ある日、染色家に通じるもの

フランス人染色家のイザベルさんと出会ったのはもうかれこれ10年前になる。
当時ライターの勉強をしていた私は、スクールが主催する講演イベントに取材を兼ねて参加した。
「通訳の方がいらっしゃるけれど、直接質問しても大丈夫よ。あなた、フランス語が話せるのだから」
講師のS先生からそう勧められたものの、インターン終了からはや8年、以来フランス語で話をするような機会からはとんとご無沙汰していた。フランス語がスムーズに口をつくような日々の鍛錬を重ねてこなかった私としては、事前に内容を考えていかない限り、その場で質問するのは容易ではないだろう。
というわけで、私は事前に準備した質問のフレーズを携え、イベントに参加したのである。
(質問内容の一部は、後述の記事内にて)

会場でお会いしたイザベルさんは私とそう変わらない身長で、参加者に囲まれ、ちらほらと姿が見え隠れしていた。くりっとした大きな瞳に紫キャベツとサーモンピンク色をした縁のメガネを掛け、歯が見えるくらいニカッと笑う姿は、好奇心旺盛で、新しい物事や人との出遭いを常に楽しんでいそうな雰囲気だった。
講演が始まってイザベルさんの声を耳にしたとき、自分の予想とのギャップに正直驚いた。視覚によるインパクトが強かったものだから、ボリュームのある声でハッキリと早口に喋る人を想像していたのだ。しかし、イザベルさんの口調はソフトで滑らかでゆったりとしていた。バレエを習っていらしたそうだが、柔らかい指先の動きのように、繊細でしなやかで上品な声の持ち主だった。
そんな彼女が創り出した服飾は、ダークな色みの布でも重さを感じさせない。複数のパーツで構成されているのに軽やか。和装にも洋装にも見えるし、懐古的にも近未来的にも見える。どこかにありそうなのに、空想の世界のもののようにも思える。

イザベルさんと彼女が創作した服

※以下は私がスクールに提出したイザベルさんの記事
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『和洋折衷の技術で唯一無二を創り出す』
<制作のきっかけ>
小柄な人だが、いつも笑顔で身振り手振りを交えて話す。
フランス人染色家のイザベルさんはパワフルな女性だ。
以前から動きとダンスに興味があり、自身もバレエを習っていたが、目の手術を行ったあとバレエが続けられなくなる。
言葉以外でダンスを表現するものを探して美術学校へ入学。
動きをどうやって表現するかを模索していたある日の早朝、蜘蛛の巣に朝露がかかっているのを見る。
蜘蛛は動きと共に巣を形作っていることに気付き、そこからヒントを得て、糸を使ったオブジェを制作したのが始まりだ。
<糸から布へ>
制作過程で、糸が交差することによって形になるもの=布と気づいたイザベルさんは爆発するような衝撃を受け、その時から布で動きを表現する方法に転換する。
新たに造形研究所で学び、布のオブジェで動きの表現を追求するようになる。
フランスの修道院では、建物の大きさに合わせたオブジェを制作。
光が差す白壁の修道院に映える天然素材の白い布に拘り、呼吸のような動きを表現した。
<日本での転機>
舞台の大道具を経験した際は、バレンシアガから制作依頼を受けたこともある。
順風満帆な中でも転機は訪れる。
日本文化会館の国際交流基金で1年間九州へ留学した際、藍染めと絞りの技法に出会う。
友人のオーストラリア人から日本について聞かされ、興味を持っていた彼女は日本文化や人々との触れ合いの中で個人でできる仕事をしたいと考えるようになる。
<運命の出会いとインスピレーション>
藍染めと出会ってから青に拘ったというイザベルさん。
「フランスにも染色技術はあるし、【王家の青】と言われるブルーも存在しますが、どうして日本の【青】だったのですか?」
「それは運命的なものです。フランスの青は多くがパステルなので、日本の【インディゴ】と出会った時に強烈な運命を感じました」
日本語が話せない分感覚が鍛えられたイザベルさんは、自然から受けたインスピレーションを作品に反映させるようになる。
「絞りにはいつも動作があり、風や水の音などが溢れていました」とイザベルさん。
フランスの海沿い出身である彼女は、海岸の石からインスピレーションを受けることもあるという。
<活動の広がり>
絞りの技法を用いた衣装などを制作する傍ら、舞台美術にも並行して携わる。
平面で形作っているものが舞台などで立体的になると、作品の良し悪しが分かれてしまうこともあったとか。
最近では、様々な分野のクリエイターが集まって一つの着物を創るという活動にも携わっているイザベルさんだが、日本では担い手の減少で絞りの技法が段々廃れていくことが懸念されている。
「日本のように独自の絞り技術を持つ南アメリカやアフリカ・インドなど、絞りのアソシエイションが存在し、コンテンポラリーアーティストなどがシンポジウムを行って絞りの技法を守ろうとしています」とイザベルさんは言う。
各国が技術を守るための活動を広げ、後世まで受け継がれることを願う。

イザベルさんの創る服飾は空気感があり、実際にとても軽い。
絞りによって表現されたフォルムは、身にまとう人によって変化する。
オブジェと衣装・フランスと日本。
精力的に活動している彼女の次の作品が待ち遠しい。
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イザベルさんは日本の藍染めや絞りの技術を自分の創作に融合させ、新たなものを生み出している。
私がインターンで渡仏する1年前の2003年に亡くなった、辻が花染めの巨匠である久保田一竹さんは、失われていた染色技法の復刻を試みたが、かつての伝統技法を蘇らせることはできなかった。しかし、一竹辻が花染めとして別の形で発展させ、1990年にフランス芸術文化勲章を受賞した。
私はイザベルさんとお会いしたとき、一竹さんのことが頭をよぎった。染色家であることや、活動が日仏で評価されていることはもちろん、それ以外にも重なる点がある。一竹辻が花の作品には、一竹星と呼ばれるコバルトブルーの星が必ず入っているのだそうだ。イザベルさんが藍染めと出遭ってから拘るようになったのは青色。また、イザベルさんの創作の源が海岸の石だったりすることもあるという点も、一竹さんがトンボ玉からインスピレーションを受け、創作に影響を与えたというエピソードに通じるものがあるように思う。
そのうち、イザベルさんの活動が、技術発展に貢献したとして世界的に取り上げられる日が来るかも知れない。

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