ある日、宵よい散歩

釣瓶落としと言われる秋の日暮れ。薄明短し、あっという間に帳が下りてしまうものだから、黄昏時から宵に移り行く空の色をゆっくりと楽しめないのは残念だ。

日本で働いていると、この時間帯はまだ勤務中で、気付いたら真っ暗になっているということが多い。帰宅途中の道のりでとか電車内で、たま~に茜色・紅掛空色・瞑色などの空模様を眺めることができたとき、しんみりとしながらも解き放たれるような感覚が身体の中心からじわじわと湧き上がってくるのを感じた。
寂しい、けれど心地良い。
細胞が感覚に侵食され、内側から自分を客観的に見ているような気持ちになり、私の何かが変わってきているのかも知れないと思った。
それなのに、空に暗晦が広がってくると、この感覚は単に、明日も仕事があるけれど取り敢えず今日を乗り切ったという安堵感から来るものだろう、などと考えた。

フランスにいるとき、私はこの感覚に浸ることができた。時間的にも精神的にもゆとりがあったからかも知れない。日本よりも秋冬は日没が早いので、空の色の移り変わりを楽しめたのは主に春夏だった。とはいえ、夏は21時を過ぎても外が明るかったから、「こんな時間なのにまだ明るい!」とウキウキしたものだ。海外で夜間に女性の単独行動は防犯上控えたほうが良さそう、と寒い時分は大人しくしていた反動もあって、家にこもっているなんてもったいない、この時間を満喫しなくては!と心持ちがセミのようにせわしなくなり、しばしば宵の散歩に出掛けた。
日暮れが遅いものだから、私はときどき気が大きくなって、周囲が闇に紛れてからも「まだ大丈夫でしょう」と散歩を続けたりした。綿のようにぼわっと膨らんだ柔らかい光で石畳の道を照らすオレンジ色のライト、古い建物の前で影絵のように浮かび上がる噴水、人気のないテーブルにセッティングされたカフェのカトラリー。人も車も動きを潜めた街中で、通りの真ん中を闊歩してみたりする。輪郭がぼんやりとした景色は足取りまで夢心地にさせ、感覚に細胞が侵食されていく。
寂しい、けれど心地良い。
単独で来ているし、不安もあるけれど、私のことを知っている人がいない分、気楽でいられる。
行きも帰りもよいよい気分の、夜のお散歩。

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