ある日、戦いと糧と
先週、3年振りに京都で時代祭りが行われ、私はその様子をニュースで見た。観光業が少しずつコロナ前の状態に戻りつつあることを感じるとともに、勇壮な武具や煌びやかな着物を纏った人々の姿から、かの時代に思いを馳せたりする。
守るべきもの・後世に残すものとして歴史が伝承され、現代の私たちも当時の様子を窺い知ることができる。それは日本のみならず、世界各国で同様のことが行われている。
私がインターンで滞在していた南フランスは、紀元前にローマが属州化したこともあり、至る所に遺跡が残っている。歴史的建造物として大切に管理されているものもあれば、子どもが飛び乗って遊んだり、歩き疲れた人がちょっと腰を下ろしたりして、街並みに溶け込んでいるものもある。
インターン高校でもローマの歴史や文化を学ぶ機会を設けていて、滞在期間中、私もその催しに参加させてもらった。主催した女性教員とはあまり接点がなかったが、マリーをはじめラシェル・ジャッキーといった普段一緒にいるメンバーが関わっていたので、私もその会に呼ばれたのだ。彼女たちが何日も前から準備に追われるなか、私は当日の設営で呼ばれたような感じだったから、その日になるまでどのような催しなのかよく分かっていなかった。
開催日になって、私はマリーからグラディエーターが来る、と聞かされた。ラッセル・クロウ主演の映画が数年前に公開されていたから、映画での彼のように頑強な肉体をした大柄な男性がやってきて戦う様子を再現するのかな、日本でも殺陣を見せたりするからなぁ、などと思いながら会場である体育館へ向かった。
(んん?)
体育館の右端には長テーブルが搬入されていて、白いテーブルクロスが掛けられている。上にはフェイクグリーンのアイビーが波型に敷かれ、遺跡から出土したようなキャンドルホルダーが間に配置されている(このホルダーはラシェルの旦那様・ローランドの手作り)。
コロッセオとまではいかなくても、闘技場っぽくしつらえるのかな、などと想像していた私は、パーティー会場のようなセッティングに面食らった。
「ああ、シホ、椅子を並べるのを手伝ってもらえるかしら?」
急き気味に近づいて来た主催の女性教員の様子に、今日は何をするんですか?と尋ねるのがためらわれ、私はいそいそと周囲の動きに同調した。体育館の中央部分を取り囲むように椅子を並べていると、学食のシェフをしている男性が、大きなタッパーやらアルミホイルを掛けたトレイやらを次々と運び込んできて、長テーブルに並べ始めた。
(ホテルのビュッフェみたい)
マリーはグラディエーターって言ったと思ったけど、聞き間違えたかな?椅子の並べ方からすると、中央で何かするのは確実だろう。でも、この料理はいったい……?
考えを巡らせながらもくもくと身体を動かしていると、甲冑や武具を抱えた男性が館内に入ってきた。どうやら、グラディエーターは聞き間違いではないようだ。剣闘士と料理との関連は判明していないけれど、まあ、いずれ分かるだろう。
開催時間が近くなり、生徒たちがゾロゾロとやってきた。高校の2年生だったと思うが、
「怠ィ~」
という態度の男子生徒がちらほらいる。半身をあらわにしているグラディエーターを眺めながら、クスクスと笑い合う女子生徒もいる。外見はとても大人びているけれど、日本で教育実習をしていたときの生徒の反応も似たようなものだった。国は違えど高校生、10代の若者なんだなぁと実感する。
生徒たちが席に着いたところで、主催の女性教員が生徒に静寂を促す。招待したグラディエーターたちの紹介が済んだところで、彼らのうちの1人が持ち込んだ武具などの説明を始めた。私にはチンプンカンプンだったが、のちに調べたところによると、装備によって剣闘士の名称(魚兜・網・追撃など)や戦う相手が異なるらしい。生徒たちも興味をそそられたのか、彼らの話に聞き入っていた。
一通りの説明が済むと、グラディエーターたちは装備を身に着け、戦闘を実践してくれた。3名の演者がかわるがわる装備を取り替え、特徴を活かした戦い方を見せる。
「あれ、本当に当たっているわね」
すっと近づいてきたマリーが私の耳元でささやいた。確かに、網を打ち付けられた相手の太ももには、うっすらと赤い線が浮かび上がっている。攻撃の受け方・かわし方があり、攻めるときは加減もしていると思うが、日本の殺陣とは違って、一連の流れが決まっていないようだ。荒々しく、ときには力任せのような動きも見せたが、その方が迫力があり、私たちは顔をしかめたり息を飲んだりしていた。
戦闘の演目が終わると、主催の女性教員はグラディエーターたちへ感謝の言葉を述べ、続いて食事を勧めた。料理についての説明はなく、ビュッフェ形式なので、各々が好きなように飲食している。結局、剣闘士と料理には関連がなかった?これ、普通におもてなし?この1回のためにキャンドルホルダーを手作りするとか、時間も手間も掛け趣向を凝らしているから、普通とは言えないけど。その心意気は、グラディエーターたちにも伝わったことだろう。そして、1回限りにするのは勿体ないと思っていたキャンドルホルダーは、このあと主催した教員陣にラシェルがプレゼントしたようだ。
そして後片付けの際、ちょっと複雑な心境になる出来事があった。成人男性や食べ盛りの高校生がいたとはいえ、パンやら肉やらパスタやらがこんもりと用意されていたので、かなりの食べ残しが出た。養護教諭のジャッサンは、生活困窮者や発展途上国の支援などを行っていて、食事も手助けしているらしく、この残った料理を支援に回すようだった。マリーが
「ジャッサンのために協力して!」
と呼び掛けると、教員も生徒も一斉に料理をジャッサンの元へと運んだ。私はてっきり、肉は肉、パスタはパスタ、それぞれを分別してタッパーか何かに移すのだと思っていた。だが、それらは全て一緒くたに、大型のプラスチックケースに投げ込まれた。
(え、これを届けるの?)
残飯としてゴミに出すときのような扱い。ぐちゃぐちゃになっているそれは、家畜ならともかく、人に提供できる状態ではない。ひょっとして、どこかで加工するの?加工するにしても、この状態を知ったら頂く側も不快に思うのでは?そう感じるのは、私が食に困ることなく、器に料理を盛り、お箸やカトラリーで口へ運ぶのが当たり前になっているからなのだろうか?
食糧支援に関し、私が事情に疎いせいもあるが、支援するとは、と考えさせられた出来事だった。
日本に帰国してから、剣闘士と料理の関連について少し分かったことがある。興行的になった剣闘試合では、試合前、グラディエーターにたっぷりの食事が提供されていたらしい。学校での催しでは戦いのあとで食事になったが、これは会の進行上そうなっただけで、教員たちは当時の食事情についても再現しようとしたのかも知れない。剣闘士たちの時代、残った料理はどのように扱われたのだろう?グラディエーターに饗された食事は、生死を分ける戦いを前にした戦士を鼓舞したり、敬意を表するものだったのではないかと想像する。残った料理についての伝承などはないが、おそらく、ありがたく頂いた人や動物がいただろう。人が手づかみで食事をしていた時代であれば、提供される状態も気にならなかったかも知れない。
食品ロスが問題となっている今、余りものなどがそれを必要としている人に提供されることがあると知っていても、どのように提供されているかは知らなかった。私たちの時代が後世に語り継がれるとき、どのような歴史として人々の記憶に刻まれるのだろうか?まずは、あのプラスチックケースに投げ込まれた料理がどのような過程を経て必要とする人たちに届けられるのか、調べてみようかな。そんなことを考えたりする。