欠かせないもの

イギリスでは紅茶、フランスやイタリアではコーヒー(エスプレッソ)を日常的に飲むと言われている。実際現地で生活してみたり、していた人の話では、ほぼその通りであるようだ。

私が知り合ったフランス人のご家庭には、直火式なり機械式なりのコーヒーメーカーが必ずあって、私は朝・晩の食事どきだけでなく昼間の息抜きでもよく飲ませていただいた。
2度目のホームステイ先はイタリア系で、直火式のエスプレッソマシンを使用していた。そのマシンは1回の抽出で3杯くらい飲める容量だった。大抵の場合、マダムは朝抽出し、2杯飲んで出勤していた。その後、私が1杯飲んで語学学校へ登校していたから、丁度いい容量というわけだ。
ある朝、私が出勤前のマダムに挨拶したところ、
「ちょっと多めに飲んでしまったから、シホの分が少ないかも知れないの。足りなかったら新しく抽出してね」
と言付かった。注いでみたところ、エスプレッソカップに半分程度だったので、確かに物足りない。まだ時間はあるから、と粉と水を入れ、コンロに掛けた。暫くして、シュンシュンという蒸気音とともに、ジュッジュッという何かが爆ぜるような音が聞こえ、焦げた臭いが鼻を突いた。
(むむむ!)
私、何かやらかしてしまった?!
火を止め、蓋を開く。モワンと焙煎し過ぎたコーヒー臭がして、マシン下部には焦げ付いた粉が黒いすすとなっていた。
私はなぜか、コーヒーメーカーと同じような仕組みを思い浮かべてしまったのだ。つまり、粉にお湯を注ぐイメージで、エスプレッソマシンの上部に水を、下部に粉を入れてしまったのだ。
(そりゃ、火に掛けたら粉が焦げ付くよねぇ……)
なぜ、考えが至らなかったんだ???
自分にほとほと呆れつつ、慌てて焦げを落とそうと洗ってみたのだが、全然落ちない。そうこうしているうちに、登校時間になってしまった。
できれば何とかしてからにしたかったが、わずかの時間でどうにかできることでもなさそうだ。私は後ろ髪を引かれながら、マシンは水につけたままにしておき、帰宅したらマダムに謝ることにした。
夕方家に戻ると、マダムの方からマシンのことを切り出され、私は早々にお詫びした。
「ごめんなさい。入れ方を間違えてしまって……」
「ああ、いいのよ。焦げ臭かったから、火事かと思ってちょっとびっくりしたけど」
私が驚いたのは、すでに新しいマシンがコンロに据えられていたということだ。帰宅後マシンの異変に気付いたマダムは、すぐに新しいマシンを買いに出掛けたらしい。
これが飲まずにいられようか!という感じでしょうか。
マシンを壊しておいて、しかもチョコレート中毒の私が言うのも何ですが、エスプレッソ中毒なのね。
南仏にはイタリア系の人たちが多く、エスプレッソに対する思い入れが強いようで、
「フランスのエスプレッソよりイタリアの方がおいしい」
とか
「フランスのエスプレッソは薄いのよね」
などという言葉を滞在中よく耳にした。文句を言いながらもフレンチエスプレッソ(?)を飲んでいるから、ないよりはマシ、というところだろうか。そんなイタリア系フランス人の家庭で、エスプレッソマシンを壊しても咎められず、弁償もしていない私。感謝とお詫びしかない……。

直火式だったのは2度目のステイ先くらいだったので、私が抽出する際に粗相したのはこのご家庭だけだった。ラシェルやマリー、アンヌ・マリー宅は機械式だったし、1度目と3度目のステイ先やインターンをしていた高校の教員部屋ではエスプレッソではなくコーヒーメーカーを使用していた。イタリア語の教員で、イタリア系フランス人であるジャッキーは
「量は少なくていいから濃いものが飲みたいわ~」
とぼやいていた。
教員部屋では、何かに気付いたら気付いた人がその物事に対処していたように思う。当たり前と言えば当たり前に思われるこの行為。でも、日本とはすこ~し勝手が違う。コピー用紙がなくなったときは、別の部屋にある機械を使ってまで補充を渋る教員連中が、コーヒーがないとなると率先して準備している。そして、飲み終わったカップは流し台にそのまま。初めてその場面に遭遇したときは、自分が飲んだ分くらい洗えば?!と開いた口がふさがらなかった。で、私が自分のカップだけ洗って片付けていたら、年配の男性教員が自分の分と一緒に他の人のカップまで洗っていた。
そういうものだったんですか?私の行為も含めて、なんか、済みません……。
でも当然のことながら、いつも誰かが洗ってくれるわけではなく、流し台に置かれっ放しのこともある。そんなときにコーヒーを飲もうと思ったら、カップを洗う行為から始めなくてはならない。いつも自分の分を片付けない教員たちに限って、
「なんで洗わないんだ!」
と文句を言っていた。
それ、あなたも当てはまるんじゃないでしょうか?

こんな風に、私の周囲ではコーヒーが欠かせないという人がほとんどだったが、紅茶やそのほかの飲み物を愛飲している人もいた。紅茶の場合、スーパーではティーパックを手頃に買い求めることができるし、フォションやエディアール、マリアージュフレールといった店舗では、さまざまな種類・産地の紅茶を扱っている。
また、ティザンヌ(ハーブティー)は、風邪予防や安眠をもたらすものとして常備されていることが多いようだ。飲み物というよりは薬代わりのようなものだろうか。ハーブは料理にも使えるため、私が滞在した各ご家庭でもいくつかのハーブを見かけた。
オーガニックとか自然療法を取り入れる人も増えているので、商品や専門店を比較的簡単に見つけられるようになってきた。例えば、プロヴァンスではアラケル社のオーガニックハーブティーが有名だし、パリではエルボリストリ(Herboristerie du palais royal)といった専門店で、自分の症状や体質などに合った商品を選んでもらえる。

では、日本ではどうだろう。フランス人の間では今でも「日本人は日常的に緑茶を飲む」と思われているようだ。だが現実は、年代にもよると思うが、緑茶以外を飲む人の割合の方が多いはずだ。ペットボトル商品ではお茶の種類が多いが、外食時などはサービスで提供される場合を除き、緑茶を頼む人はあまりいないように思う。お水やお茶はお金を出して飲む気になれない、という人もいる。
かつて、吉祥寺に日本茶専門店『おちゃらか』を構えていたフランス人のステファン・ダントンさんは、店舗を吉祥寺からコレド室町、そして日本橋人形町へと移し、フレーバーティーとして日本茶の新たな愉しみ方を提案している。日本人が疎遠になりつつある文化に、外国人が日本人とは別の視点からアプローチしたことで、改めて見直されるきっかけになることがある。『おちゃらか』のフレーバーは、フランス人ならではだったり、ちょっと考えつかないようなものだったり。普段は日本茶を飲まない人でも、興味深いブレンドになっている。今の季節限定フレーバーには、紫陽花やすいかなどがある。紫陽花って、どんな味がするのだろう?
私はコーヒーも紅茶も日本茶も気分で飲んでいるけれど、いつもとは違うものを試したら、自分に欠かせないものが見つかるかも知れない。

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