ある日、お城へのご招待~行ってみたらこんなところだった~
フランス人カップルの結婚披露パーティーに参列することになった。新郎・新婦ともに面識はない。パーティー会場が、インターン高校での同僚教員のご自宅であることから、私も泊りがてらお呼ばれすることになったのだ。
ご招待してくれたのは、フランス語教師であるアンヌ・マリー。私は彼女の住まいについてメンターであるマリーから、
「彼女の家は遠いけど、立派なお城だからびっくりするわよ」
と聞かされた。そう聞いて私が思ったことといえば、素敵だけど維持するのが大変なんじゃないだろうか、ということだった。お城に限らず、古い建物に暮らす場合、排水や空調設備を整えるのに一苦労、という話を耳にしたことがあった。また、その建物が歴史的建造物だった場合は、好きに手を加えることができないということも聞きかじっていた。
しかも、アンヌ・マリーは車での通勤時間に1日の3時間弱を充てていた。お城に住んでいるともなれば、職場に合わせて引っ越しとかはまずできないだろう。とはいえ、わざわざそんな遠距離から通わなくても、近場に学校の1つや2つあるんじゃないかと私は思っていた。だが、教員たちの話の内容から察するに、おそらく職員採用枠の数や難易度により、遠くの職場を選ばざるを得ない事情があるようだった。教員によっては1校で週2・3日しか講義を持たせてもらえないため、複数の学校と掛け持ちで勤務していることも珍しくはないようだった。アンヌ・マリーはインターン高校のみで教鞭を執っていたので、日によって勤務先やカリキュラム・上司や同僚が異なるよりは通勤に時間を割くほうが良かったのかも知れない。
「金曜の授業が終わったら駐車場に集合ね。うちの周りには何もないから、必要なものは持ってきて。月曜は直接学校へ向かうことになるから、その際の用意も忘れずにね」
そう言われた私は、金曜の放課後、授業用具一式にパーティー用の和装一式、普段着の着替えから薬などのほか、タオル類や2リットルの水にチョコレート(でもこれは自分の中で薬と同じ扱い)を抱え、駐車場でアンヌ・マリーを待った。
「随分と大きな荷物ね」
私の鞄を見て、彼女は目を丸くした。そしてそれを車に積み込む際、手を貸してくれたのだが、そのときの彼女の目は飛び出るのではないかと思うくらいに更に大きく開かれていた。
「うぅ、なんて重い!いったい、何を持ってきたの?」
私はその重量が正当であることを証明するため、辞書(本当は掌サイズ)や授業用の資料(紙だから重いんだ……)、今回のための和装一式、そして水やら本やらCDプレーヤーといった『周囲に何もない環境で3日間を過ごすのに私が必要と思ったもの』について告白した(ちょっと恥ずかしくなったので、タオルやチョコレートについては触れなかった)。
「飲み物はうちにもあるし、テレビを見たりレコードを掛けてくれていいのよ。ピアノを弾いたっていいわ。自分の家のように過ごしてちょうだい」
それはホームステイでも他のお宅へのお泊りでも言われていたことなのだが、なかなか自分の家と同じようにはリラックスできない。もちろん、ホストに頼める状況であればそこまで遠慮はしない。だがもし夜中に喉が渇いたとして、人様の冷蔵庫を勝手に開けるかといえば私は躊躇してしまう。自分の家のようにと言われたのだから、事後報告でいいじゃないと思われるかも知れないが、何となく許可をもらってからにしたいという思いがあった(その割には、ホームステイ先に窓から侵入したりと矛盾する行動もしてきてしまいましたが……)。
その後、アンヌ・マリーからは3・4回お招きいただき、その際は和装やタオル・本の持参をやめたので、少しは荷物が軽減された。だが、彼女からするとそれでもまだ大荷物だったようで、私は都度呆れ顔をされていた。
道すがら、私はアンヌ・マリーから家族以外に彼女の親族もそのお城に住んでいると説明を受けた。彼女のお母様をはじめ、弟・妹夫婦も城の一角を所有しているのだという。また、彼女には旦那さんと3人の子ども(長女・長男・次男)がいて、結婚した長女の家族や、次男の半同棲の彼女も一つ屋根の下で暮らしているということだった。
「私の親族一同でお城を管理しているのよ。いつもどこかしらに小さな問題があるわね。床がギシギシ鳴ったり、タイルにひびが入ったり、水や電気のトラブルもある。最近、ミストラルのせいで窓の一部が壊れたわ。昔の建物だから、すぐには直せないこともある。いろいろなところが古くて不便で手間が掛かるけれど、ちょっとずつ手直ししながら自分たちの生活の一部にしている。家族が増えたら、また雰囲気も変わってくるんでしょうね」
彼女の話を聞きながら、私は『維持するのが大変なんじゃないか』という先入観があながち間違ってはいないけれど当たっているわけでもないと気付かされた。受け継がれていくものへの愛着。彼女が暮らすお城とそこに住まう人たちに、更なる興味が湧いてきた。
周囲には平坦な畑と背の並んだ樹々が続いている。ぶどう畑もちらほらと見える。
「私のいとこはワインを作っているのよ。今晩、夫と息子がテイスティングをするから、シホもやってみるといいわ」
アンヌ・マリーのいとこはシャトーヌフ・デュ・パプの作り手で、毎年いくつかの学校から見学で訪れたいと打診を受けるそうだ。私もインターン高校の社会科見学で連れて行ってもらった。数十(ひょっとしたら百)のワイン樽がずら~っと並ぶ地下室や設備の規模の大きさは、私が日本で訪れたことのあるワイナリーにも匹敵する。見学後の試飲は?!とワクワクしていたのだが、18歳未満の高校生の引率とあって、アルコールの提供はなかった(ちょっと考えれば分かるでしょうに……)。今回、アンヌ・マリー宅でいとこさんのワインをいただくことができたのだが、シャトーヌフ以外もテイスティングしたので、どれがどれだか分からなくなってしまった(この話はのちほど)。
畑に囲まれた砂利道をひたすら突き進むと、左右に石造りの牛の門構えが現れた。扉はなく、大型の四駆などでもすんなり通れる幅だ。
「我が家へようこそ」
アンヌ・マリーの一言で、ここからが敷地内なのだな、ということは分かった。だけど、お城はどこ?まったく何も見えないんですけど……?車が進むに従い、森の中にでもいるように樹々が道を覆い始めた。門構えを通過してから数分は経っただろうか。突然右側の視界が開け、蔦が絡まる尖塔を目の当たりにした。小さい頃、『眠りの森の美女』を読んだときに想像したお城みたいだ。パリのディズニーランドのお城はこの話のものをモデルにしたそうだが、幼い私が思い描いた『森の中のお城』は、今見上げているものに近い。
「さ、ついに到着よ」
アンヌ・マリーがウインクしてシートベルトを外す。先ほどは車内から見ただけだったので、早く全体を見渡したいと思った私もいそいそとベルトを外し車を降りた。高さはないが横に長く続いているため、お城の全景は分からない。だが、各部屋の木扉のしつらえや磨かれた窓、適度に手入れされた壁の蔦など、ここに住まう人たちが丁寧に暮らしている様子がうかがえる。側防塔もあり、昔はどのように使われていたのだろう?などと考えるとドキドキしてきた。広い敷地内の一部は家庭菜園として親族一同がそれぞれ好きな野菜などを育てているそうだ。
今まで旅行で訪れたヨーロッパのお城では、きらびやかな装飾や美しく整えられた庭、日常生活では一生触れることがないであろう豪奢な調度品を見るにつけ、当時の王侯貴族の生活を想像しつつ、非日常の空間に浮足立っていた。あるいは、時代によって異なる様式が継ぎ足され、複雑な造りや様式のコントラストが見られるお城などでは、今は亡き建築家への驚嘆や尊敬の念を持ってその場に佇み、巨大な芸術品として鑑賞していた。だが、このお城や周りの空間はとても居心地が良い。これまでは観光名所として訪れるしか機会がなかったせいもあるが、人が暮らしているというだけでお城はこんなにも身近に感じられるものなのか。築城時から周囲の環境も暮らす人も変わったのに、今なお土地や人と調和し風景に溶け込んでいるこの悠然としてアンティークな建物を、私は一目で気に入ってしまった。
「中に入ってちょうだい」
アンヌ・マリーに促され、私は建物内部に足を踏み入れた。玄関をくぐると中は幅5m・奥行10mほどで、右に部屋が繋がっている。かつては渡り廊下で、各部屋の間には扉がついていたと思うのだが、部屋の行き来がしやすいよう、全て取り払われていた。そのため、玄関から一番奥の部屋までの直線空間は、古めかしく重厚な雰囲気を開放的にしていた。
玄関左脇は階段で、蔦が絡まっていた尖塔部分に当たる。どうやらそこから2階へ行けるようだ。階段手前に幅50cmほどのアルミサッシ戸が取り付けられていて、勝手口のようにここから入ることもできるようだった。
玄関やキッチンは白と黒のタイル張りで、天井が高く、カツ・コツという靴音が一般的な住宅より大きく響く気がする。キッチンは壁にもタイルが張られ、目線より少し上部分に木製の作り付け食器棚がある。観音開きで中央がガラスになっているので、整然と並ぶお皿やカップがちらりと見えた。コンロ上のスペースには鍋やフライパン・フライ返しにミトンなどが掛けられ、使い勝手が良さそうだ。内装に加え、腰の高さほどのオーブンやコーヒーメーカー・電子レンジが置かれているこの部屋は、このお城の中で一番モダンな場所と言えるだろう。一方、ダイニングは古き良き時代といった雰囲気だ。ゴブラン織りのような毛の短い草花模様のカーペットが敷かれ、中央に8~10人くらいが座れる太い脚のどっしりとした大きなテーブルが置かれていた。壁には30代くらいの男性の肩上の肖像画が掛かっていて、アンヌ・マリーが「それは私のおじいさんなの」と説明してくれた。リビングは、外に面した部分が全面窓になっていて、外に出られるようになっていた。大きなソファーとテレビ、そしてピアノがあり、ここでワインでも飲みながら一家団らんとしている様子が想像できた。壁をくりぬいて作られている暖炉は古くからあるものなのだろう。すすを纏って薄黒く口を開けた炉室内に年季を感じた。マントルピース上部に飾られた陶器は、何か思い出の品なのだろうか。キッチン以外、全ての部屋の灯りは間接照明だけなので、ほの暗さがノスタルジックな気分にさせる。
「夕食まで部屋でゆっくりして。そのとき家族を紹介するわ。親族には明日紹介するわね」
私は2階の一室に案内された。
(おおっ!天蓋付きのベッド!!)
お姫様が眠るところじゃないですかぁ~!眠る本人は、日焼けした顔に化粧っ気もなくて、これっぽっちも姫感がないけど。それに、天蓋からレースなどの布は張られていなかったので、可愛らし過ぎず私には丁度良い。部屋の広さは?と左側に目をやった私は、思わず首が前に出てしまった。
(なに、この部屋?!)
右側:天蓋付きベッドのドリーミーな雰囲気。
左側:トレーニングマシーンが置かれ、マッチョ(?)な雰囲気。
ベッドに気を取られ(部屋が暗かったせいもある)、部屋全体を見ていなかった。明らかに、左右でミスマッチング!
「夫や息子が使っているのよ。あなたの滞在中は黙って入ったりしないよう言ってあるから」
アンヌ・マリーの旦那さんは体育教師とのこと。熱心と言うべきなのだろうか?バイクにローイングマシーン、トレッドミル、ベンチプレスがある。
(まいったな、こりゃ)
こういったものがあるんだったら、私、これで充分時間潰せるんですけど?でも、今回はトレーニング用の着替えなんて持ってきてない!まあ、折角お城に泊まっているのだから、わざわざ日本でもやっているような日常を繰り返さなくてもいいか。
室内にはシャワーとトイレがあり、使用時間など、他の人のことを気にしなくていいことにほっとする。シャワー上のボイラー(縦1.5m、横1mくらい)はカラフルに色付けされていた。アンヌ・マリーの娘さんは美術系の仕事をしているらしく、小さいときから絵を描いたりするのが好きだった(そのボイラーの色付けも娘さんが幼かった頃にした)とのことだった。
(自由にのびのびと育ててきたんだな)
ボイラーの高さは、私が背伸びしても届かないくらいのところにある。子どもが色付けをするとなれば、梯子や脚立を使って行っていたのだろう。結構な高さになるから、落ちて怪我などしないよう、きっと大人が側で見守っていたはずだ。お父さんに肩車してもらって描いていたのかも知れない。カラフルなボイラーから、親子の温かい絆のようなものを感じ、私はほのぼのとされられたのだった。
アンヌ・マリーが呼んでいる。いよいよ家族とご対面だ。
この続きはまた次回。