ある日、12月のウィーンにて(後編)

マーティンのご両親宅へ行く前、私はいったんホテルに戻らせてもらった。街中を友人と歩き回るときはラフな格好でもいいと思うけれど、初対面の年長者のご招待にはちょっと気楽過ぎる格好に思えたため、一応、着替えて行くことにしたのだ。ドイツでドレスコードのあるお店に行こうとは思っていなかったけれど、念のためにと荷物に入れておいたワンピースが役に立った。

マーティンがまたホテルに迎えに来てくれるまでの間、私は話題にできそうなことを考えるのに必死だった。
語学学校でマーティンと知り合ったときのこと?ウィーンの感想?日本について?ちなみにマーティンは日本にあまり興味がない人なので(日常的に生魚を食べる国民だと思っている節がある)、日本の話題はイマイチかも知れない。私にとってラッキーだったのは、ご両親が少しフランス語を話せるということ。ドイツ語が全くできず、英語が得意ではない私としては、フランス語で会話できるのはとても有難い(英語よりは僅差でマシって程度ですが)。彼らはフランスに別荘を持っていて、ご両親もマーティンと私が通った語学学校で学んだことがあるらしい。日本の一般的なサラリーマン家庭で育った私の感覚からすると、地続きとはいえ海外に別荘を持っているということに多少なりとも驚く。しかも、私の聞き間違いでなければ、彼らの別荘はサントロペにあるようだ(フランスで人気のリゾート地)。何人ものセレブが別荘を構えていることは有名な話だったから、現地を知らなかったときの私は、大型クルーザーで豪遊するような人々で溢れ返っている街を想像していた。しかし実際に足を運んでみると、派手派手しさや喧騒はなく、のんびりとした雰囲気すらあった。ニースやモナコと比較すると、落ち着きのある街だと思う。クルーザーは見かけましたけど。

ご両親のお宅はウィーン郊外にあり、白壁の平屋で、玄関に続く石畳(小舗石?)を、手入れされた芝生が囲っていた。
出迎えてくれたご両親に対し、私は言葉も笑顔もぎこちなかった。ただの友人なのに、男性のご両親に紹介されるというのは、何て緊張感だろう!結婚の挨拶を相手のご両親にする人の気持ちが、ほんのちょっとだが分かった気がした。お父様はゆったりと手を差し出し、握手を交わすと柔らかく笑った。その笑顔に、私の気持ちも少し和む。白人の方でときどき見かけるが、顔が少し赤い。お母様は私の目を見ながらスッと手を伸ばしてきて握手。きつくもなく、緩くもない握り方。ハキハキしたタイプのようだ。
「遠いところをようこそ。さあ、どうぞ」
と笑って迎えてくださったので、悪い印象を持たれてはいなさそう(だと思いたい)。
玄関からリビングへ入ると、正面の大きなガラス窓の向こうにプールが見えた。このあと彼らとの会話で分かったことだが、どうやら別荘にもプールがあるようだ。別荘といいプールといい、ひょっとしたら彼らはセレブな人々なのかも知れない。でも、南仏でホームステイしていたRDP家にもプールがあったから、ヨーロッパの一般家庭ではさほど珍しいことではないのだろうか?
手土産にしたフランスワインに対して、ご両親から丁寧なお礼の言葉を掛けられる。私が持参したのは赤ワインだったが、本日のお料理には白がいいということで、「後日飲ませていただくわね」と、これまたご丁寧にお詫びされた。4人掛けの丸テーブルに着き、いよいよディナー。我ながら情けない話、カチンコチンに緊張していたため、どんなお料理だったか全く思い出せない。インターン高校の校長であるムッシューG宅へのご招待(エッセイ本『ある日、フランスでクワドヌフ?』に掲載)でも、同じようになっていませんでしたか、私?かろうじて覚えている会話の内容をお伝えすると、ご両親も同じ語学学校へ通っていたということだったので、学校のあった街のことや、担当教師の話をした。ベテラン教師はご両親のときから変わっていなかったようなので、私は会話の糸口を探りながら何とか話を繋いでいた。
「ウィーンはどう?どんなところへ行ったのかしら?」
会話の主導権は主にお母様が握っていた。お父様は穏やかで無口な人らしく、話の間中ずっと微笑みをたたえていた。マーティンも話好きなタイプではないから、ところどころで相槌を打ったり、私が言葉に詰まると、ドイツ語でご両親に通訳してくれていた。
「マーティンにはシェーンブルン宮殿やクリスマスマーケットを案内してもらいました」
「シホは死んだ鳥の絵が好きなんだよ」
クスッと笑いながら、マーティンが余計な合いの手を入れた。
(それ、今言いますか?!誤解なんですけど!変な人って思われちゃう~!!)
「死んだ鳥の絵?」
お母様は怪訝そうな面持ちで私に視線を移し、
「どんなところがいいの?」
と尋ねた。
「いえ、特に好きではなく……」
(私がからかわれているだけなんです!)
マーティンからすると、ほんの冗談のつもりで悪気はなかったのだろう。しかしお母様には私の好み(誤解です!)が理解しがたいものだったらしく、困惑している様子だった。
「フランス語だとよく分からないわ。英語で説明してもらえないかしら?」
(話がややこしくなってる~!)
フランス語でも英語でも説明するほどのことはない。マーティンが一言「母さん、冗談だよ」とでも言ってくれたら、笑って終わるような話だ。しかし、マーティンは私が期待するようなことを言ってはくれなかった。
「母さん、シホは英語はあまり……」
(いやだから、そういうことじゃないのよ~!)
もうこうなったら仕方がない。
「英語で話してみます……」
招かれたお宅で失礼のないようにしたいというせめてもの気持ち(悪あがきとも言う)から、私は英語に切り替えて話をすることにした。
「まあ、嬉しいわ!その方がお互いにいいはずよ」
(う~ん、それはどうだろう?)
外国語の会話レベルや理解度が、お母様にとっては英語>フランス語なのだろうが、私にとってはフランス語≧英語。案の定、お母様のご期待に添えず誠に遺憾ながら、私の英語力ではお母様を更に混乱させただけになったようだ。
「シホはキャンドルが好きなんだよね?マーケットでも買っていたでしょ?」
口元が真一文字になっているお母様を見て、マーティンが慌てて話題を変えた(もっと早くそうして欲しかった……)。
「うん、大きかったから1個だけ。ホルダーとセットのものがあって、本当はそちらがいいなと思ったけど、荷物が増えちゃうからやめたの」
私はマーケット内にあったキャンドル専門店で、直径10cmほどのミツロウのキャンドルを購入していた。そのお店で、星形のホルダーとキャンドル4個がセットで売られていて、そちらと迷ったのだが、このあとのドイツ行きを考え、キャンドル1個だけに止めていたのだ。
「それはクリスマスのアドベントキャンドルね。クリスマスの4週間前から1週に1個ずつ火を点けていくのよ」
お母様はそう言って、ご自宅にあるアドベントキャンドルを持ってきてくれた。円型のホルダーに丸い窪みが4つあり、それぞれに円柱形の白いキャンドルがはまっている。
「せっかくだから、該当日ではないけれど点けてみましょうか」
私はこの習慣について、4週間前から毎晩、該当する個数の火を点けっぱなしにしておくのかと思っていたが、ご両親宅では4週間前の日・3週間前の日……というように、該当日の夜のみ火を点けているようだ。お父様が部屋の明かりを暗くしてくれる。暗がりの中に4個の灯りが浮かび上がり、暖かく包まれるような空気が漂う。
(クリスマス前なのに、全部点けてもらっちゃって良かったのかな?)
新しいキャンドルにも火を点けていただいたので、つい気が引けてしまう。
キャンドルの灯りは人を寡黙にする作用があるように思う。このキャンドル効果に加え、遠慮や、元来私が持つ人見知りという性質から、私は点灯に対するお礼や感想がすぐには出てこなかった。
「もういいかしら。あまり長く点けていると、キャンドルがクリスマス前に小さくなってしまうわ」
灯りに見入っていた私は、お母様の言葉を受け、慌ててお礼を伝えた。
その後、私がご両親宅をおいとまする際、お母様は玄関内でお別れの挨拶をし、早々にリビングへと戻って行ってしまった。お父様は外まで出てきて、
「じゃあ、おやすみ」
と変わらぬ微笑みと握手で見送ってくれた。

その後マーティンとは22年もの間、週1回フランス語でメールのやり取りをしている。私は長く続ける自信があったけれど、まさか、同じように続けてくれる相手がいるとは!止めないでいてくれたことに感謝している。
そのマーティンは、甥っ子のルカと2週間ほどアイスランドへ旅行し、昨日ウィーンへ戻ったようだ。甥っ子と2人で旅行とは、仲がいいなぁ。私たちが知り合った後で誕生したルカも、現在18歳。成長過程をメールで教えてもらっていたので、私までルカが自分の身内であるような気持ちになってしまう。マーティンのご両親も健在。今の時期、ご両親宅では2個目のキャンドルに火を点けた頃だろう。
ご招待されたときの私は極度に緊張していて、張り詰めた雰囲気がお母様にも伝わってしまったのではないだろうか。お母様の言葉や態度が途中から気になってしまったけれど、私と同じように緊張していたのかも知れない。
キャンドルの灯りは、気持ちを静める作用もあるように思う。ご両親がクリスマス前にアドベントキャンドルを灯すとき、いつも穏やかでいられますようにと願う。

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