猫話~我が家のメグ~

来週8月8日は世界猫の日。日本ではニャン・ニャン・ニャン(2月22日)の猫の日と併せ、年に2回、愛猫家の間でちょっとした盛り上がりを見せる。
我が家のニャンズ4匹のうち、メグは20歳まで生きた。動物病院から長寿に関し表彰状をいただき、まだまだこれからも元気に過ごしましょうね、と祝った矢先、21歳を迎える前に別の世界の住人となってしまった。

メグは実家の庭に現れた1匹の外猫の孫に当たる。我が家ではその外猫を、毛色からグレイと呼んでいた。グレイは6匹の子どもを産み、とても慎重に育てていた。当時、実家の庭にはシュロの木が生えていて(植えていないので、野鳥か何かが種を運んだと思われる)、グレイは木と塀の間に子猫を隠していた。2階のベランダで洗濯物を干すときなど、ちらほらと姿を見せる子猫たちが可愛くて、私たち家族はよく眺めていた。グレイは子どもを見られるのが落ち着かなかったようで、私たちの視線に気付くと、薄暗くなってから子猫たちを1匹ずつくわえて別の場所に移動させていた。それでも何日か経つと戻ってきていたので、他よりは多少安全な場所と感じていたのだと思う。くわえた子猫が引きずられているんじゃないかと思えるくらい大きくなっても、グレイは場所の移動を繰り返し、子ども達を守ろうとしていた。そんな風に慎重に育てていても、最初6匹いた子猫は4匹となっていた。私たちは4匹が元気に過ごせるよう、仮の名前で呼ぶことにした。一番頼もしそうな様子の三毛は‟しっかり”、マリリン・モンローのように鼻の下にほくろがある三毛は‟ほくろ”、目がキョロキョロしている三毛は‟ロンパリ”、目ヤニが多かった二毛は‟目腐れ”。どうしてそんな変な名前にしたかというと、この子猫たちが生まれる前の年、私が釧路の友人宅へ遊びに行った際、アイヌの人々は子どもを病魔から守るため、変な名前をつけると知ったからである。
「それにしても、目腐れってあまりにもひどいんじゃない?」
と周囲からは言われたりもしたが、4匹はそれぞれ元気に育った。
メグは、そのなかの1匹・ほくろが産んだ子どもである。

グレイの子ども達は仲が良く、それぞれに産んだ子猫をみんなで育てていた。子猫は可愛かったけれど、外猫がこれ以上妊娠を繰り返さないよう、グレイと目腐れ以外の3匹には地域猫として避妊手術を施した。グレイは人を信用ならないと思ったのか、また、目腐れはケージを怖がって、2匹はその後寄り付かなくなってしまった。また、しっかりもそのうち姿を見せなくなった。ほくろとロンパリは、子猫が離乳するまで我が家の庭に残った。子猫が大きくなって我々人間から提供される食事を食べられるようになった頃、ほくろとロンパリも庭に現れる頻度が少なくなっていき、子猫だけが残る形となった。
メグは子猫の中でもとりわけ食い意地が張っていて、みんなにご飯をあげようとすると、
「それ、わたし、わたしの~!」
と他の子を押しのけて前へ出ようとしていた。また、食べ物しか見えていないようで、お皿めがけて突進してきて足元がおろそかになり、テラスの端から庭へ落っこちるというヘマをしょっちゅうやらかしていた。そもそもメグが家猫になったのも、この食い意地によるものである。
私は出掛けていたので後から聞いた話だが、子猫がご飯を食べている最中、兄が触ろうとして手を伸ばしたところ、他の子猫は怖がって隠れてしまうのに、メグだけは食事に夢中であっさりと捕まってしまったそうだ。兄が首根っこを持ち上げたところ、
「これは離さない!」
と口いっぱいにキャットフードをくわえたまま捕まったという。
「こんな不用心な子は外で生きられまい」
と、そのまま家に入れたそうだ。私が家に戻ったとき、メグはソファーのクッションの後ろに隠れて身体を小さくしていた。食事に関しては目の色を変えるけれど、性格は穏やかで、そのときも怖がっている様子ではあったが威嚇したりはしなかった。

大きくなってからも食いしん坊は相変わらずで、私たちが食事をしているといつも真横に陣取っていた。そして、料理が並ぶとテーブルに手を付き、2本足で立ってお皿を見渡し料理を物色したり、そろ~っと手を伸ばしてこっそりいただこうとしていた。ときどき口の中にまで手を突っ込もうとするものだから、私たち家族が、口の端に掛けられたメグの手の毛でむせたのは1度や2度ではない。
穏やかな性格もそのままで、ニャンズ同士ではたま~に威嚇することもあったが、人に対しては威嚇だけでなく、ひっかいたり噛んだりということもなかった。
メグは子猫の頃から私たち家族の前ではダランとした姿を見せてくれていたけれど、お客様に対しては警戒心を解かなかった。ハナは人好きする猫で、来客があると出迎えようとする一方、メグは玄関チャイムが鳴った途端、テレビとかソファーの裏側に隠れてじっと動かなかった。というより、ハナが特別で、他のニャンズはみな、家族以外には姿を見せようとしなかった。メグの従姉弟であるサスケ(ロンパリの子ども)も、来客があると姿を隠していたし、ブランもメグの上に折り重なるようにして隠れていた。メグとブランは同じ雌同士で年が離れていたこともあり、普段はそんなにベッタリした関係ではないのだが、隠れるときはお互い嫌がりもせず同じ場所でじっとしていた。
一度、親戚の慶事がありペットシッターさんに依頼してニャンズのお世話をしていただいたことがあるのだが、シッターさん曰く、
「他の猫ちゃんは大丈夫ですが、メグちゃんはいざとなったら『窮鼠猫を噛む』タイプかも知れません」
とのこと。猫の例えに鼠か、とそのときは笑ってしまったのだけれど、どうやら、食事の最中にシッターさんと鉢合わせしてしまい、やんのかポーズを取ったらしい。
ご飯を前にすると隠れるのも忘れてそんな風になっちゃうのね、とメグの食への情熱に感心するやら呆れるやら。
「済みません、どうも、食い意地が張っておりまして……」
という、何ともマヌケなお詫びをしたのだった。

メグの、「やるときはやる」といった態度はほとんど食事が関わるときだったけれど、たま~に野生を思い出したかのように、活発になることがあった。猫あるあるの壁走りは他のニャンズもしていたけれど、壁蹴りからの反転(壁に向かって飛び、その壁を蹴って身体の向きを空中で180度反転させる)をしたのはメグだけだった。よく食べるからぽっちゃりさんになったメグが、そんな機敏に動けるなんて!と、その動きを見た母と私は仰天したものだ。
また、猫じゃらしのような遊具には素早く反応し、強烈な猫パンチを繰り出していた。こちらとしては遊び甲斐(遊ばれ甲斐?)があるのだが、上下左右の動きにいちいち手を出すから、持久力がない。しかも大振りなので、肉球の間を遊具がすり抜けていき、なかなか捕まえられなかった。動きをじっくり観察してから行動するサスケなどは、メグの大振りの被害に遭い、よく叩かれていた。動きを見切ったサスケが、猫じゃらしの先端ではなく、動かしている私の手を止めにかかり、遊具を奪取する横で、メグは疲れて既にゴロンとしているのが常だった。

晩年のメグはかつてほどの食欲を示さなくなっていたものの、歯がなくなってからもカリカリを丸飲みして食べるなど、食いしん坊キャラ健在で私たちを和ませてくれた。他のニャンズとは異なり、毛玉でも食事でもほとんど吐いたことがなかったので、
「吐くのも勿体ないと思っているのかもね~」
などとからかっていたものだ(本人は分かっていなかっただろうけれど)。
耳が遠くなってからは、来客があっても隠れ回ることがなくなった。よく食べることや、隠れるというストレスから解放されたことが、長寿の一因だったのではないかと思う。
今はブランが20歳で、21歳を迎えるべく、1日1日を過ごしている。メグやハナ・サスケの分まで、1年でも、1か月でも、1日でも、長く元気でいられますように。メグのときの経験が、今の糧になっている。

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