猫話~ビッグママ宅のバブー~
フランスでは犬や猫を飼っている人が多い。一軒家に限らず、アパートでも多頭飼いしているご家庭があったりする。フランスの法律では、家主に相談しなくてもペットを飼うことができるからだ。ペットも家族の一員、という「自由・平等・博愛」を掲げるフランスらしい制度だなぁと思う。とはいえ、同じ釜の飯ならぬ、同じ鍋や皿でワンちゃんに食事をさせていたご家庭には、衛生面で多少まごついたことがあったのだが。
フランスで4家庭にホームステイしたことがあるが、2家庭で猫を・1家庭で犬を飼っていた。ちなみに私は、うさぎ→犬→猫の順で一緒に暮らしてきた子たちがいる。多分、この子たちのことも今後話をすることになると思うのだが、今回はフランスにまつわる話として、初めてのステイ先にいた猫ちゃんのことについて話したいと思う。
人生初のホームステイ先であるビッグママ(エッセイ本で紹介しているが、娘が母親のことをこう呼んでいた)宅には、バブーという長毛の猫がいた。まだフランス語に馴染んでおらず、ビッグママとも娘とも気の利いた話どころか片言の会話しかできなかった私は、バブーとコミュニケーションを図ろうとした。でも、バブーは家族以外には懐かず、あまり姿を見せなかった。
バブーは家猫で、自由に外へ出られなかったが、1日に何回かは家族におねだりしてちょこっと外出していた。ドアの前で「お散歩したいんですけど」などと鳴くのだが、ダメなときは「今は無理よ」とか「もう遅いでしょ」などと却下されてしまう。OKのときはビッグママか娘がドアを開けてくれる。そんなとき、バブーは「やっほ~い!」とばかりに喜び勇んで飛び出すが、数分で「バブー!」と呼び戻される。すぐに戻らなければ何度でも名前を呼ばれてしまうから、「はいはい、わかりましたよ」と渋々家へ引き返していた。箱入りだったバブーは、わずかな時間、家族の許しを得て外の世界を見る。きっともっと長い時間、広い世界を見てみたいと思っていたことだろう。……などと想像していたら、私がその機会を与えることになってしまった(長い言い訳)。
語学学校の最終日に、生徒たちでお別れ会をすることになり、私もクラスメイトと一緒に近所のスポーツバーへ繰り出した。小さな街で、娯楽施設もあまりなかったから、貸し切りなんじゃないかと思うくらい、学校の生徒で溢れていた。ちょうど日本対韓国のホッケーの試合が放映されていて、接戦だったのだが、韓国の選手がゴールを決めた。私の近くにいた韓国人の生徒が「いいぞ、韓国!」と声援を送り、「ま、韓国の方が強いんだから当然か」と私を含めた日本人をからかって煽った。欧米の男性が「え、君たち、同じ国の人じゃないの?」などと言ったものだから、日本と韓国でお互いのいいとこ自慢(ときどきけなし)が始まった。広島県出身の女の子が、「シホちゃん、お酒ではこがいなもんに負けられん!」とか言って、小柄な韓国女性とワインを酌み交わしながら議論を始めた。余談だが、私はここオーヴェルニュ地方に滞在中、ワインで悪酔いしたことがなかった(この地方以外では、それなりに……)。なので、彼女たちの議論には加わっていなかったのに、「お酒大丈夫でしょ?」とワインだけ勧められ、長い間議論の(飲み比べの)行方を見守ることになった。
議論(飲み比べ)の結末は覚えていないが、翌日ステイ先をおいとますることになっていたので、私はそれなりに早い時間に切り上げてスポーツバーを後にした。とはいえ、深夜近かったので、ステイ先のドアを開けるときには音を立てないよう、慎重になっていた。ゆっくりと2回鍵を回し、半分戻して押しながら少しずつドアを開ける。
(良かった……。静かだ)
中は真っ暗で、静まり返っている。そのとき、私のふくらはぎ辺りをさらり、と何かがかすめた。
「ギャッ!」
思わず小さな叫びが口から洩れる。慌てて家の中の様子を窺うが、誰かが起きた様子はない。
(ひょっとして、バブー?)
そうだ、あれはバブーのしっぽだ。鍵の音を聞きつけ、「なんだなんだ?」と見に来たら、ドアがゆっくり開くから「やっほ~い!」と飛び出したに違いない!
「バブー!戻って!バブー!」
私は小声で呼び掛けながら、バブーが戻って来るのを待った。だが、30分待っても全く戻る気配がない。おそらく、つたないフランス語の呼び掛けに、「なんて言ってるかわからないも~ん」とか、「家族以外の人の言うことなんて聞かないよ~だ!」と、意に介していないのだろう。あるいは、こんな夜更けに出歩いたことなどなかっただろうから、「夜の世界ってた~のし~い!」とあちこちの塀やら庭やらを闊歩しているのかも知れない。
(どうしよう……。ドア閉めちゃったら入れないよね?)
猫は出入りの際、出た所からまた入るという。私がドアを閉めてしまったらバブーは中に入れず、「お~い、開けてくださ~い!」と外でジタバタすることになってしまう。他に開いている場所を探そうにも、ビッグママ宅は防犯対策を万全にしていたから、バブーが入れそうな隙間などはないだろう。私も、鍵が開かなくて入れなかった家がここでなくて良かった。……って、これは別のときの話。
ドアを開いておくべきか?いや、不審者に見られて侵入されたらおおごとだ。続けて呼び掛けてみたが、やはり戻って来る気配はなかった。とうとう私は仕方なく、ドアを閉めてそろりそろりと部屋へ戻った。バブー、大丈夫かな……。
翌日、滞在中のお礼とスーツケースを持って階下へ降りた私は、階段下で眉根を寄せ、バブーを抱き抱えたビッグママと目が合った。
「シホ?バブーが外に出ていたのだけど、あなたどういうことか知ってる?」
おはようの挨拶もなく、彼女は私に切り出した。
「はい、あの~」
「あなたが外に出したの?」
「いえ、それは……」
(「出した」のではなく、「出て行った」んです)
「ドアの外で鳴き声がするから開けてみたらバブーがいるじゃない。かわいそうに、夜の間外にいたからすっかり冷え切ってて」
バブーは「楽しかったけど、家に入れなくて困ったよ」とでもいうように、ロンパった上目を私に向けた。
(呼んでも戻って来なかったじゃないか~!)
私は二の句が継げず、何とも気まずいまま、ステイ先とお別れすることになったのである。
バブーが帰ってきてくれたので良かったが、あのまま行方不明になっていたら大変だった。いろいろな国の人を迎えていたビッグママ宅で、日本人だけ出禁になっていたかも知れない。ビッグママや娘に相談して、一緒にバブーを探した方が良かったのだろうか?どうしても、他人の夜の眠りを妨げるということに抵抗を感じてしまう(そのせいでこの数年後に同じようなことを繰り返しているのだから、学習しないヤツ……)。
家族の一員は種を超えて何物にも代えがたいのだ。それはきっと世界共通だろう。そうであれば、睡眠を邪魔されたとしても気分を害したりしないかも知れない。いずれにしても、私はステイ先にさまざまな迷惑を掛けてきたんだよなぁ、今後ホームステイするときには家族だけでなく家族の一員にもソツなく振舞いたい!と反省&決意(その予定は全くありませんが)。