ある日、パリ発オリエント急行
母がドイツのクリスマスマーケットを回ったのち、ミレニアムを迎える年始まで一緒に過ごすことになったため、2000年のクリスマスは留学中のパリのほか、ドイツとウィーンを周った。せっかくヨーロッパにいるのだから、フランス以外のクリスマスもどんな感じなのか見てみたいと思っていた。母との待ち合わせはベルリン空港になっていたが、旅行プランを立てるとき、私は列車での移動しか考えなかった。駅を出発するとき、徐々に上がっていくスピードと比例する高揚感や、車窓からの眺望に感じ入ったりする自分が、かつての列車旅から容易に想像できた。また、撮り鉄ではないものの、海外の車両には興味がある。アガサ・クリスティの名探偵ポアロシリーズ『オリエント急行殺人事件』に登場するような豪奢な内外装だったりしたら、非日常の空間になおさらテンションが上がりそうだ。この話を、南仏の語学学校で知り合ったオーストリア人のマーティンに話した(卒業後、週1回メールのやり取りをするようになっていた)ところ、
「市庁舎前のクリスマスマーケットには毎年ヴァンショー(ホットワイン)を飲みに行くんだけど、窓がアドベントカレンダーになって綺麗に飾り付けされるから、ウィーンにも大勢の人が集まるよ」
とのことだったので、どうせならオリエント急行に乗ってみるか、と思い立った。そこで私はウィーンに立ち寄ったのち、ベルリンへ向かうことにした(ウィーンでの話は、このサイト内『ある日、12月のウィーンにて(前)(後)』で触れています)。
トーマスクック時刻表(これ、2013年に名称が変わったんですね。私が最後にヨーロッパを訪れたのは2010年だったので、今まで知らなかった!)でパリ‐ウィーン間を探す。ORIENT EXPRESSと記載されていて、その時点ですでに興奮気味。終着駅がイスタンブールではなくなっていたし、ポアロが利用したような1人用コンパートメントは留学生が利用できるようなお値段ではなかった(確か1泊数十万円だったような?)から、私が乗るとしたらクシェット(簡易寝台)の3人部屋になるだろう。それでも、小説や映画に出てきたオリエント急行に乗るのだと想像しただけで、顔がにやけてしまう。
旅行は計画中が一番楽しいと言うけれど、どうやって予約したか覚えていないので、私も相当浮足立っていたのだろう。留学中だったから、パリの日本代理店にでも出向いたのだろうけれど、日本人と(あるいは外国人と日本語で)やり取りしたっけ?予約方法などをここで伝えることができず、口惜しい限りである(でも今は何でもWEB予約できちゃうから、アナログな予約方法とか必要ないですね)。最終目的地がベルリン空港なので、私はパリ‐ウィーン間は列車、ウィーン‐ベルリン間は飛行機を予約したのだった。
ここで少し余談となるが、旅行計画中に浮足立っていたのは海外だけにとどまらない。学生時代に釧路の友人宅へお邪魔する際、行程にかかる足は私が調べることになった。同行する友人たちと話し合い、行きも帰りも全て列車にした。往路でまず驚いたのは、東京‐釧路間に掛かった時間が、東京‐パリ直行の航空便よりも長かったことだ。ある程度長時間になることは予想していたけれど、
「ヨーロッパに行けちゃうね!」
と友人たちや釧路の友人ご両親も交えて笑い合った。
だが予想外(というか私の失態)だったのは、復路でのことだ。東京へ帰る前に札幌に寄って夜まで滞在したのち、函館へ向かう列車に乗ったのだが、それが鈍行だったのだ。ホームに入ってきた車両を見て、私は苦笑すらできず、ただただボーゼンとした。夜間だから座席で寝るつもりだった。寝台車ではないから横にはなれないだろうけれど、多少座席が後傾できれば寝られるかな、と思っていたのだ。それなのに……。この列車、椅子が直角でリクライニングとかできないんですけど?しかも、クッションも何も張られていない、むき出しの木製!
このとき見送りに来てくれた、友人の友達である札幌の人たちが、
「東京に出稼ぎに行きます、っていう人の見送りって感じじゃない?」
「ここで寝るの?大丈夫?」
と爆笑するやら心配するやら。
更にはこの列車、座席が直角なうえに向かい合って座るタイプで、1席の幅が150cmくらいのシートを1人で利用するようになっていた。友人たちは通路を挟んで私の反対側に座り、私の前には50代くらいのおじさまが座った。完全に横になることは難しいけれど、座ったままでは寝られなかったので、私は上半身をシートに横たえて目を閉じていた。しばらくして目を開けてみたら、おじさまが同じ状態で横になり、私のことを見ていた。叫びそうになったのを必死で堪えたけれど、かなりギョッとした。車内には電気が点いていなかったから、これが海外だったら襲われていたかも知れない(このときの私はそう思ったけれど、今になって思うと日本でもあり得る状況だ)。友人たちにも迷惑を掛けたうえ、怖い思いまでさせることになったかも知れない。いくら楽しいからといって、浮かれ過ぎてはダメだな、と身をもって感じたのだった(それなのにいつもまた同じことを繰り返してる……)。
いよいよウィーンへ向かう日がやってきた。パリの鉄道駅で、リヨン駅以外を利用するのは初めてだった。オリエント急行は東駅発、確か17時台だったと記憶している。前述の北海道旅行のときのような体験があったため、3人部屋の同室にはどういった人がやってくるのか、私は期待10%・不安90%くらいになっていた。クシェットの車両は、映画で見てきたような煌びやかな雰囲気は皆無だったが、車体に記載された‟WAGON‐LITS(ワゴン・リ:寝台列車という意味だが、オリエント急行の運行会社名でもある)”の文字やエンブレムを目にすると、やはり感慨深いものがある。
人二人がすれ違うにはお互いに身体を傾けなくてはならないくらいの幅の通路の一方にドアが並んでいて、もう一方は窓になっている。ドアは金属製だったので、クラシックな趣はなかったものの、造りは映画で見たオリエント急行と一緒だ。
予約した部屋をノックして、恐る恐る開く。早めに到着したので、中にはまだ誰も来ていなかった。入口左側にベッドが設置され、右側にはシャワールームと鏡台、入口正面の窓際には背もたれのない丸型のクッションソファーがあった。窓にはカーテンではなく、ロールスクリーンのブラインド(一枚張りだったと思うが、記憶が曖昧で、隙間のあるアコーディオンタイプだったかも)が掛かっていた。
オリエント急行の特別感を自分の中で盛りに盛ってしまっていたため、こんなものなんだな、清掃が完璧に行き届いた個室のユースホステルに来たみたいだ、と思ってしまった(このときばかりは、旅行は計画しているときが一番という意見に賛同する気持ちになった)。
ベッドは早い者勝ちでいいだろうか?一番下が楽でいいのだけれど、大柄な外国人が来たら、場所を代わってとか言われそう(そしてそうなったら性格的に断れない)。こんなことを考えていた私は荷物を広げることもできず、窓際のソファーに座りブラインドを15cmほど開け、ホームを行き交う人たちを見るとはなしに眺めていた。
発車時刻になっても、私の部屋にやってくる旅行者はいなかった。眺めていたホームが少しずつ後退し、華やかな街中から郊外へと車窓が移ろい始めた頃、ドアがノックされた。私は、間際に駆け込んで乗車した同室の旅行者がやってきたのだと予想して、ベッド下段に広げようとしていた自分の荷物を前に、溜息をついた。ドアを開くと、ぽっちゃりとした男性がニコリともせず立っていた。身長は私より少し高い程度で、黒だったか濃紺だったかの厚手の制服を着ていた。乗務員さんなのだろう。前ボタンを全部閉めていたから、背格好のこともあり、私は『銀河鉄道999』の車掌さんを連想した。私の頭の中のことなど知る由もない乗務員さんは、まずフランス語で挨拶をし、1枚の紙を私に渡すと、英語で説明を始めた。説明によると、それは朝食のオーダー表らしく、提供してほしい時間帯(3パターンくらいあったような?)や、食べたいもの(パンやジャムの種類を選んでとか、おかずは2品までとか言われた覚えがある)にチェックを入れ、書き終わったら通路の突き当りで待機しているから持ってきて、とのことだった。
オーダー表に記載されていた食事内容も、盛りに盛った特別感を打ち砕くには充分過ぎるほどシンプル(質素とも言う)で、はっきりとは思い出せないが、パンはハードかソフト、ジャムは4種類くらい、おかずは7~8種類くらいで、チーズ・ハム・ピクルス・サラダなどがあったかな?私は、サンドイッチのようにしてもいいかもと思って、パンはソフトタイプを、おかずはハムとチーズを選んだ。ジャムも2つ選べたので、一応、イチゴとブルーベリーにしておいた。飲み物はホットティーにした。これだと、一般的なユースホステルの朝食の方が、いいものを食べられるような……?
そうそう乗る機会があるわけではないのだから、食堂車にも行ってみたら良かったのだけれど、予約が必要だし、パリ‐ウィーンだと早朝に現着するため、ゆっくり時間を掛けて楽しむことはできないだろう(そもそも営業時間外だから、朝食のオーダーを取るのかも?)。夜は部屋で食べるために買ってきていたし、食堂車のディナーは街中の名の知れたレストランと同じくらい高級(料理も値段も雰囲気も)で、旅行中の私の格好はドレスコードにも引っ掛かりそうだ。
朝も夜も部屋で食事。個人旅行での私のありふれたパターンをオリエント急行でもやっているという現実に、計画中に想像していた華麗なる列車旅とのギャップを改めて感じたのだった。
そして朝になり、またドアがノックされ、今度は背の高い乗務員さんが陽気な笑顔とともにドイツ語で挨拶をし、朝食を手渡してくれた。プラスチックの食器とカトラリー、バターロールが2個に使い切りのジャム、薄いハムとチーズがそれぞれ2~3枚、そしてプラスチックカップでの紅茶。これがオリエント急行での私の慎ましい朝食だ。特別感は崩れ去ってしまったけれど、小説や映画に出てきた舞台の一端を自分も経験できたという満足感があり、どんな形であれ、乗ることができて良かったと思っている。
私が乗車した2000年以降、オリエント急行は運行区間をパリ‐ウィーン間に短縮したり(2001年)、パリ発ウィーン行き寝台車で火災が発生し死亡者が出たりした(2002年)。2年前に利用した区間・寝台車での火災・死亡ニュースは、他人事ではなく身震いした。その後、運行区間の更なる短縮を経て、とうとう2009年に廃止となった。
しかし、夜行列車‟ナイトジェット”として2021年にパリ‐ウィーン間の運行が復活したことや、パリオリンピックに合わせて2024年にオリエント急行として同じくパリ‐ウィーン間での運行が復活する(限定3本となるらしい)など、近年また注目されている。
機会があれば、今度はポアロが利用したような個室や食堂車で、優雅で贅沢な経験もしてみたいものだ。もちろん、危険な目には遭いたくない・とりわけ死亡事件はナシで!