ある日、ストライキの行動原理

8月31日、大手百貨店としては61年振りとなるストライキを、そごう・西武の労働組合が決行した。賃金交渉を目的とした春闘に対し、労働環境や福利厚生の改善を中心に協議される秋闘はあまり知られていない。組合があるような会社では、環境も福利厚生も法に従って整備されているため、秋闘ではあまり成果を得られないことが多いようだ。それゆえ、秋闘に意義を見出さない組合員がほとんどだという。
成果が得られないという説を裏付けたという意味では、残念ながら今回も該当してしまう。しかし、意義を感じた労働者側が声を上げたこと、そのことにわずかでも心を動かされた人が少数ではなかったと思える気配があった。

フランスでは、休暇を取得するかのごとく当たり前のように、人々がストライキを決行する。意義とか心の機微なんてもっともらしい曖昧さで私が説明するまでもなく、そうしたいからするという率直な意思表示がフランスのそれには存在する。成果を得るためにはまず行動から、やらなきゃ何も始まらないでしょ?というシンプルな行動原理を、多くのフランス国民が実践している。
私がフランスに滞在した幾度かの期間、それは1か月~1年という長短があったのだけれど、ストライキに遭わなかったのは初めての留学1か月間のときだけだ。
フランスで外出前に気にしなくてはならないのが、天気予報よりもスト情報だと理解するのに、そう時間は掛からなかった。ラジオは必需品で、普段はM6とかNRJなどで音楽を聴いていても、外出前にはFI(フランス・アンフォ)でニュースに耳をそばだてていた。
一度、パリ留学中にメトロのストに遭い、15区の住まいから1区の学校まで徒歩で向かったことがある。バスに乗るつもりだったのだが、テトリスで消去されないブロックが画面を埋め尽くしてしまったかのように、車がパリの街中で大渋滞を引き起こしていた。バス停にも溢れ返る人・人・人。こりゃ、バスを待っていても乗れそうもないし、乗れたとしても動きそうにないな、と、歩いて行くことにしたのだ。メトロが麻痺するとこんなことになってしまうんだな、それにしても通勤通学の時間帯に合わせなくても!と、日本人的な忖度感情で物事を捉えていた。で、やっとの思いで学校に到着したら、授業ナシ。ここはフランスだもんね~。こんなときに授業なんてしないよね~!
出勤していた受付の女性に、
「ホント、日本人は真面目ね~」
と、憐れみとも呆れとも取れるような眼差しと一言を受け取り、
「フランス語もフランスも好きだけど、今日、ストが嫌いになりました」
と呟いたところ、
「傘を持っていなかったとしても、降っている雨に腹を立てる人はいないわ」
と返されたのだった。
スト行為は自然現象と同じ。フランス人が全員そう思っているわけではないのだろうけれど、そこまで達観できない窮屈でちっぽけな私。
それにしても、自然現象であれば、例えばフライトの欠航とかの場合、代金返金か代替便への振替をしてくれるけれど、語学学校では返金も代講もなかったような(これじゃ、ちっぽけじゃなくケチっぽけですね)?
それ以来、スト情報には注意を払い、通学前に公共交通機関のストが分かったら学校に行くのはやめよう、と心に決めたのだった。
ちなみに、授業ナシでガックリきたその当日は、すぐ自宅へ引き返すのもしゃくなので、学校で自習したり街中をブラブラしたのち、夕方バスで帰宅した。そのバスには、日本で満員列車の乗車に押し屋が使われるときくらい、つまりフランスでは考えられないほどの人がぎゅうぎゅうに乗車していた。私は最初ドアの端っこの方に乗り込んでいたものの、次々と乗り込んでくる人波で徐々に中へ移動し、縦にも横にも大柄な人たちに鮨詰め状態で囲まれ、過呼吸になりそうだった。降車の際、前をかき分けて進むことができず、もがくようにジタバタしていたところ、近くにいた東南アジア系の男性が
「降りる女性がいるから、前を開けて!」
と周囲に促してくれた。周りの人たちも、「ああそうなの、どうぞ」とか「気を付けて」とか声を掛けてくれ、私は息苦しいバスからもストがあった1日からも解放された。
こういうときの気遣いは有難い。日本では満員電車に乗って、2・3回降車駅で降りられなかったことがあったからなぁ。パリ留学も、降車駅で降りられなかったのも、どちらもうら若き頃の(自分で言うな)出来事である。
※当然のことながら、ラジオ局でもストがある。私がインターンでフランスに滞在していた2004年には、RF(ラジオ・フランス)でストがあり、2週間以上続いた。RFはフランスの公共ラジオ局であり、先述のFIなどを運営していて、通勤の車内などでニュースを聞いている人も多かったため、影響が大きかったようだ。当時はまだガラケーだったので、webサイトへの接続には時間が掛かったし、運転中簡単に操作できるような代物でもなかった(できたとしても危険運転で絶対ダメ!)。

フランス人にとって、ストライキが自然現象並みに当たり前であることを実感したエピソードが他にもある。日仏カップルのご家庭で、奥様(日本人)のご両親がお孫さんたちに贈ったものについての話を伺ったときのことである。
「子どもの日だったから、新聞紙で兜を作ったりしていたの。両親から届いていた荷物の中に、室内用の鯉のぼりが入っていたから、リビングの棚に差して飾っておいたの。そうしたら、長女が鯉のぼりを手に取って、新聞紙の兜をかぶり、『マーニーフェスタシオン!』って叫びながら部屋の中をぐるぐる行進し始めたの。長男もヨチヨチ、お姉ちゃんについて歩いて回って。まだ小さい子がストライキの真似事をしたものだから、いつ覚えたの?って、そりゃもう、びっくり!日本人の血も引いているけれど、そのときは、ああ、この子はフランス人なんだなぁって思ったわ」
―のぼりを見たらストライキと思え。―
そんな刷り込みが、フランス人の遺伝子には組み込まれているのかも知れない。

そごう・西武のストライキより遡ること1週間前の8月24日、東京のアテネ・フランセでもストが決行されたが、外国人労働者が発した声は、あまり取り沙汰されなかったようである。一方は大手百貨店として61年振り、もう一方は創立(1913年)以来110年目でおそらく初の‟現場の声”で、どちらも今考えるべき問題なのだと思う。それなのに、ここまで報道格差が広がったのはどうしてだろう。フランスでは毎年何らかのストが決行されているような状況にあるのに、どれも毎回インパクトを持って報道されている。
他人事にしてはいけない、やり過ごしてはいけないと思うことが、オナモミのように心や頭にひっついているのだけれど、時間が経つといつの間にか剥がれていってしまっている。オナモミは現在、絶滅危惧種に指定されているそうだ。昔はちょっと原っぱや草むらを歩いたら、身体にひっついていたものだけれど。当たり前に起きていた出来事が、当たり前でなくなってきたことにも気付いていなかった。
フランスのストライキは自然現象。オナモミ。絶滅危惧種。心や頭にひっつく事柄。成果を得るための行動。
私は、何か行動できているだろうか?

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