ある日、旅は道連れ君はだれ?

あれは確か、パリ留学中のことだった。旅行で訪れたという、見ず知らずの日本人の宿探しを手伝ったことがある。

その頃の私は語学留学のため渡仏しており、数か月を南仏で過ごしたのち、パリへと移って来ていた。平日は毎日授業に出ていたから、見知らぬ人と街中で長時間話す機会があったとすれば、週末に一人で出歩いていたときだったのだろう。日本人だと認識して話をしたわけだから、それと分かる言動がその前にあったはずなのだが、どこでどう知り合い、なぜ話をしたのか、きれいさっぱり忘れてしまっている。
安宿を探していると言ったその男の子は、当時の私と同年代の20代に見えた。シベリア鉄道に乗ってヨーロッパへ入ったとのことだったから、諸国周遊する時間があるということは、学生だったのかも知れない。私のように仕事を辞めてきたという可能性もあるけれど、会話や金銭感覚が社会人を経験したことがある人のそれとは微妙に異なる、世慣れしていない慎ましさのようなものが残っていると感じた。
私はその時セーヌ川沿いにいて、バスティーユかマレ地区へ向かおうとしていたように思う。今いる場所に対する限られた知識と過去のわずかな経験を頭の片隅から引きずり出し、周辺の安宿の候補として、リヨン駅近くかサン・ルイ島にあると思うと伝えた。彼は、詳しくないのでそこはどういったところか、どうやったら行けるか、とか聞いてきたような、だから私も近くまで案内する、と答えたような。リヨン駅のほうは過去に泊まったことがあり(このサイトの『ある日、部屋選びの基準』でちらっと書いています)、いかがわしいショップや女性の立つ通りがあったことを思い出し、案内するにも彼のためにも(彼には余計なお世話だったかも知れないけれど)、サン・ルイ島へ行ってみますか、と勧めたように覚えている。

道すがら、サン・ルイ島のホテルについて質問され、かつて泊まろうと思って出向いたら満室だったため、私も場所しか知らないと答えた。
安いんですか?はい、他のホテルと比較して安いと思います。どんな島ですか?閑静な住宅街といった感じで、有名なアイスクリームやさんがあります。治安はどうですか?通りが碁盤の目のようになっているから分かりやすいし、普通に注意していれば危なくはないと思います。そうですか、良かった、海外だとちょっと疑い深くなってしまって。
私は心の中で、シベリア鉄道に乗ってヨーロッパ入りするなんて、そのほうがパリの街中よりよっぽど危険がありそうだと思った。今になって思えば、そこで何か危うさを感じたからこそ、慎重になっていたのかも知れない。
あとは何を話したんだったっけ?
ああ、そういえば、行き止まりのような場所に出てしまい、道を間違えましたと言ったら、本当に知ってるんですよね、大丈夫ですか?とか言うものだから、その言い方はちょっとどうなの、あなたより滞在期間は長いけれど知り尽くしているわけではないし、日本でも全ての道を把握しているわけじゃないでしょう?と心中で軽く憤慨したのだった。位置関係を東京で例えるなら(ざっくりですが)、目黒とか恵比寿辺りに住んでいる人が、たまたま出掛けていた新橋界隈で道を尋ねられ、霞が関近くまで案内しているようなものだからね?
とはいえ、歩かせている手前、ひとまず謝る。サン・ルイ島にはメトロ駅がないとはいえ、バスとか使えば良かったかな。海外一人旅ということで、身体だけでなく気疲れしていたかも知れないし。私のペースで来てしまってスミマセン。

ホテルに到着し、階段で2階のレセプションへ向かう。体重を掛けるとミシミシ音がする、緩やかに左へカーブした木造階段。踊り場に縦長の窓があり、薄暗い室内に眩しく光が差し込んでいた。
エレベータとかないんですか?ない、ですね。
安宿というだけで連れてきてしまった。今どきの無機質なホテルより、少しくらい古めかしくても温かみのあるホテルのほうが私は好みだけれど、私が泊まるわけではないのだから、ホテルの造りなどを説明しておけば良かったかな。
歩かせたうえ、更に疲弊させちゃったかも。ちらりと申し訳なく思う。
受付に出て来られたのは、50代くらいの金髪マダム。スレンダーな美人で、タートルネックセーターに膝丈のスカートというシンプルな装いの中に、品の良さが溢れていた。この辺りにある邸宅のご婦人みたい、いや、ここも昔は邸宅で、今はホテルにしてるんじゃないか、そんな想像が頭に浮かんだ。
幸い空室があったので、料金を確認する。確か、日本円で1泊1万弱だった。値段を聞いて、あれ、私が泊まろうとしたときはそれより低価格だった気がする、時期とかレートの違いかしら、これじゃ安宿とは言えないかも、ユースホステルとかのほうが良かったかな、などと不安になった。彼の様子をうかがうと、少し迷っている様子。
どうします?う~ん、そうですね……。他も当たってみますか?う~ん、どうしよう。
結局、彼はそのホテルに決めた。渋々だったとしたら申し訳ない、とまたちらり思う。
マダムがパスポートの提示を求めたところ、彼は一瞬躊躇したのち、おもむろに着ていたセーターのお腹をめくり、シャツをめくり、肌着の上にぴったり貼り付くように下げられていた薄型ポーチの中からパスポートを取り出した。マダムは後ろの棚を確認するような素振りでそれとなく背を向けたけれど、ゴメン、私はじっと見ちゃった。治安はどうですかとか海外だと疑い深くなると言った彼の人柄が、この厳重な防犯対策からも窺えた。
余談ではあるが、あのときのホテルは何て名前だったっけ?と調べてみたところ、思い当たるものがない。それに、安宿と呼べるようなホテルもない。ホテルではなく民宿とかウィークリーマンションだったのかしら?もしウィークリーマンションだったとしたら、現在、日本語で予約ができるらしい。便利になったなぁ~。

宿に案内できたことだし帰ろうとしていたら、お茶でも、ということで、ホテルの外で待つ。出てきた彼は荷物を置いて軽装になっていて、宿が確保できたことへの安堵感からか、表情がいくぶんか柔らかく、晴れやかになっていた。テレフォンカードが買えますよ、とタバコ屋へ案内したついでに併設カフェへ入る。私は飲み物をごちそうになり、彼の今後の予定とかを聞いたような、彼は私の学校のこととかを聞いたような、それじゃ、良い旅を、と別れ際に手を振ったら少し心細そうにしていたような。夕食とか大丈夫かしら、何だか置き去りにしたみたい、という罪悪感がちらり。気にし過ぎかな?
また一人になって、ふと気が付いた。お互い、名乗ってなかったな。
どこの誰とも分からない同士の日本人2人が、偶然パリで出会って街中を散策。ロマンスにでもなりそうな展開だが、彼も私も恋愛体質ではなかったようだ。

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