ある日、日本へようこそ!~ミシェルの場合~
フランスを離れて数年、インターン期間中に知り合ったフランス人とはメールや手紙などで連絡を取り合っていた。現在、かれこれ15年以上が経過しているが、数名とはまだやり取りが続いている。中には、来日の際連絡をくれたため、日本で再会できた人もいる。
今回は、私が個人的に日本語を教えていたミシェルという女性の話をしたい。歳は恐らく50代くらい。白髪で背が高く、骨格のしっかりした人だった。フランス語の教師であり、鳥類の保護活動をしている彼女はとりわけ鶴が大好きで、北海道に丹頂鶴を見に行くという目標を持っていた。彼女はコミュニティセンターで日本語を習っていて、私がマルティヌ(インターン高校の数学教師)に連れられてセンターへ顔を出した際、個人授業を依頼されたのだ。
センターの日本語クラスは2クラスで、ユキコさんという現地在住の日本人女性が両クラスとも教えていた。ミシェルは初心者クラス・マルティヌは習熟度が高いクラスに所属しており、私はマルティヌのクラスにしか参加していなかった。ミシェルは、時々見かける私が高校で日本語などのインターンをしていることを知り、個人授業の話を持ち掛けてきたのだ。
「センターだと、分からないことがなかなか聞けなくて」
ミシェルは思慮深く控え目な女性で、授業の進行を妨げるタイミングでの質問はせず、授業が終わってから確認するタイプだった。だが、ユキコさんには小さなお子さんがいて、授業が終わると旦那さんがお子さんを連れてお迎えに来ていた。ミシェルはユキコさんのご家族に配慮し、あまり質問できずにいたようだ。
私は週1回を目安に、近所のカフェでミシェルと落ち合っては、分からなかった箇所の質問に答えたり、お互いのことを話したりしていた。
ミシェルは真面目な人で、どんなにガラガラな道でも、車の走行速度が指定範囲を超えることがなかった。後走車があおってきたりクラクションを鳴らしたりすることもあったが、その都度彼女は
「先に行きなさい!」
と窓から手を出し、追い越しを促すような仕草をした。
彼女は私を自宅にも招いてくれた。室内は家具も壁紙も真っ白で、物が整然と片付けられているため、視界に入るほぼ全てが平らだった。装飾もほとんどなかったが、寝室のベッド横に鶴の絵が飾られていたので、彼女がどれだけ鶴を好きなのかが理解できた。
料理もシンプルで、魚料理を振舞って頂いたのだが、自分の経験上一番の薄味だった。バターは1日何グラムまで・塩は控え目に、と言っていたので、ひょっとしたら彼女の身体の具合が関係していたのかも知れない。
そんなミシェルが、遂に来日を果たすことになった。彼女は目標通り、北海道へ丹頂鶴を見に行き、その後東京や京都のほか、永平寺に寄りたいようだった。当時、私はまだ実家暮らしだったので、東京滞在中は我が家に泊まってもらうことにした。
ミシェルが東京へ到着する日は平日だったが、私は仕事を休めなかった。だが、初めて来日した彼女が羽田から我が家に到達するのは至難の業だった。まず、人が多すぎる。先に北海道へ滞在したとはいえ、東京はあの長閑なミシェルの街では考えられないくらい人が密集しているし、彼女の性格から、人の流れについていけるか心配だ。次に、最寄り駅までの乗り換えが2回。もし誰かに道を尋ねたとして、外国人の問いかけに足を止めて答えてくれる人は多分そんなにいない。何とか最寄り駅まで来られたとしても、そこからバス。乗り場はごちゃごちゃと入り組んでいるし、そもそも電車の改札が左右に分かれているから、どっちに向かえば良いのか迷うだろう。そんなわけで、私は仕事を早退し、空港までミシェルを出迎えに行った。
再会を喜ぶのも束の間、ミシェルの大きな荷物を見て、私は電車で帰宅することをやめ、バスに切り替えることにした。
外国人のスーツケースって、どうしてあんなに大きいの?日本人の小さなスーツケースだって、エアラインの規定重量を超えることがあるのに、あれに色々詰め込んだら相当オーバーしそうだけど??
ミシェルの荷物のことはさておき、バス乗り場へ急ぐ。渋滞にはまるだろうから、時間的にはかなりロスになるが、帰宅時間帯のラッシュを考えたら、バスに荷物を積んでもらった方が楽だ。人混みや街中の段差も気になる。運よく、あまり待たずに出発するバスに乗れた。かなり長い時間を掛けて自宅近くに到着するまでの間、ミシェルは私がいなくなってからのことや、北海道での出来事を話してくれた。日本語クラスでは相変わらずあまり質問できていないこと、日本語で書かれた本を少しずつ読んでいること、ユキコさんのお子さんが可愛く成長していること、寒さに震えながら丹頂鶴の飛来を見たこと……。
やっとのことで我が家に到着したとき、ミシェルは「絶対、一人では来られなかった!」と溜息交じりに呟いた。家では母がいつ来るのかとソワソワしていたようで、フランス語でミシェルを歓迎した。それに喜んだミシェルが、日本語で挨拶を返し、少し和やかになったところで部屋へ案内する。いつもは父が使っている和室を空けてもらい、ミシェルに使ってもらう。彼女は和のしつらえを珍しそうに眺めていたので、食事の用意ができたら声を掛けると言ってゆっくりしてもらうことにした。
父が仕事から戻ってきたので、4人で食卓を囲む。母はニコニコしながら、「これはこういう料理です」とカタコトのフランス語で説明した。母は昔からバイタリティがあり、フランス語にも興味を持ってラジオ講座を聞いたりしていた。すんなりとは出てこないようだったが、コミュニケーションを取ろうとする気持ちはミシェルにも伝わったことだろう。だが、問題は父だ。あなた、仕事で海外とかにも行ったことありましたよね?何で一言もしゃべらないわけ??黙々と食事を続ける父にやきもきしてしまう。感じ悪いからせめて愛想よくしてもらえませんかね?!
食後、ミシェルが部屋に戻る際、父について謝罪すると、「日本男児ってあんな感じなんでしょう?それに、お父さんくらいの年の男性は寡黙な人が多いわ」といいように受け取ってくれていた。でもねミシェル、それは違うの。うちの父は普段まあまあしゃべるんです~!日本男児も様々なんです~!!
翌日、ミシェルは山階鳥類研究所へ一人で出掛けた。本当なら、フランスで色々な街を案内してもらったお返しに、私がついて行けたら良かった。だが、私の勤め先はすんなり休みが取れる状況ではなかったため、我が家から研究所までのアクセスを細かく記載し、ミシェルに手渡しておいた。その分、夕方は残業せず定時にあがり、ミシェルと母と3人で食事をすることにしていた。最寄り駅での待ち合わせに、ミシェルは遅れることなく現れた。研究所へは何とかたどり着き、日本の鳥類研究の様子を知ることができた、と嬉しそうだったが、疲れの色が少し顔に出ていた。
食事は豆腐料理のお店をチョイスした。個室で寛げることや、フランスでミシェルが薄味の食事をしていたことから、さっぱりした料理にした方が良いと思ったからだ。お膳も和のテイストがふんだんにあしらわれ、ミシェルは「どれも美味しいし、見た目も素晴らしい!」と一皿一皿を喜んでくれていた。行く先々にお付き合いできないのは申し訳ないが、ミシェルに日本を満喫してもらいたい!そう思っていた。
それなのに、その日の夜のことである。ミシェルの部屋から唸り声が聞こえた。私の部屋は和室の隣だったので、彼女の異変に最初に気付くことができた。何だか苦しそうだ。大丈夫かな……?しばらく声を掛けずに様子を窺っていたが、何度もトイレへ立つし、ずっとウンウン言う声が聞こえるので、襖をノックし、ミシェルに声を掛ける。
「ミシェル?具合悪そうだけど、大丈夫?」
彼女は「ウゥ」という返事なのか唸ったのか分からない声を発し、その後は私の問いかけに答えなかった。救急車を呼ぼうか?迷っていたところ、ミシェルが少し落ち着いたようだったので、朝になってから状況を確認することにし、私はそのまま床に就いた。
翌朝、彼女に様子を尋ねると、ずっと吐き気がしているという。全く同じものを食べた私と母に症状が出ていないことから、食中毒ではないようだった。取り急ぎ、かかりつけのお医者様に自宅へ往診に来てもらう。今までそんなことをしたことはなかったが、緊急時ということでお願いしてみたのだ。年配の男性医師は快く引き受けてくれ、すぐに駆けつけてくれた。ミシェルが話す症状を私が説明しているとき、彼は落ち着いた表情で静かにうなずきながら聞いてくれた。その後、脈を診たりミシェルの常備薬を見たのち、お医者様はミシェルに注射を1本打った。
「いつ打ったの?全然痛くなかった!」
ミシェルは医師の手際の良さに驚き、今まで打った注射の中で一番うまかった!と彼を褒め称えた。医師は「まあ、これで様子を見てください」と、心配ないという表情をしてくれたため、私も母も安堵した。日本でミシェルに何かあったら……。昨夜からのぞっとする思いから解放され、私はミシェルが元気になって、このあと京都や永平寺に行けますように!と楽観的になっていた。
だが、ミシェルはそんな考えにはなれなかったようだ。その日のうちに彼女は元気になったが、「心配だから、早くフランスに戻ってかかりつけ医に相談したい」と言い出した。帰国便のチケットは随分先日付のものだが、最短で変更できる日に変えて帰りたいというのだ。確か時刻は土曜日の逢魔が時ころになっていて、エアラインの電話が繋がるか、微妙な時間帯だった。案の定、エールフランスは時間外の録音メッセージになっていた。それなら、とチケットを購入していたエールフランスではなく、日系のエアラインに電話してみる。すると、係員の電話に繋がった。結果としては、その時間帯には電話でのチケット購入不可。WEBか窓口でご購入頂くようになります、と言われた。しかし、
「やっぱり日本のサービスは素晴らしいわ!チケットを持っているのに、フランスではメッセージを流すだけ。日本ではチケットを持っていないお客にも係員が丁寧に対応してくれるのね!フランスも見習ってくれればいいのに!」
と、またもミシェルはいいように受け取ってくれた。
翌日の日曜日、成田までミシェルを案内する。本当なら観光で日本を案内してあげたかった。それに、京都や永平寺も楽しみにしていた彼女が、私や母と食事した後に体調不良。何だか悪いことをしてしまったという思いが払拭できない。更には、公共交通機関での移動。まだ本調子ではない彼女を、雑踏の中、バスに電車にと連れ回す。羽田ほど乗り換え回数は多くないが、長時間掛かることには変わりない。全員が免許を持っているのに、今や兄しか車を運転できない家族。兄が出て行って以降、家には車すらない。私が車を運転できたら、電車での無理な移動を避けられたのに。本当にごめんね、ミシェル……。(いや、私が車を運転する方が危ないか……)
その後、ミシェルはフランスに無事帰国し、彼女のかかりつけ医からも問題ないという診断が出たようだ。疲労が蓄積していたことや、食べ慣れない食材で胃が受け付けなかったのではないかということだったが、いずれにせよ、申し訳ない気持ちになる。彼女は再来日していないが、次回は絶対にいい思い出を持ち帰ってもらいたい!彼女が望む時期にその機会が訪れますように……。