ショコラホリックの馴れ初め
私はチョコレートに目がない。
いつから、などということを自覚する以前から既に中毒になっていたのではないかと思う。
チョコレート以外にも大好きなスイーツはたくさんあったが、選ぶ頻度が他のものより飛び抜けて多い。中毒性があると知ってからは、どうりで……と納得したが、小さい頃から選んでいたのだから、初期段階から発症していたのだろう。
少し話はそれるが、私の母は多才な人で、様々な企業や団体において、異なる職種のいろいろな仕事を経験していた。
私が小学生くらいの時には、クッキングスクールで料理やお菓子を教えていた。家政科出身ではないにもかかわらず、家庭料理からパンにケーキ・フレンチシェフの助手なども務めていたので、ありがたいことに、我が家では料理のバリエーションが豊富だった。
生徒さんにケーキを教える前には、種類の違うものを4・5台焼いていて、
「今日は友達を呼んでいらっしゃい」
と言われた日には、同級生を招いて自宅ケーキバイキング♪などと浮かれたものだった。
そんな経緯もあって、手作りスイーツが日常的にあったから、私は市販のお菓子を買ってもらうことがほとんどなかった。もちろん不満はなかったが、テレビで宣伝されているようなお菓子の話を友達がしているのを聞くと、どんなものなんだろう?と興味は持っていた。
私が市販のお菓子を食べられるのは、年に1・2回ある遠足の時。普段から気になっていたものを買ってもらえる機会とあって、私は菓子売り場の陳列棚を慎重に吟味しながら(大袈裟?!)、『今、一番食べてみたいもの』を探して回った。
そういう時にも選んでいたのはチョコレートが多かった。母は気温で溶けることを心配したりしていたが、私はお構いなしだった。
何度とない機会に、市販のお菓子を堪能したいところだったが、やっかいな子どもの事情があった。それは、「お菓子の交換」という儀式で、私にとって鬼門だった。
みんな、他の子と自分のおやつを見比べ、何と何を交換して、と交渉している。大抵の子は5円のラムネとか10円の飴やらガムやら、交換するには十分な量を持ち合わせていた。一方、私が買っていたのは、1箱に数粒しか入っていないチョコレートなどだった。交換するには心もとない数だし、もともとラムネや飴などには興味がなかったので、交換するつもりもなかった。だから、私は極力お菓子をみんなの前では見せないように、こっそり食べようと思っていた。
だが、隠そうとすればするほど、目ざとく見つけられるものだ。
「あ、シホちゃん、それいいな~!はい、これと交換!」
有無を言わせず差し出されたお菓子を前に、私はガッカリする。子ども社会もシビアなのだ。普段から市販のお菓子に対する情報弱者であり、友達の話に入っていけていないことに加え、当時気が弱かった私は、コミュニティに馴染むべく、波風立てずに済む方を選んでいた。
そんなわけで、私は毎回、自分が選んだチョコレートを良くて2個・時には1個だけしか食べられないまま帰宅し、
「今日もまた交換したの?」
と少し呆れた口調の母に、お弁当箱とともに交換したお菓子をうなだれて手渡すのが常だった。
ひょっとしたら、チョコレート中毒なのは、こういった欲求不満が重なったからなのかも知れない、と思ったりもする。いや、それは被害妄想かな?中毒が先か、欲求不満が先か?
どうでもいいことを考えていたら、昔からあるチョコレートに目が留まった。
『ツインクルチョコレート』。丸い空洞のチョコレートの中に、多彩な別のお菓子(こんぺいとうやラムネ)が入っているそれを、当時は何が入っているのかワクワクしながら食べようとしていたことを思い出す。でも、中身を全部確認できたことはなかったな。
よしっ、ここは幼少時代の欲求不満を解消すべく、全部開けて確認しようじゃないか!
ということで、数十年振りに買って帰った。
(何が入っているかな?)
開けてみたら、パステルカラーのスプレーチョコと、星形のチョコが入っていた。女の子が好きそうな中身だ。でも、
(あ、甘い……)
現在、私の一番の好みはダークチョコ(特に洋酒との組み合わせ)。中毒は継続しているが、好みは少しずつ変化している。
全部開けてみようと思ったけれど、当時と同じく、じっくり時間を掛けて制覇することにしようかな?