ある日、お札騒動
日本でお札が一新されるのは2024年、20年振りとなるのだそうだ。前回のとき、私はインターンでフランスにいた。母が小包に同封して新札を送ってくれたので(フランスの郵送事情を考えると、結構危ない行為だ……)、日本クラスの講義で生徒に
「日本のお札だよ~」
と新旧を比較して提示した。彼らの第一印象が
「地味」
だったのには、まあ、ユーロ紙幣はカラフルだからねぇと苦笑するしかなかった。
一番人気だったのは二千円札。
「人じゃないデザインがいい」
とか
「書が描かれている!(裏面の源氏物語の詞書のこと)」
いう意見のほか、
「何で二千円には新札がないの?」
と素朴な疑問を持つ生徒もいた。
「きっと、人気があるから変わらないんだよ」
「そうかも。これ、一番素敵だもの」
などとポジティブに言ってくれている横で、
「いや、使い勝手が悪くてあまり流通してないから、新札も発行されなかったんだと思う」
ポツリとネガティブな発言をする私。
何で使い勝手が悪いの?(自販機で使えない)、使うときどうしてるの?(有人レジで使用するか、銀行のATMで入金し別途引き出すようにしてる)などと質問に答えていると、一人の女子生徒が
「何で発行する前に設備を整えなかったの?」
とこれまた素朴な疑問をぶつけてきた。
(ごもっとも~)
ホント、その通りですね、とここでも苦笑するしかなかった。
気を取り直し、一万円札を見てもらう。裏面は異なるものの表面は同じデザインで、偽造防止上の変更をしているだけだったから、
「さて、違いを見つけてみましょう」
と生徒に提案してみた。彼らは紙幣を透かして見たり手触りを確かめるなどして違いを見分けようとしていた。
全紙幣を見せたあと、改めて疑問・質問を受ける。
「鳥のデザインが多いのはなぜ?」
「なぜかは分からないけど、雉は国鳥、鶴は特別天然記念物で平和の象徴、鳳凰は吉兆の象徴だから使用されているんだと思う」
と答えていたら、
「フランスもle coq(おんどり:フランスの国鳥)が硬貨に描かれたことがある」
「日本では龍も吉兆の象徴なんだろ?」
「龍は中国じゃない?」
「俺は日本の城や寺とか、ジャケットでも龍デザインを見たことがある」
(龍も吉兆の象徴ですが、もともとは中国から伝わってきましたと答えた)
などと、議論好きのフランス人らしいやり取りが展開された。苦笑する場面はあったものの、まあまあ盛り上がってくれたので、母よ、いい材料を送ってくれてありがとう!と感謝したのだった。
もちろん、講義の材料としてだけでなく、生活費の足しにさせていただきます、と郵便局へ両替しに出向いたときのこと。新札を窓口の女性に手渡したところ、彼女は眉間に皴を寄せ、紙幣と私とを交互に見た。
(ああ、それ、新札なんです)
そう言おうかどうか迷ったが、いずれにしても調べることになるだろうから、と私は黙っていた。女性は講義のときの生徒と同じく、紙幣を透かして見たりしていたが、興味津々だった生徒とは異なり、顔つきは険しいままだった。
「パスポートを見せて」
(良かった、いつもの流れだ)
お願いします、とパスポートを差し出してほっとしたのも束の間、女性は紙幣とパスポートを持って背後のドアの中へと消えてしまった。
(なんか面倒なことになっちゃったなぁ)
旧札にしておけば良かったかしら、でも今更だし、などと考えながらじっと窓口で待つ。ただでさえフランス人はのんびりと働くから(あくまでも個人の感想です)、いつもの両替でも数分待つけれど、それにしてもやたらと時間が掛かっている。私の背後には、順番待ちの人々が既に7・8人列をなしていた。
やっと女性が戻ってきたとき、彼女は男性を引き連れていた。
「あなた、いつこれを手に入れたの?」
(え、今までそんなこと聞かれたことなかったのに……)
問い詰めるような女性の口調や2人からジロジロと見られていること、また背中に感じる待ち人の無言の圧力で鼓動が早くなる。
「数週間前ですけど」
「(パスポートを見ながら)最近フランスに来たってわけじゃないわよね?」
「ハイ……」
(どうしよう、経由地ではスタンプ押してもらったけどフランス入国時には押してもらってないから、不法滞在とか言われたりしないよね?)
フランス入国当時、スタンプを押してもらえなかったときにふと頭をよぎった悪い予感がじわじわと私を不安にさせる。
「どうやって手に入れたの?」
「日本から母が送ってくれたのですが……」
モゴモゴと伝えた私の回答を聞き、2人は顔を見合わせ、肩をすくめた。
「ほら、これは新札なんだよ。フォー・ビエ(ニセ札)じゃない」
(今、ニセ札って言った?!)
彼らの会話から察するに、女性は私の一万円をニセ札だと思っていたようだ。
「でも、彼女の滞在は……」
女性の憮然とした表情を見る限り、おそらく、男性と調べて新しい紙幣だと分かったのだろうが、渡仏してしばらく経っている私が、最近発行された日本の新札を持っていることにも疑問を持ったのだろう。
警察でもないフランス人が、ここまで疑うほど仕事熱心だったとは(あくまでも個人の感想です)!
疑り深い表情で両替をしてくれた女性に対し、私は顔を引きつらせながらお礼を言う。振り返ると、並んでいる人は10人を超え、みんな遠慮のない視線を私に向けた。
(私のせいなの?そうなの?)
あなた方のお国だって、紙幣を新しくするでしょ?!
そう、フランスだってたびたびお札が一新されたし、新旧の移行時期において、ちょっと乱暴なやり方で旧紙幣を使用したフランス人がいたことを私は知っている!
2002年にフランからユーロに変わったが、その数年前、フランス・フラン札はデザインを変えたことがある。移行期間中は、銀行に出向いて旧紙幣を新紙幣に交換してもらうのだが、確かどこでもできるわけではなかった気がするし、例によって手続きに時間が掛かるので、面倒がる人も多い。
語学学校で知り合ったメグミちゃんは、円を両替したとき、旧紙幣で受け取ったそうだ。彼女はヨーロッパ周遊中だったため、限られた時間で銀行に出向かなくてはならないことに困惑していた。私はといえば、ユーロに切り替わる前、できるだけ多くの国の通貨を記念として手元に残しておきたいと思っていた(2000年に仕事を辞めてから1か月ほど、私がヨーロッパを巡る旅に出たのはそのためでもあった)。フランス・フランの旧札も集めていたが、メグミちゃんが受け取った200フラン札だけは持っていなかった。私はそのあと数か月フランスにいるし、銀行に行く機会も充分にある。そこで私は、彼女の旧札と私の新札を交換しないかと持ち掛けた。私はメグミちゃんと数枚を交換し、1枚だけ手元に残してあとはパリに移った際、銀行で新札に交換してもらった。
メグミちゃんが両替で旧紙幣を受け取ったことを、私は何の気なしに語学学校の教員に話した。すると教員は顔色を変え、
「それはどこ!」
と私に迫った。どうやら、新札が流通したのちは、店舗や両替所で旧札を渡してはいけないことになっているようなのだ。
「外国人だから分からないと思ったのね。まったく、ひどいことをするものだわ!抗議して、新札を渡してもらいましょう!どこなのか教えて!」
私は焦った。実は、メグミちゃんは2週間の語学学校生活を終え、別の国へ旅立ってしまったあとだったのだ。
(ど、どこなんでしょう~)
詳しい話は聞かなかったんです、と答えたものの、教員は納得していないようで、役所にでも届け出そうな勢いだった。
2024年に海外へ行く予定がある方々、どうぞ現地で日本の新札を両替する際にはお気をつけください(紙幣の移行期にある国も要注意かも?!)。