ある日、不自然な均衡
ニコに新しい彼氏ができた。
ニコは私がフランスでインターン期間中、個人的に日本語を教えていた生徒で、ゲイである。最初のうちは教材を使って家庭教師みたいに教えていたこともあった。でもそのうち、「こんなとき、日本語ではこう言う」と適宜文例を織り交ぜただけの、たわいもない話に終始するようになった。結局のところ、教師と生徒ではなく、友達になったのだ。たった数か月という短い期間だったが、ニコからは実に様々な体験をさせてもらった。とりわけ、彼の恋愛事情においては、私も多少(いや、かなり?!)振り回されることになったのだから。
ニコの話を聞く限り、彼は自分からグイグイ行くタイプではないようだった。ゲイバーなどに出向いては、お互いゲイかどうかをそれとなく確かめ、少しずつ距離を縮めていくらしい。私がニコの告白の現場に付き合ったこともある(『ある日、フランスでクワドヌフ?』の中で書いています)。
今回の新しい彼氏・ガビは学生で、ニコよりもかなり年下だったが、ガビの方からアプローチしてきたらしい。ジェイク・ギレンホールに似ていて、彫の深い顔立ちに黒髪。背はあまり高くなく、エネルギッシュな性格をしていた。金髪で長身・どちらかと言えば内に秘めるニコとはタイプが異なっていたが、美形同士お似合いに見えた。
ガビはその若さと性格から、爆発的に自分を表現していた。言葉には勢いがあり、議論好きなフランス人のなかでも、彼を論破するのは容易ではなさそうに思えた。外国人の私などは、彼の会話についていけないどころか相槌も打てない始末。ニコもガビとの話では聞き役になっていることが多かった。彼が同級生と話をする際、リーダー的な素質が顕著だったし、皆も彼に一目置いているようだった。ガビがこうしようと言えばみんな同意していたが、彼はそんな状況に満足していないようだった。張り合いのある何かを求めているような、でもそれが何か分からずイライラしているような、自分ではどうにもできない感情の高ぶりが態度にも見え隠れしていた。道路でいきなり大声を上げたり、軽口を叩いて笑っていたのに突然真剣な面持ちで議論を始めたりするので、周囲が戸惑うこともあった。突拍子もなかったり不自然に思えたりする行為ではあったが、彼はそうやって持て余している熱を色々な方法で発散させ、均衡を保っているようだった。私は彼が芸術家か政治家にでもなったら良いのではないかと思ったが、ニコはそんな先の話ではなく、今この時間をガビと過ごしたいと願っていた。
ガビは友達だけでなく、両親にもカミングアウトしていなかった。彼がゲイであることを知っていたのは、彼のお兄さんや彼の現・元彼氏とその周囲にいた一部の人間だけ。彼の性格からして、隠し事をするということはとてもフラストレーションが溜まっただろうと想像できた。ガビはガビで苦しかったと思うが、ニコはニコで苦悩していた。実家を離れ一人暮らしで、仕事をしていなかったニコは、周囲も時間もあまり気にしなくて良かった。だが、まだ実家暮らしの学生であるガビは勉学に勤しみ、進路を決めなくてはならない。家族や同級生に時間を割かなくてはならないこともある。
「今日も友達と出掛けるんだって」
ニコはときどき溜息交じりで私にそう漏らした。
「街中で会っても、他人行儀なんだよ。そりゃ、学校で変な噂が立つとまずいんだろうけど」
確かに、同い年くらいなら学校関係で知り合った人とでも言えば良さそうだが、年の差を考えると、兄弟でも親戚でもない男性といつも一緒にいたら訝しがられるのだろう。
「でも、別に女の子と一緒に出掛けなくても良くない?僕って人がいるんだからさ」
ニコの気持ちもわかる。でも、ガビがカミングアウトしていたとしても、遊びに行くにも飲みに行くにも、いつも一緒にいられるわけじゃないからなぁ……などと思った私は、今度はゆっくり二人でいたいって言ってみたら?と提案してみたのだった。
そんなニコの葛藤が、あるとき爆発した。
どうやら、ガビにもっと一緒にいたいと言ったらしいのだ。
「そうしたら、友達と出掛けるから一緒に来れば?ってことになってさ。同級生の付き合いに、年の離れた僕が一人で行ったら不自然でしょ?」
(ムム……。なんかイヤな予感が?!)
「だから、シホもついてきてくれない?」
「え~、私、ガビしか知らないのに、ヤだよ」
「僕だってそうだよ!それに、もっと一緒にいたいって言ってみたら?って提案したじゃん!」
「まあ、そりゃ、言いましたけど……」
この流れ、前にもあったような?!
「だから、付き合って」
はい、また来てしまいました。
こうして、私はニコに同伴して、ガビの同級生とのお遊びに付き合うことになった。
私が滞在していた2004年~2005年当時、フランスでは公共の場で、16歳から飲酒が認められていた(2009年以降、度数の高いものは18歳以上になったらしい)。そんな学生の遊び場と言えば、世界共通、お酒が飲めるクラブのような場所になるのだろう。だが自慢じゃないが、私は日本でもディスコやクラブを経験したことがない。ジュリアナ全盛期に高校生だった私は、同級生が扇を持ってヒールにボディコンで出掛ける姿を見て、未成年が入って大丈夫なの?という奥手堅物優等生的な発想しかなかった。
それなのに、今、私はフランスのクラブにいる。ガビ曰く、この街で若者に一番人気のクラブらしい。
(何が人気なの?音、うるさい!何言ってるか聞こえないんですけど!!)
ただただ大音量の音楽がかかった店内。飲み物を注文するのに声を張り上げ、何度も店員とやり取りしなくてはならなかった。樽のテーブルや無機質なカウンターなど、統一感のない内装も落ち着かない。趣向を凝らしたイベントをやるわけでもなく、お酒も一般的な種類を扱っているだけのようだったから、人気が出る理由がわからなかった。こんなお店に、立っているのがやっとなくらい人が密集しているのはナゼ??
(足、踏んでますけど?!謝らんのかいっ!)
いくら人気があったって、こんなところには来たくないぞ!と、恨めしそうにニコを探したところ、彼がカウンターから複雑な表情でガビを見ていることに気付いた。ガビはテーブル席に座って女の子を膝に乗せ、音楽に負けないくらい大声で笑っていた。
「カモフラージュだって言ってるけど、僕がどう思うか試してるんだ」
確かに、いかにも女の子と楽しくやってます、という雰囲気を醸し出してはいるものの、ガビもチラチラとニコを気にしているようだった。
(目の前でイチャイチャされたら誰だって気分良くないでしょうに……)
若い頃は残酷なことを平気でできたりするものだ、などと一人分かったようなことを思ってみたりしていたとき、
「シホ」
ニコが膝を叩いて見せた。
(それはなんのジェスチャーでしょう?)
またしても、すっごくイヤな予感。
「ここに座って」
(なに言ってるの、この人は?!)
呆れて口が開いたままになってしまう。
「なんで」
「いいから」
「イ・ヤ・で・す!」
何が何でもノン!という私の頑なな発言に、ニコは悲しそうにふうっと息を吐く。
「女の子とイチャイチャしてるところを僕に見せつけているんだ。僕だって」
(いやいや、アナタ、その発想おかしいでしょ??)
私はニコとイチャイチャなんかしたくないぞ!って、あなたもでしょうが、ニコ!!目を覚ませ!!!
それに、私がニコの膝に座ったところで、ガビは焼きもちなんか焼かないよ?!どうせならそこら辺にいるフランス女性に頼んだ方が……。
何だか私までおかしくなりそうだ。というか、ちょっとこのときおかしくなってしまった。
あまりにも悲しそうにガビを見ているニコに、わかったよ、という気分になってしまったのだ。
だが、本当に、ホントーに、止めておけば良かった!!!
ニコは脚の長いカウンターチェアーに座っていた。ニコも足が長い。私が彼の膝に座ってみようとしたとき、私の足では床までのリーチが足りないと気付いた。絶対、自分の体重をニコの膝にかけたくない!私はサドルの高い自転車に乗って停車したときさながら、必死に片足のつま先を床につけ、自分の体を支えていた。しかも、ニコは私に座れと言っておきながら(まあ、最終的に座ったのは私の意志ですけど……)、まったく私の体を支えてくれない。カモフラージュとはいえ、最初からニコは(私もだけど)イチャイチャする気などないのだ。だが、つま先だけだと、膝から滑り落ちそうだ。そこで私は、すっごく不自然な体勢で肘をカウンターにつき、身体を支えることにした。端からは、肘・腰・つま先3点が固定されたオブジェのように見えたことだろう。生身の人間が取る体勢じゃない!そして、私は何をやっているの???
私はすぐこの馬鹿げた行為を止めた。ニコは頼んでおきながら、何のリアクションもしてくれなかった。ちょっとは労ってくれてもいいんじゃない?(って、最終的には私が勝手にやったんだった)
その後店を出てから、ニコと私はガビと同級生のあとをトボトボとついていき、もう1軒行きそうな彼らと別れ、お互い黙って家路についた。
ニコがずっと悲しそうだったので気になったが、それよりも、私には気になることがあった。あのクラブは、若者に一番人気があると言っていた。16歳から飲酒OK。ってことは……?
「ねーねー、昨日一緒にいた男の人、彼氏?」
ガックリ。やっぱり、いたのね~!
私がインターンをしている高校の生徒が、予想通り、あのクラブにいたのだ。私はあのこっ恥ずかしい体勢を見られただけでなく、「シホにフランス人の彼氏ができた」という、間違った噂まで流される羽目になってしまった。学校で変な噂を心配すべきは、ガビではなく私だった……。
当時ホームステイしていたRDP家にも、高校生の三女と長男を通して話が伝わったらしく、ムッシューには
「どんな人なんだい?どうやって知り合ったの?」
など、父親のように心配されてしまった。私は「彼氏ではない」と否定したものの、「じゃあどうして膝に座っていたんだ」という質問を受けたらどうしよう?!と一人焦っていた。幸い、誰からも突っ込んだ質問はなかったので、私はみんながこの件を早く忘れてくれますように、と時の流れに任せることにした。
その後、ニコを通してガビと過ごすうち、彼の言動には驚かされたり不自然に思うことも多々あったものの、それが彼の処世術なのだと理解した。
「彼は若いからね。僕が大人になって受け止めるしかないんだ。それに、二人でいるときの彼は素直で優しいんだよ」
のろけを話すニコは幸せそうだった。ガビとはその後も順調そうだったし、丸く収まってくれたなら良しとしよう。とはいえ、私は二度と膝に座ったりしないからねっ!