ある日、みんなのファミーユ・ダキュイユ

ちまたの大学生はもう春休みを迎えているのだろうか?卒業旅行や語学留学で海外へ赴く人もいることだろう。かくいう私も、初めてフランスに留学したのが27年前の春休みのことだった。

大学の先輩から勧められた語学学校へ行ってみようと思い立った当初、私は滞在形式をステュディオにするつもりだった。見知らぬ人、しかも言葉や文化が異なる外国人のお宅での生活なんて、私は一生選択しないと思っていた。それなのに、斡旋会社へ申込書を提出するまでのおよそ1か月の間に、私はファミーユ・ダキュイユ、すなわちホームステイへ心変わりしていた。
フランス語を習いたいと5歳で思い立ってからその気持ちを大学進学まで温め、第二外国語を修了したあとは現地で学んでみたくなった。体育会の部活に所属しながらスキマ時間にバイトで資金を貯め、それを全額投資して(親からも工面してもらったけど)念願の本場へ行くのだ。少しでも効率よくフランス語を習得したいという思いから、ホームステイに切り替えたのだったような?私の人見知りはお金でどうにかなったのだったっけ?理由ははっきりとは覚えていないけれど、とにかく、くちばしで殻にひびを入れた出来事だった。
余談になるが、フランス語で若造とか青二才のことを‟le blanc bec(白いくちばし)”という。日本だとくちばしが青いとか黄色いとか言うけれど、国によって色の例えが違うのね、と覚えたのも留学中のことだった。ちなみに、このblanc becという言葉、女性に対しては使わない(はず)。女性陣は謙遜であっても
「私はまだまだblanc becですので」
とか言わない方が良さそうだ(そもそもフランスでは謙遜は美徳じゃないし)。

私のホームステイの話は、エッセイ本やこのサイトで公表してきているので、今回は私の周囲で経験した人たちの話をしたい。
27年前に同じ語学学校へ来ていた名古屋の女性2人組は、揃って同じ家庭へ送り込まれた。どこの出身、と聞かれて名古屋と答えたものの、ステイ先では長野と勘違いされたそうだ。その翌年には長野オリンピックが開催されることになっていたから、仕方のないことかも知れない。この冬季オリンピックで地名が知れ渡ってからというもの、フランス人が日本人サッカー選手を挙げるとき、「ナカタ・ナカムラ・ナガノ」と、しれ~っと言ってのけるようになったし。長野風花選手が代表入りするのは、もっとずっと後のことなのですが(フランス人で彼女のことを知っている人がいるとすれば、かなりのなでしこファン)?!それにしても、2人組も愛知ではなく名古屋と説明したんだ……。でも確かに、名古屋・横浜・神戸は、愛知・神奈川・兵庫より伝わりやすいような気がする(あくまで感覚的なものでスミマセン)。
この2人組は、学校でステイ先の出来事をちょくちょく話してくれた。レスト(フランス語で残った食事、つまり食べ切れなかった料理のこと)が味や形を変えて数日続いたりすること。夫婦喧嘩や子どもを大声で叱るところを自分たちにも平気で見せたりすること。ケンカの翌日には、旦那さんが奥様へお花とかケーキを買って帰って来て、やたらと機嫌を取ろうとしていることなど。
「2人一緒で良かったよ~」
「ホントホント、1人だったら耐えられなかった!目の前で夫婦喧嘩とか、やめて欲しいよね」
2人組の意見はもっともだ。私としても、もし初めてのステイ先としてこのご家庭に1人で迎えられたとしたら、ホームステイはもう二度としません!とマイナスイメージを持ってしまったかも知れない。アメリカなどでは、人格が円満かどうかとか人種による差別をしないかなど、受け入れ先の審査が厳しいという話を聞いたことがあるが、フランスはお金目当てで外国人を受け入れるケースもあるという。日本に詳しくなくてもレストが出てきても私は気にしないけれど、家族間のギスギスを見せられるのは困ってしまう。2人組は明るい性格で、ネガティブな出来事を笑い話にしていたからこそ、乗り切れていたのではないかと思う。

ヨーロッパ周遊中に語学学校へ通うことにしたメグミちゃんは、日仏カップルのご家庭にステイした。もともと旅先の宿として予約を入れていたそうだが、奥様(日本人)が卒業生で、話を聞いて学校にも興味を持ったそうだ。そのお陰で私はメグミちゃんと出逢うことができたし、ご夫婦のお宅に招いていただいたり、近隣を観光する際、私も誘ってもらったりした。あるとき、私が滞在していたローラ宅の電話が鳴った。ローラは不在だったので留守電にしていたところ、
「シホちゃん?いる??」
とメグミちゃんが呼び掛ける声がした。
「います、います!」
と私が慌てて受話器を取り上げると、電話口でメグミちゃんとご夫婦が笑っているのが聞こえ、
「いたんだ、良かった!明日、サントロペに行くんだけど、一緒に行かない?」
というのだ。サントロペには行ったことがなかった。セレブの避暑地という華々しい印象があって、何となく敬遠していたけれど、一度は訪れてみたい場所でもあった。私は即答でOKし、翌日ご夫婦の車で連れて行ってもらったのである。
ご夫婦は仲が良く、親切に接してくれた。私が人見知りであることを察したのか、2人とも色々と話し掛けてくれたり、奥様は旦那様の話を通訳してくれたりした。メグミちゃんはもうすっかり2人との会話に馴染んでいて、
「本当に仲がいいですよね~」
と冷やかすと、旦那様もメグミちゃんに
「メグミにも早くいい人が現れるといいね~」
と軽口を返していた。
車の中や街を散策しているとき、私たちは学校での出来事をご夫婦に話したりしたし、奥様も自分が通っていた頃の話を聞かせてくれたりした。奥様は私たちとそんなに歳が離れておらず、学校に通っていた時期も数年前のことだったため、共通認識のある先生の話ができた。奥様については、学校の先生方だけでなくローラも「あの学校に通っていた日本人がフランス人と結婚してこの街に住んでいる」と知っていたから、メグミちゃんと私は、「奥様はこの街の有名人なんですね」と冗談を言ったりした。
別の日に私がご夫婦宅へお邪魔した際、旦那様はあるトレーナーを見せてくれた。それは、日本好きの旦那様のために、彼の妹さんがトルコ旅行のお土産に買って帰ってきたものだった。そのトレーナーの柄(?)は洗剤の‟トップ”で、前にパッケージデザインが、後ろに使用方法や注意書きが印刷されていた。こんなものをトルコ人は欲しがるのだろうか、と何気なく眺めていたところ、誤字に気付いてしまった。これは日本人が作ったものじゃない、ここの文字は日本語にないものだから、などとメグミちゃんと2人で旦那様に説明したら、
「それは重要じゃない」
とちょっと憤慨していた。母国語の誤りを指摘せずにはいられなかった私たち。妹さんのお土産にケチをつけたかったわけではないのです。スミマセン。


奥様はお料理上手な方で、メグミちゃんは滞在中、フランスの家庭料理や郷土料理を大いに振舞っていただいたそうだ。宿泊者には「せっかくフランスに来たのだから」と土地ならではの料理を提供しているそうだが、普段は和食も作るのだとか。日本食好きな旦那様のためでもあり、ご自身も和食が恋しくなったりするのだろう。
食にも興味津々の旦那様は、日本滞在中、奥様のお母様と2人でスーパーに買い物に出掛けたそうだ。
「よく分からない食べ物とかあるでしょう?そういうときはお義母さんに、これは何ですか、ってたびたび聞いていた。そうしたらお義母さんは何も答えずに、それをカゴに入れていくんだよ。別に食べてみたかったわけじゃない。むしろ、尋ねたものはどちらかと言えば遠慮したいものだったんだ」
旦那様が困惑した表情を交えながら話すので、メグミちゃんも私も面白がって彼の話を聞いた。
「で、これは欲しくないぞ!と思ったものまで、お義母さんがカゴに入れちゃったんだよね。でも、断ったりしたら印象が悪いと思って、いりませんとは言えなかった。だから、家でそれを出されたとき、覚悟を決めて口に入れた」
きつく目を閉じ口を開け、恐る恐る食べる様子を再現する旦那様に、私たちは含み笑いが止まらない。
「で、どうなったの?」
「それがね、予想に反してとっても美味しかったんだよ!なんだ、これ、美味しいじゃない、ってね。すっかり好物になっちゃって、日本に行くときは毎回大量買いしてる」
そのとき旦那様がハマったのは、アロエヨーグルトゼリー。豆腐のような乳白色の代物に、角切りの透明な物体が見え隠れしていたので、最初は「なんだこれ、気味が悪い」と思っていたとのこと(笑)。目を見開いてバクバク食べるジェスチャーをする旦那様に、私たちは大笑いしたのだった。

メグミちゃんの滞在から20年近くを経た近年、このご家庭のことが日本のテレビで取り上げられたそうである。あのとき「奥様は有名人なんですね」と言ったことが現実になったのである。
残念ながら私はその放映を見ていないのだが、メグミちゃんの話によると、当時はご夫婦だけだったご家族に子どもが増え、ますます明るく活気のあるお宅になっているようだ。
私は殻にひびを入れてから、4家庭でお世話になった。良好な関係ばかりではなかったけれど、独り暮らしでは知ることのできなかった家族という集合体の中での生活は、くちばしの色を少しばかり変化させるだけの経験をもたらしてくれたと感じている。

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