ある日、マドレーヌからの回想
若かりし頃、プルーストの『失われた時を求めて』を読んだとき、ストーリーが全く頭に定着しなかった。この小説は理解するだけでなく、目を通すことすら私には難しいのではないか?!と、途中で何度も読むのを放り出そうと思った。だが、一度手を付けたからには最後まで!と、何とか文字を追って読み終えたときには、どういう内容だったっけ?と、最初の方の話をすでに忘れかけていた。
10代の頃からの友人であるみっちゃんは、私が「全然わからーん!」と匙を投げかけていた時期、既にこの小説を読み終え、考察までしていた。彼女の思うところを聞かされても、私にはさっぱり、理解できないままだった。
(私がこの小説を読むことはもうないんじゃないか?)
心の中でそう思っていたくらいだ。
あれから数十年を経たあるとき、新潮モダン・クラシックス刊行(角田光代・芳川泰久編訳)のものと出遭い、1冊で読めるなら、と安易な考えから手を出した。読み始めから終わりまで、「こんな内容でしたっけ?」と、すっかり忘れていた私。
インターン期間中、個別に日本語を教えていたミシェルはフランス語の教師で、
「あの小説はフランス人でも解釈が難しい」
と言っていたから、たった2回読んだだけの私が覚えていなくても仕方がないよね、と自分を甘やかしていた。でも、1回目のとき、かなり時間を掛けたくせに。トホホ……。
大変お恥ずかしいことながら、私が覚えていた内容といえば、紅茶とマドレーヌのくだり程度。この部分だけは、1回目も2回目も感じ入って読み進めた。
私の母が一時期お菓子の先生をしており、当時は家じゅうが甘い香りで満たされていた。当然、マドレーヌも幾度となく焼かれていたから、幼い頃の記憶がこの焼き菓子によって鮮明に蘇るという小説の主人公に共感できた。
母が焼いていたマドレーヌは丸型で、金属の型ではなく紙型に生地を流し込んでいた。食いしん坊の私は、ガラス扉から焼き具合を覗き込んでは、まだかな~まだかな~とコンベックの前を何度も行ったり来たりしていた。生地に焼き色がついてきて、いったん膨らんだのちに少ししぼむ。焼き上がったものを網台に並べているときには、すでに幸せな気持ちでいっぱいだ。
「食べてもいいわよ」
という母の一言に、待ってましたとばかりに手を伸ばす。アツツ、と両掌で何度かポンポンと跳ねさせたのち、薄い紙型をそっとめくっていく。ほわりと立ち上る湯気と、バターと小麦の芳香。表面はややサックリ、中はふんわりしっとりで、紙型の細かいひだに入った生地はカリッと焼けている。焼き菓子は生地が落ち着いてからの方がいい、という人もいるが、私は焼きたてが一番好きだ。粗熱が取れた直後の生地はまだふっくらしていて、口に含むと柔らかく崩れるとともに、バターの香りが溶けるように鼻腔に広がっていく。
母は一度に何種類かのお菓子を作っていたため、私がマドレーヌを思い起こすとき、連想されるのは紅茶ではなく別のスイーツになる。
白鳥の形をしたシュークリーム。手伝ったとき、パーツごとにシュー生地を絞るのが難しかった。一口サイズのプティ・フール。ミント色のクリームを付けたり、小さなアラザンをまぶしたり、ちょっとした作品を仕上げている気分になった。サバラン用のブリオッシュは、太った雪だるまみたい。まるっとした胴体にちょこんと乗った頭。そういえば、母がパン生地をこねるときの動作がすっごく激しくて、後ろ姿を見ながらずっと笑っていたものだった。あの叩きつけ方、きっとストレス発散効果もあったよね(笑)
まだまだまだ、語るに事欠かない母のホームメイド菓子の思い出がたくさんある。
母は先生になる前からずっと、家族だけでなく近所の人や知人友人にお菓子を振舞っていたので、40になる前に腱鞘炎を患い、一線から退いた。もう長いこと母がお菓子を作る姿を目にしていないが、それでも季節ごとにジャムを届けてくれる。いちごやブルーベリー、桃にあんず、梅、りんご、チェリー、キウイ、ラ・フランス……。グラニュー糖を使わず、近年は花見糖やらマスコバド糖なるものを使うため、色合いがどれも茶色っぽい。そして、この茶系砂糖は味に主張がある。ラ・フランスのときはグラニュー糖と茶系の砂糖両方を使って2種類のジャムを作り、持ってきてくれた。その際感想を聞かれた私は
「グラニュー糖の方がよりラ・フランスを感じられる」
と控え目に言ってみた(私がアトピー持ちであることから、食材に対する母の配慮は重々に分かっております)。それを聞いた母は、
「身体にはこっち(茶系)の方がいいのよ」
とは言ったものの、
「まあ、確かにそうよね。他人様に差し上げたりするときには、グラニュー糖の方がいいかしら」
と苦笑いしていた。
未だに手作業を厭わない母は、「肩が凝る」と言いながらも、包丁で丁寧にキャベツの千切りやごぼうのささがきを行っている。我が家の老齢の猫には、キャットフードを小さなすり鉢ですってから与えている。ピーラーやチョッパーを使ったら?と言っても、手でやる方がいいんだと聞き流される。いつも若々しくあるけれど、毎日のことだから身体が楽になる方法を選んで欲しいものだ、と娘としては心配でもある。
マドレーヌから記憶を辿って、現在まで。そういえばあんなことがあったよなぁと思い出すと、懐かしかったり可笑しかったり。
初めてフランスを訪れた時、『失われた時を求めて』の最初の一文
“Longtemps,je me suis couche de bonne heure.”
が螺旋を描くように文字盤にデザインされた腕時計を見つけた。これ、みっちゃんにいいかも!と思って値段を確認し、やっぱりゴメンね、と別のお土産に変更したことがあった。で、帰国後お土産を渡す際にそれを彼女に伝えたところ、「そんな時計があったの?見てみたかった!」と興味を示していた。ずいぶん昔のことになってしまったけれど、まだ売られているのかしら?
さまざまな場面が記憶に蘇る、マドレーヌからの回想。