ある日、女3人ファーム旅(後編)
市内の古本屋で出遭った、戦時中の子ども用冊子に興奮冷めやらぬまま、私はマリー、カトリーヌとともに旅の目的地である農場へ向かった。
グルノーブル到着直後は、街中の人出や建造物を目の当たりにし、こんなところにファームがあるのかと思ってしまった。だが、周囲はフランスアルプスの峰々が迫る山岳地帯である。車を少し走らせると、景色は一変。華美な細工が施された建物や平坦な道路はなくなり、風雨や降雪にさらされ荒々しく尖りつつも無垢な表情を見せる岩肌や、ガタゴトバッキーンとタイヤが豪快な音を立てる未舗装の山道になった。枯枝を巻き込んだまま走る車の中で、私たちは口を閉ざしていた。カトリーヌは運転に集中している。マリーはもともと口数が少ない。私はというと、口を開けば舌を噛みそうな状況なので発言を控えていた。パックに入った卵を揺らしたときのように、絶えず小刻みに揺れる身体をシートベルトがガードしてくれている。後部座席に一人で座っていたので、もしベルトをしていなかったら、左右に転がって痛んでいそうだ。ラジオの音楽だけが車内に響いていたが、ブツブツと途切れて何とも耳障りが悪い。カトリーヌもそう思ったのか、何も言わずに音源をオフにした。
カトリーヌはさらに山奥へと車を進めたため、今度は別の意味で、こんなところに農場があるのか?と私は思い始めていた。
(ファームって、まさか『宿坊』って意味があるわけじゃないよね?)
旅先がどんなところか、何をするのかを今回の私はまったく確認していなかったので、着いたら修道院だったりするのかも?!などと揺れる頭で想像していた。
タイヤの音がやがてゴリッゴリッという砂利の摩擦音に変わってきたころ、目の前の風景もだんだん開けた土地になり、見晴らしが良くなった。人工的な木の柵が左右に設けられている。どうやら、ここはもう農場の一角らしい。
「さあ、もうすぐ着くわよ」
カトリーヌが久々に口を開いた。その声は安堵と満足感、そして疲労を含んでいた。ずっと一人で運転させてしまったうえに、車中も揺れにかまけて言葉を発さず過ごしてしまった。彼女が楽しめていなかったり、疲れ切っていたら申し訳ないと思っていたが、笑顔なので取り敢えずホッとする。柵の側に人だかりが見え、カトリーヌは車を徐行させた。横を通過する際ちらっと見えたが、何かを販売しているようだ。
「荷物を置いたらまた来ましょう」
カトリーヌも気になっていたようだが、早く宿に落ち着きたかったのだろう、チェックイン?してから周辺を散策することになった。
宿は石や木造りの山小屋で、食事などで使用する大きな小屋と、宿泊用の小さな小屋がいくつかあった。敷地内にはプールまであったが、今は使えないのか、ブルーシートが掛けられていた。私たちが泊まる小屋には扉が2つあり、扉ごとに部屋が分かれていて、宿泊客1組が1扉(1部屋)使えるようになっていた。私たちの部屋には二段ベッドが2組壁に沿って備え付けられていた。室内は8畳ほど、ベッドだけでほぼ埋まっていたので、立って身支度するのは1人がやっとという広さだった。カトリーヌが右側の上段・マリーが下段で、私は左側の下段を使うことになった。室内は狭いが、天井は高く、明かり取りの窓から入る日差しが石壁に当たり、間接照明よりもはるかに気分が晴れる明るさだった。鳥の羽根や木の実・木の皮・麦穂などでできたモビール飾りが入口でひらひらと揺れている。素朴で華やかさはないが、この農場の人々が自然の中での暮らしを大切にしていることが窺える。
荷物の整理など、少し部屋でゆっくりしたのち、先ほど人が集まっていたところへ向かうことにした。私たちが部屋を出ると、猫2匹と犬2匹が出迎えてくれた。猫はキジトラの子と、黒毛に茶が混じった、甲斐犬のような毛色の子。犬は2匹とも黒毛の大型犬で、私の腰くらいの高さまである体形の子たちだった。猟犬かも知れない。猫も犬も人懐こい。しばし疲れを忘れてこの子たちと遊んでいたが、甲斐色の猫がプールサイドのビーチチェアーにうずくまり、「一人にしておいて」のオーラを出し始めた。キジトラの子もどこかへ行ってしまった。黒犬2匹はまだ子犬なのだろうか、疲れを知らない様子でずっとマリーの横を跳ねている。彼女が木の枝を放って遊んでやっていたからだが、いい加減、マリーも遊ぶのに飽きてきたようだった。
「さっきのところに行ってみましょうか」
カトリーヌの提案に、マリーが返事もせず木の枝を遠くに放る。追いかけていく犬たちに背を向け、私たちは急いでその場を離れた。
車内で見かけた場所にはまだ人がいたが、さっきよりは少人数になっていた。紙袋を手にしている40代くらいの女性に
「何があるの?」
とカトリーヌが問いかける。
「蜂蜜よ」
女性はわざわざ袋から購入した瓶を取り出し、私たちに披露してくれた。瓶の中で、とろり、と金糸雀色の液体が光る。
「色々な種類があったみたいなんだけど、もうあまり残っていなかったの。買うんだったら、早く行った方がいいわよ」
私たちは彼女にお礼を言って、取り囲んでいる人の中へ紛れ込んでみた。白いクロスが掛かった長テーブルの上に、大小の瓶が並んでいる。瓶の中は淡黄蘗色・金糸雀色・蒲公英色・梔子色・藤黄色などの液体でたっぷりと満たされ、種類ごとに書かれた手書きの札が、並べられた瓶の前のクロスに貼ってあった。いくつかの札は何も置かれていないスペースに貼られていたので、おそらく、そこにあった蜂蜜は売れてしまったということなのだろう。手書きの札が読みにくかったことや、かさばる荷物を増やしたくなかったので、私は購入を断念した。
余談だが、フランスは養蜂が盛んで、豊富な種類の蜂蜜を日本よりも安価に購入できる。私も今回とは別の機会にいくつかのフレーバーを試してみた。栗の蜂蜜は藤黄色で少し苦みがあり、口の中でわずかにざらっとした。煮物などに合うかも知れない。また、クローバーの蜂蜜は淡黄蘗色でクセがなく、口腔内をさっぱりと溶けていった。紅茶などに入れても香りを邪魔しない味わいになりそうだ。
蜂蜜売り場を後にし、私たちは農場の敷地をブラブラしてみた。さっきまで見上げるほどの山々や都会の建造物に囲まれていたとは思えないくらい、解放感のある広大な草地。山岳地帯なので農場の土地にも高低差はあったが、迫ってくるものがないというのはこんなにものんびり穏やかな気持ちにさせるものか、と思っていた矢先だった。
私たちと同じくここに泊まるのであろう子どもたちが、野菜を手に集まっている。ケージがあったので、何かいるのかな、と思い、私は近寄ってみた。茶色のウサギが十数匹、ケージの柵に鼻を近づけたり手を掛けて伸び上がったりしている。子どもたちは人参やらキャベツやらを優しく、ときにはからかうようにヒラヒラさせながら、そのウサギたちに与えていた。
「あげてみる?」
女の子が私に人参を1本分けてくれたので、そっとウサギの鼻先に近づけてみる。するとウサギは両手で柵を掴みながら、尖った前歯で勢いよく人参にかぶりついた。思ったよりも強い力だ。下手したら、丸ごとこの歯に持っていかれそうだ。私はウサギの歯圧に負けないよう、両手でしっかりと人参を握りしめた。
「このウサギは農場で飼われてるの?」
人参をあげながらカトリーヌに聞いてみたのだが、聞かなきゃ良かった。いや、いずれにしても知ることになったのだろうけれど。
「そう。私たちがいただくのよ」
ぎょっとして手を緩めた瞬間、ウサギは私の手から人参をもぎ取り、ケージの中に引き込んでバリバリとかじり続けた。
そうか。私は勘違いをしていた。農場と聞いて、田植えとか野菜の収穫とか、農耕のイメージを抱いていたけど、ファームにも色々あるよね。畜産農場ってこと?
このあと、私は敷地内に豚やら七面鳥やらを見かけ、何だかずずーんと息苦しい気持ちになった。ファーム体験って、命をいただくってことですか???そりゃ、私はベジタリアンではないし、お肉食べるけど、自分が口にするかも知れない動物と一緒に過ごすのはちょっとキツい。偽善者と言われようと何だろうと、気持ちがざわつくのだから自分でもどうしようもない。ふと、星野富弘さんの詩が頭をよぎった。
『そんなに急いで食うなよ』
あれは豚に対しての詩だったけれど、ウサギさん、お願いだから、私があげた人参、そんなにがっついて食べないで~!!!
その日の夜、私はビクビクしながら山小屋の食堂に座っていた。夕食の内容が気になって仕方がない。かつて、ヴァイキングの子孫であるファミリーのところにホームステイしていた際の夕食で、ウサギの頭蓋骨(&目玉)を提供されたときのことがよみがえる。あのときはサプライズだったけど、今回のように出されるかもしれないという状況も、相当心臓に悪い。
頼む!頼むから、出ないで~!
ミトンをはめた農場主のマダムが手付き皿を持ってくるのが見えた。アツアツのグリル料理なのだろう。
「さあ、うちのファーム自慢のグラタンよ!」
「ウサギは?ウサギは入ってますか?!」
マダムの説明を聞く前に、思わず腰を浮かせた私は、身を乗り出してマダムに確認していた。
「ああ、ごめんなさいね。今晩は野菜のグラタンなの」
申し訳なさそうに答えるマダムに対し、私はいえいえ、その方がいいんです、とむしろ喜んで答えていた。良かった……。あの子たちは入っていない!
マダムは不可解そうな顔をしていたが、私はやっと落ち着いて食事に手を付けることができたのである。
翌朝、朝日を見ながら散歩しようということになり、私たちはまた農場をブラブラすることになった。カトリーヌが硬くなったフランスパンを持っていて、
「馬にあげようと思って」
と言うものだから、焦った私はまた勘違い。
「馬は食べないよね?!」
桜肉を食したことのある人間が何を言うか?と言われそうだが、この農場で食べないのは犬と猫と馬(どうやらロバも)だと分かり、偽善者である私は口にしなくて済む動物とだけ触れ合い、このファームを去った。
その後、宿坊はなかったがシャルトルーズの修道院を訪れ、リキュール製造の工程を見学したり、都会へ戻り地方独自の昼食を食べたりしたのだが、その間マリーやカトリーヌから
「戒律の厳しい修道院では殺生をしないようだから、シホにはそういう方がいいのかもね」
だの、
「この料理にウサギは入っていないわよ」
だのとからかわれる羽目になった。
ファームにしろ修道院にしろ、理解を深めるためだったり、大切なことは何なのかを考えるために場を提供しているのだろうから、受ける側もそれなりの覚悟や姿勢で臨まなければならないと思う。でも、また同じような体験をすることになったとき、私は命をいただくことと真剣に向き合えるだろうか?やっぱり、心はざわざわするだろう。直視できない自分を俯瞰で見ている。まだまだ精神的に甘い自分を再確認する今日この頃である。