ある日、夏とか海向きじゃないんです

8月最終日。私が小学校低学年くらいだったときはこの時期、最後の絵日記を書き込んでいる頃だろう。宿題は早くもなく遅くもないタイミングで終わらせるタイプだったので、新学期に向けてのんびり準備できていた。
私はアトピー持ちで、汗でも乾燥でも酷くなっていたから、暑い・寒いといった気候の問題だけでなく、夏と冬があまり好きではなかった。とりわけ、汗が刺激となって掻きむしった痕がミミズ腫れし、赤く細い筋を身体のそこかしこに浮き上がらせていたので、夏のほうがより苦手だった。

アトピーのことを除いても、私はスイカやかき氷、盆踊りや海水浴といった夏の風物詩にほとんど食指が動かない。
スイカに関しては、小学生の頃、担任の先生からの
「スイカ嫌いな人はいる?」
という問いに、クラスの男の子が
「そんな人いる?いないよな~!」
と、某漫画の有名なセリフのようなことを言い、みんなウンウン頷いていたので、日和ったことがある(嫌いというのではなく、あまり食べようと思わないだけだし)。
海水浴に関しては、スイミングスクールに通っていたので、泳ぐのはいいのだけれど、海水の塩分がアトピーにしみるからイヤ。
そんな状態の私は、夏生まれの母や兄のように、夏の終わりが近づくと寂しくなるといった感覚には一度も陥ったことがない。

やがてフランスでインターンを経験する頃、私のアトピーは治っていたけれど、海水浴に行きたいとは思わなかった。だから、滞在する街からそう遠くないところに海があっても、泳ぐ気はないし、と日本から水着を持参しなかった。
フランス人女性は小麦色の肌を理想とし、夏になるとこぞって海へ出向き、肌を焼く(らしい)。日焼けはアトピーの大敵である。治ったとはいえ、私はこちらも遠慮したかった。
もしフランスで仲良くなった人たちから海に誘われた場合、水着がないと言えば、泳ぎも日焼けもムリだと納得してくれるだろう。個人主義と言われるフランス人のことだから、それ以上突っ込まれることはないはず、と私は考えた。
ところが、私の予想は大きく外れた。
チューターのマリーの友人であるカトリーヌの娘・フローレンスから海に誘われたとき、
「水着がないから、日光浴するくらいしかできないんだよね」
と軽く受け流した。
それでも、お天気が良さそうだから行こうよ、と言ってくれる気持ちが嬉しく、私は泳がない・焼かない前提で一緒に出掛けることにした。だが彼女たちは、私が水着を持っていないから、仕方なくそうするのだと理解したようだ。彼女たちの善意の勘違いによって、当日の私を待ち受けていたのは、フローレンスが小学生のときに着ていたスクール水着だった。
水着が嫌なら下着でもいいのよ、というカトリーヌの発言まで飛び出し、フランス人はそこまでして日焼けしたいのか?!と仰天した。私の海や夏(の太陽)に対する感覚とは、えらく違う。彼女たちのパワーに圧倒され、30代の私は、小学生のスクール水着でフランスのビーチデビューを果たしたのである(このときの話は、エッセイ本『ある日、フランスでクワドヌフ?』の、『ある日、水着は重要?』の章で書いています)。
※上3枚の左から、砂に埋もれるフェリックス・フローレンス・カトリーヌ。フェリックスはカトリーヌの甥(フローレンスのいとこ)。真ん中の写真の左端で寝そべっているのがマリー。下2枚は、マリーとカトリーヌが沖の方へ歩いているところ(右端の女性は見知らぬ人)。

あのとき、カトリーヌは浜辺でトップレスになったりしたし、他にもそういう女性がいたから、スクール水着の30代女性がいても、誰も気にしていなかったのかも知れない。でも、もう二度とやりたくないなぁ。
かといって、下着も断固拒否(トップレスよりかえって目立つ気がする)!
そもそも、私はやっぱり夏とか海向きじゃないんだわ、処暑を過ぎたのだから、早く涼しくなって欲しい~!と、この猛暑が落ち着く日を待ち望んでいる。

※このとき海水浴に行った、Saintes-Maries-de-la-mer(サント=マリー=ドゥ=ラ=メール)の様子。波は穏やか。

※帰りの車の中から見た空。

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