を噛みしめる。午前中にも関わらず、本日の一番良かった出来事に認定だな、などと心の中で頷いた。
風が青空を吹きわたり、玉を集めたような眼前の景色。珠水の詩とは異なり、浮雲は空に止まっているけれど、心中でモヤモヤしていたことが少し払拭され、晴れやかな気分になれたのだった。
2つの詩に共通する、盡ということ。
これからも私の興味は“盡”ことなく、ただまっすぐに心を“盡”し、書くことと向き合っていけたらと思う(物書きだけで生活できたらな~などと思ってしまうのは、まだまだ“盡”できていないということなのでしょう……)。
<引用>
花開萬人集
花盡一人無
但見雙黄鳥
緑陰深處呼
(廣瀬旭荘)
風吹碧落浮雲盡
月上青山玉一団
(福田雄太郎(珠水))