ある日、そこのけそこのけヒツジが通る
パリ五輪の聖火リレーが始まった。テレビには、ひと目見ようと押し寄せた人たちと物々しい警備体制が映し出されていて、この花の都が何事もなくパラリンピックまでを終えられますように、と願った。
フランスでいくつかの行事を見物しに行ったとき、日本と同じくらい人出はあるのに、押されたりぶつかったりした記憶がほとんどない。私はその理由を、フランス人ができる限り不快な接触をしないように動いてくれているからではないかと考えている。聖火リレーやパレードなど、目の前を通過する催しを眺める人垣の中や、スポーツ観戦で入退場するときの人混みなど、彼らは前や左右との距離感を慎重に保っていたように思う。それでもぶつかってしまったときなど、彼らはすかさず「すみません」の一言を発していた。このような距離感に関しては、電車遅延で溢れ返ったホーム内や、満員バスに乗車したときなどにも感じられたので、周囲への配慮や、見ず知らずの人に対しても挨拶を大切にする習慣が身についているためだろう。
人間の場合は相手を尊重することができるけれど、動物の場合はそうもいかない。そう、移牧祭のヒツジのように。
インターン期間中の5月の日曜日、近隣の街でトランシュマンス(transhumance:移牧)があると知った私は、一度は見てみたかったんだよね、ラッキー!と、心の中ではしゃいでいた。
重ねて幸運なことに、当日は晴天に恵まれ、こりゃ絶好のお祭り日和りでしょう!と更にテンションが上がった。余裕を持って現着したつもりだったが、カフェ内や街中の通りにまで、私と同じように期待に胸を膨らませた人々が所狭しと集まっていた。どうやらこの日はお祭りだけでなく、牧畜用具の市が立っているようで、ごちゃっと並べられたカウベルなどを手に取る人がちらほらといた。マルシェの近くでは、牧羊犬なのか、眠そうに座り込むワンコもいた。
お祭りの開始時刻が迫ると、街中の通りの左右にずらっと見物人が並んだ。圧迫感があるなぁ、こんなところをヒツジたちが通過するんだ、横に逸れて突進してきたりしないかしら、と素人ながらの疑問が湧いてきたところで、カーブした道の端にパレードが現れた。若手の牧童や荷を背に積んだロバに続いて、ベテランと思われる羊飼いに引き連れられたヒツジの大群がやって来た。
首に付けた鈴や蹄の音、加えてヒツジたちの鳴き声が重なり合って、大層賑やかである。後続に押し出されるように前へ前へと進むヒツジはみな喘いでいるように見える。体高が同じくらいだから、顔が前方のヒツジのお尻に塞がれて、息苦しいのだろう。これ、フランス人だったら「押しちゃってすみません、すみません!」みたいなお詫び合戦になるかしら?なんてことを想像してしまう。しかも、彼らが通過した道には、大量のフンがまき散らされていた。自分の顔の前で用を足されたらホントに嫌だわ~!と、苦しそうな表情の意味を人間本位で考え、思わず私まで顔をしかめてしまった。
群れの中にヤギを入れるとヒツジたちが落ち着く、ということをどこかで耳にしたことがある。確か、ヤギは性質が穏やかで動きもゆったりとしているから、ビビリのヒツジが安心するということだったように覚えている。そのためなのかどうなのか、このパレードの中にもヤギがところどころ紛れていた。角が立派で、鹿かと思うようなヤギもいた。なるほど、結構なスピードで通過しているけれど、ヒツジが見物人やお店に突っ込んだりしないのは、ヤギがいてくれるお陰なのかも?!とパレード前に思っていた素人疑問に一人合点したのだった。
時間にして10~15分程度でヒツジたちが通過していき、その後、ササッと清掃が入ったのち、羊飼いの伝統衣装(と思われる)を身に着けた男女が点々と歩いて来た。私は、フンで靴や裾が汚れたりしないかしら(何せ、簡易清掃だったので!)とまた素人発想をした。しかし彼らにそんなことを気にする様子は見られなかった。今の時代はもっと軽装なのかと思ったけれど、ひょっとしたら普段からこの格好をしていて、フン汚れなど日常茶飯事なのかも知れない。彼らの中には、すでに何杯か呷ってきたんじゃないかと思えるような赤ら顔の男性が両手に花状態でゴキゲンに歩いて来たり、見せつけるように立ち止まってちゅ~する人もいた(帽子で隠していたけれど)。折角の伝統衣装を披露する場としては、アルルの衣装祭りほど盛大ではないし、ヒツジのインパクトが強かったので、群れより前に歩いてもらったほうが良かったのでは、などと考えてしまった。
今週末、スーパーで買い物中に、集団で買い出しに来ている若者がいた。お花見の時期は終わったけれど、すっかり初夏の気候だし、バーベキューでもするのかな、いいねぇ、とほっこりした気分になったのも束の間、
「あ、これ買おう!」
と、私が立っていた目の前の冷蔵扉を横からガッと開いた女の子がいた。
あ~、びっくりした!「開けます」とか、声くらい掛けてよ~、と、私が移動して隣にあった平置き食材を見ていたら、またしても
「これこれ、これ要るよね?」
と先ほどの女の子がぶつかる勢いで手を伸ばしてきた。
う~む、私はヒツジではないのですよ、それに、今この場にはヤギのように心を落ち着かせてくれる存在もいないし!
フランス人の周囲への配慮や、見ず知らずの人に対しても挨拶を大切にする習慣が懐かしい!と、眉間に寄った皴を平らにすべく、指でナデナデしたのだった。
※下の写真は、牧畜用具のマルシェで撮影した、伝統衣装を着た女の子。アメリカのホームドラマ『フルハウス』に出演していた頃のオルセン姉妹に似ていた。