プロヴァンスのクリスマス
今週はクリスマス。この時期はいつもひっそりと心が躍る。できれば森閑とした空気感のなか、蝋燭か暖炉の炎だけで、数人と穏やかに過ごしたい。まきが爆ぜたり屋根から落ちる雪の音を聞きながら、温めたワインかミルクと一緒にチョコレートをいただく。他愛もない話で夜更かしした翌朝、太陽に照らされた白銀の世界の眩しさで目覚める。パジャマのまま、もみの木の下に集まって、贈り物を交換する。シュルシュルとリボンをほどいたり、ベリベリと豪快に包みを破いたりしている皆の目は、期待と好奇心で輝いている。プレゼントを見せ合い、贈り主にお礼を伝えたのち、クリスマスの朝を迎えられたことに感謝するのだ。
というようなことは想像だけの話なので(笑)、今回は私が南仏でクリスマスを過ごしたときの話をしたい。
ホームステイしていたRDP家の皆さんが、パリにいる娘たちのところで過ごすことになり、私もその期間中は旅行することにした。かつて、ヨーロッパのいくつかの国のクリスマスマーケットを巡り、また行きたいと思っていたため、今回もそうしようかなぁと計画していた。たまたま私の計画を知ったマルティヌが、「クリスマスに一人なんて!」と、ご自宅に招いてくれることになったのだ。私もフランスのご家庭ではどのようにクリスマスを過ごすのか興味があったので、旅行の日程を変更し、お邪魔させていただくことにした。
親戚一同が集まると伺い、私はほんの少し気後れした。
(何人くらい集まるのかしら?何か用意していったほうがいいのかな?)
プレゼントはどうすればいいんだろうとか、お料理を持ち寄ったりするのかな?など、次々と疑問が湧いてきた。
思い込みで何かをするより、ここは聞いたほうが無難だろう。そう思った私は、マルティヌにこういう場合どうするものなのか聞いてみることにした。
「あなたは何もしなくていいのよ!娘とそのお友達も来るから、気楽に来てちょうだい」
マルティヌのお嬢さんは日本で働いていたが、ヴァカンスは家族と過ごすため、帰国するのだという。その際、同僚のイギリス人男性・Jさんと、その奥様の日本人女性・Tさんも一緒に連れてくることになっているとのことだった。
何もしなくていいと言われたものの、取り敢えずお花とお菓子・マルティヌとマルティヌのお母様にプレゼントを用意し、クリスマスに臨んだのである。
当日、マルティヌのアパルトマンには総勢12名が集まった。到着直後、ご親族から花瓶に花を生けてもらえないかと持ち掛けられた。ご自宅にあったのはナンテンや松など、お正月の縁起物で、私は自分が持参した花とそれらを組み合わせてうまく生けられる自信がなかった。
「日本文化を教えているということは、生け花の知識もあるのでしょう?」
と期待されているような言葉を掛けられ、いえいえ、やったことがないんです、と答えたものの断り切れず、あーでもないこーでもないと差したり抜いたりしてみた。結局、依頼主からあまりぱっとしない表情とともに「もうそのくらいで大丈夫ですよ」と、諦めともダメ出しとも取れるお言葉をいただき、私はすごすごとその場を離れた。
マルティヌの娘さんとJさん・Tさんは私より年下だったが、学校の教員や生徒よりは年齢が近いため、私はマルティヌの友人というよりお嬢さんの友人という感じだった。でも、Tさんがお嬢さんに
「あなたの友達なの?」
と尋ねた際、
「ううん、母の友達」
と紹介されたので、私は彼らに対してちょっとよそよそしくなってしまった(若者たちの邪魔をしてはいけない、的な)。
料理などはすでに準備が整っていて、全員が揃うのを待つばかりとなり、それぞれが思い思いに語らっていた。手持ち無沙汰ではあるが、自分から会話の輪の中に入って行けるような社交性もなく、私は部屋の中を観察することにした。サロンのテーブルは、全員で囲めるようにセッティングされていた。特別なときに使用されると思われるまっさらなクロスや、金色に縁どられた花弁のようなデザインの食器、クリスマスカラーのナプキンが、これから始まる団らんをより華やかに演出するだろうとワクワクさせた。片隅には2mほどのツリーが置かれ、下にはすでにいくつかの包みが重なり合っていた。私はその山の中に自分が持参した包みを紛れ込ませた。
「プロヴァンスでは、デザートを13種類用意するのよ」
輪の外側にいた私に、マルティヌが声を掛けてきた。それは”レ・トレーズ・デセール”と呼ばれ、地域によって多少種類は異なるけれど、どの家庭でもクリスマスには欠かせないものとのことだった。13種類のデザートと聞いて、私はプティ・フール的なものを想像してしまったのだが、キリストの最後の晩餐になぞらえているらしく、バターやクリームなどは使われていないとのことだった。マルティヌは一つ一つ名前を教えてくれたのだが、そのときの私はかいつまんでしか覚えられなかった(デーツやいちじくなどのドライフルーツ、くるみなどのナッツ類、ヌガー、フガス)。その13種以外に、マルティヌはクリスマスケーキも用意していた。
12人が揃い、自己紹介も終わったところで皆が席に着く。親戚一同はお互いに近況を話し合ったり、お嬢さんの日本の話を聞いたりしていた。クリスマスソングの話になった際、赤鼻のトナカイが話題にのぼり、誰かが「歌ってみて」と言ったので、私とTさんとで歌ったりした。
「日本だとバゲットの端っこを食べなかったり、ランチやディナーのお店で出さなかったりしますよね。フランスでは端っこが一番美味しいと思っている人が多いので、どうして?って思います」
マルティヌのお嬢さんは流暢な日本語で、フランス人が感じた日本での生活について話をしてくれた。日本の大学を卒業しているため、彼女は非常に日本語が達者だった。時折、「犬とかが赤ちゃんを作れないように、男の子のを取っちゃう手術」と言うようなことがあったので(なぜこの話題になったのか忘れましたが)、「男の子は雄で、去勢」「女の子は雌で、避妊」などと説明したが、それもすぐに覚えていた。
食事が終わり、Tさん・Jさん夫婦と私は、マルティヌの友人宅である別のアパルトマンに泊めてもらうことになっていた。マルティヌの家だと親族だけで手狭になることから、ヴァカンスで不在となっている友人宅を貸してもらったのだという。そんな気遣いまで、と恐縮しきり。翌日の朝、またマルティヌ宅へ集合ということで解散することになった。
移動する前、私たちは贈り物を受け取った。本当は翌日(25日)に交換するものだが、今日帰る人もいるため、渡すことにしたのだと聞かされた。私もマルティヌとお母様へ包みを渡す。私はそこで、マルティヌの妹さんからもプレゼントを渡された。彼女はマルティヌと同じく、私がインターンをしている高校の教員だった。私は彼女への贈り物を用意していなかったため、考えが至らなかったことへの忸怩たる思いでオロオロしてしまった。私、あなたに何も用意してなくて……とそのまま伝えてしまったところ、彼女は
「あなたとクリスマスを一緒に過ごせたということが一番よ」
とビズしてくれた。みんなその場でプレゼントを開け、言葉とともにハグやビズでお礼を伝え合っていたので、私も皆に習って振舞った。
翌日は街の観光をして、夕方にはそれぞれが家路についた。後日、私は自分が撮影した写真を焼き、マルティヌや妹さんに渡した。マルティヌからは、
「マーシャル(マルティヌの旦那さん)とのツーショット写真が良かったから、子どもにもあげたい」
と焼き増しを依頼された。彼女や妹さんへのお礼にはほど遠いが、少しでも気に入ってくれたのであれば嬉しい。
細かいことは忘れてしまったが、今でもこのときのことを思い出すと、やっぱりクリスマスっていいなぁとしみじみする。別にクリスマスに限らなくてもいいのだが、普段は素っ気なかった街なかの人たちもどこか優し気で心が和んだ。宗教心だけではなく、周囲の人とこの日の温かさを分け合って育ってきたからではないかと思う。コロナ禍で親しい人たちと集まる機会が減ってしまったが、フランスでも日本でも、みんなが元気に顔を合わせ、穏やかな時間を共有できるクリスマスが来ますように!