猫話~『タムねこにまっしぐら』を読んで~
毎月参加しているフランス語の会には、さまざまな方々が集う。料理に詳しい方、チーズに明るい方、映画や舞台に精通している方、ワインを熟知しご自宅で教室を開いている方、フレンチポップス愛に溢れる方、言語学の権威の方など、それぞれ異なる分野の話が聞けるので、興味深い。会はワインバーで実施されており、マスターはブルゴーニュワインに(というか、お話を聞く限り、それ以外のワインやお酒にも)造詣が深い。会のあとで提供されるマスターのお料理とワインも、参加者の楽しみの一つだ。
この会を20年ほど前に立ち上げたのは、博識で幅広い人脈を持つ編集者のYさん。フランス語も堪能で、フランス語の文章を、文脈に即したナチュラルな日本語にパパッと翻訳されている。私が同じだけ年を重ねたとしても、彼女の半分すら自分のなかに堆積していないだろう。浅学な自分が恥ずかしくなってしまう。
そんな私でも、Yさんと話題を共有できることがある。それが、猫である。
我が家のニャンズ4匹はすべて別の世界の住人になってしまったけれど、Yさん宅の猫ちゃんはご健在なので、ときどき話題に上る。誰でもそうだと思うが、自分のペット(家族)の話をするときは相好が崩れがちで、私はもちろん、Yさんも例外ではない。
飼い主にとって猫様の行為が良かろうとそうでなかろうと、うちの子があんなだ~こんなだ~と話をするときは、自然と口角が上がっている。聞いているこちらもほっこりした気分になり、うんうんと頷きながら笑みがこぼれる。
Yさんの人脈は猫に関しても広く、先日、『タムねこにまっしぐら』(いわさゆうこ著・株式会社展望社発行)という本をご紹介いただいた。いわさ先生の息子さんがご自宅に連れ帰って来た雌猫のオータム、通称‟タム(ねこ)”との17年間を、先生がつづった本。
17年間、と期間が区切られていたので、旅立ちについても書かれているんだろうな、私、絶対泣いちゃうな……と、読む前から悲しい気持ちになることを覚悟した。
私は動物との死別が描かれている物語や映画が苦手で、特に映像化されているものは頭に焼き付いてしまい、しばらく気分が沈んでしまう。フィクションですらそうなるので、これが実話やドキュメンタリーであろうものなら、ふと思い出したときにまた沈み込む。この気分に陥りたくないという理由から、それっぽい本や映画を避けたりしていた。
そんなわけで、今回は久々に、旅立ちについても描かれた本を拝読。
猫の動きのように軽やかで、テンポ良く進むいわさ先生の文章は、タムちゃんのそのときの行動を頭の中で想像しやすく、
「そんなことができたの?!」
とか、
「うちの猫たちもそうだったなぁ」
と、我が家のニャンズに重ねて、驚いたり共感したり。
ところどころでタムちゃんの写真が載っているのも、嬉しいポイント。
先生の文章でタムちゃんの育ちぶりや性格をイメージし、写真でタムちゃんの見た目の成長が分かることで、こんな猫ちゃんになったのね~!と、親戚のおばちゃんにでもなった気分になる。
第一章『出会い』と、第三章『タムねこと遊ぶ』に掲載されていたタムちゃんの顔写真を比較して、なんとまあ、貫禄たっぷりになったものだ、と感心したりもした。
タムちゃんがいわさ先生にまとわりついたのは成長期のほんの一瞬だった、と書かれていたが、我が家の雌猫・ブランは、うちの母に一生まとわりついていたので、母についた猫だった。タムちゃんはいわさ先生についた猫だったのか、いわさ家についた猫だったのか(我が家はブラン以外の3匹は家についたニャンズだった)?なんてことをちらりと考えたりした。
また、タムちゃんは旅立ちまで17年、我が家の雌猫2匹は20年だったので、ヒトと同じくネコも、雄より雌のほうが平均すると長生きなんじゃないかなぁ?家族にとっては、性別関係なく、長生きして欲しいものです!