万博メモリー

大阪・関西万博が開幕した。
本日4月13日から10月13日までの184日間、人工島の夢洲(ゆめしま)で催される。

私が初めて博覧会というものを体験したのは、つくばの科学万博だった。父の勤める企業が協賛か何かをしていたということで、家族で訪れた。当時のことはあまり覚えておらず、日帰りだったこともあって、2・3のパビリオンをちょこっと覘いただけで終わってしまった。
当時の状況を調べてみたら、期間は184日間、今回と同じ日数で開催されていた。規模としては、つくば万博では48の国・37の国際機関・28の民間企業や団体が参加していたのに対し、大阪・関西万博では158の国と地域が参加するそうなので、40年の間に随分とスケールが大きくなったものだ。
開業したばかりのディズニーランドに行ったときも、体験できたのは2・3のアトラクションだった。その2年後につくばへ出向いたとき、あんな感じなのかしらと思っていたのだが、テーマパーク以上の混雑っぷりに驚愕した。パビリオンはA~Gのブロックに分けられていて、来訪者はパンフレットとにらめっこしながらお目当ての展示会場を探していた。確か、パビリオン間を行き来する近未来的な乗り物があったように記憶しているが、私たち家族は徒歩で巡った。
父に連れられ、関連企業のパビリオンを見るとはなしに見て回ったあと、じゃあ好きなところに行こうかと促されたものの、私はすでにグッタリしていた。到着するまでは、この企業のこんなものや、あの国のあんなものを見てみたいとワクワクしていたはずが、広大な会場と人混みに参ってしまっていた。
父はサラリーマンの務めを果たし、いつ帰ってもいいという雰囲気だったし、母は兄や私が行きたいのなら付き添うけれど……という空気をまとっていた。
パビリオン巡りは諦めたとしても、私には1つだけやっておきたいことがあった。それは、未来の自分に手紙を届けてくれるというサービスへの申し込みだった。とは言いながら、私はその申し込み方法を現地で確認すればいいと軽く考えていたので、どこに行けばそれができるのか、詳細を調べていなかった。
「サービスカウンターはどこかしら?この広い会場内で探すのは大変ね。人も多くて、すぐには対応してもらえないかも知れないし……。どうしても申し込みたい?」
諦めモードの母を前にしたことや、疲れ切って我を通す余力が残っていなかったこともあり、私は申し込みをしないという選択をした。その後、私たちは近場のパビリオンに申し訳程度に入り、万博を体験した気になって帰宅したのだった。

調べたところによると、私が申し込みをしたかった未来に手紙を届けてくれるサービスは、「ポストカプセル2001」という名称で、郵政省が行っていたようだ。万博内に設置された専用ポストに手紙を投函すると、16年後の2001年1月1日に届けてくれるという内容だったらしい。また、ポストカプセル郵便だと明記していれば、万博内のポストからでなくても受け付けていたようである。
私はこの手紙のサービスが目当てで万博に行ったようなものだったから(それなのに完遂せずに帰って来てしまったけれど)、どこからでも出せたのか、と今更ながらガックリしてしまった。いやいや、科学博で出して未来に届けてもらえるというコンセプトに高揚していたのだから、この情報を知っていたとしても、近場のポストからは出さなかったかも知れない、と自分に言い聞かせている。
また、つくば万博のお土産で、私は宇宙服を着たウサギのメダルを持っている。私は今日まで、このウサギがマスコットキャラクターだと思っていた。ところが、検索してみたところ、マスコットはコスモ星丸というキャラクターだった(全然見覚えがない……)。現在、このウサギのメダルは手元にはないけれど、実家を探せばどこかにあるはず。隣家からのもらい火で自宅が火事に見舞われたときも焼け残ったほど頑丈だ。科学博用に製作されたものだろうから、宇宙服並みの耐火性があるのかも(そんなわけないか)?
大阪・関西万博には、どんな展示があるのだろう?並ばないで済むシステムになっているということだったが、予行練習か何かでは長い列ができたと耳にした。私がつくばで体験したような混雑はないのかも知れないけれど、大掛かりな催しには、予想外のこともそれなりに起こるだろう。訪れた人が行きたいところに行け、体験したいことを体験できる万博になってくれればと願う。

※下の写真は、ポーランドを個人旅行した際に訪れたヴィエリチカ岩塩坑内の礼拝堂。旅行中に知り合った日本人女性は、2005年の愛知万博のポーランド館に展示されていた岩塩のシャンデリアを見て興味を持ち、旅行を決めたと言っていた。万博で広がる世界がある。

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