ある日、正しくはっきり伝えたい!

私のシホという名前は、母親が考えた。
‟自分の目標や周囲の人たちへの思いやりを持ち続けるように”という願いから命名した、と幼少期に聞かされた。私はこの名前が気に入っているし、こう名付けてもらえたことに感謝している。

日本で自分の名前の由来を説明するとき、先述の母の願いをそのまま話せばすんなり納得してもらえる。日本人同士、‟志”や‟保”のそれぞれの意味を理解しているからだ。
だが、フランス人に説明するとき、私は自分の名前の意味をきちんと伝えられなかった。
フェンシング体験をしたときは、参加者の一人から名前の意味を尋ねられ、答えようとしたところ、私が喋るのを遮って一人の女子高生が
「名前に意味なんかないんでしょ?」
と言い放ち、別の話題に変えてしまった。
「ちょっと待って、私はまだ何も言ってないでしょ?それに、名前には意味があるの」
とか毅然と言えたら良かったのだが、そのままうやむやにしてしまった。
また、インターン高校の教員部屋で名前の意味を聞かれたとき、今度は遮られることなく話をすることができた。私は名前の漢字についても伝えたかったので、ホワイトボードを使用し、
「SHIは‟志”と書き、意味はvolonte(意志)とかbut(目標)・prevenances(思いやり)で、HOは‟保”と書き、意味はgarder(感情などを持ち続ける)です。母が考えてくれました」
と説明した。
ところがこの説明が、誤った解釈をされてしまった。
今になって思うと、
「自分の目標や周囲の人たちへの思いやりを持ち続けるように、という意味が込められています」
と母の思いをそのまま話せば良かったのだ。
これは自分の責任なのだが、その場に居合わせた国語(フランス語)の女性教師が意地悪い笑みを浮かべながら、
「なに、それ?そういう名前にしたってことは、本人は心が保てないってこと?maladie mentale(精神病)かしら?」
と私に聞こえよがしに、隣にいた女性教師に呟いた。
本気で張り倒してやろうかと拳を握りしめたけれど、ここでも私は言い返したり訂正したりしなかった。

自分のことなのに、そして大切にしていることなのに、言われるがままに流してしまった。
思い返してみても、そんな自分が情けない。
じゃあ、今なら反撃できる?というと、やっぱり自信はないので、ここで心の声を……。
まず、女子高生に対して。
「私は自分の名前の意味をけっこう気に入っているんだ。あなたがあなた自身のことを気に入っているのと同じくらいにね」
次に、女性教員に対して。
「私のフランス語がうまく伝わらなかったようですね。でも、自分の子どもに悪い意味の名前をつける親がいると思います?そんなことも分からないなんて、本当に国語の教師なんですか?想像力を働かせたらいかがです?」


こんなことを相手に面と向かってはっきりと言う自分は想像できません……。

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