好みのフランスパンを求めて

何度か渡仏するまで、私はフランスパンがあまり好きではなかった。母がお菓子やパンの講師だったこともあり、できたて・焼きたてを味わえるのは私の人生で幸運なことだったし、その瞬間はまさに至福のひとときだった。だが、「今日はフランスパンを焼くわよ」と言われたときだけはテンションが下がった。クロワッサンやブリオッシュのときは、オーブンの前で焼き上がりを今か今かと待ち構えているくせに、あの長くて硬いこん棒みたいな代物に関しては、「できたわよ」と声を掛けられても積極的に手を伸ばそうとはしなかった。母は60~70cmほどのバゲットや、それより太く短いバタールを1回につき4・5本焼いていた。生徒に教える前の手順や出来上がりの確認などを兼ねていたので、母はクープ(表面に入った切れ込み)が浅い・深いに始まり、皮の焼き色が薄い・濃いとか、中の焼き加減などを入念にチェックしていた。私の役目は生徒目線で客観的な意見を伝えること。母は出来が良かったものとそうでないもの、両方を私に比較させ、具体的な感想を求めた。これがクロワッサンなら、表面の焼き色がいいとか巻かれた層が綺麗に出てるとか、分かりやすい普通の(当たり障りがない)感想で母もまあまあ納得してくれる。だが、フランスパンに対しては、どう感想を述べたらいいものか子どもながら迷う部分があった。母は、皮の食感や中の密度はどうかとか、美味しいならどう美味しいのかといったことを聞いてくる。小学生だった頃の私の意見としては、
バゲット:皮がバリバリ・中身は気泡が多くてスカスカ・食べる部分が少なくて味気ない
バタール:皮がしんなり・中身はややフカフカ・ちょっと頼りない
だったので、こんな風に思っているということを、親とはいえそのまま伝えていいものか?と思っていた。フランスパンの知識が皆無だったし、菓子パンの類の方が好きなお子ちゃま口だったので、そのまま伝えたとしても問題はなかったのだろうけれど。

フランスパンに対するマイナスな先入観を持ったまま、私は初めてのホームステイ生活に入った。そのお宅では、朝の食卓にカフェオレボールと、保存袋に入れずさらけ出されたままのバゲットが置かれていた。バターやコンフィチュールの類はなし。どうやら、ご家族は朝食をコーヒーだけにしているようだ。バゲットはギザギザ刃のパン切りナイフで食べる分だけ切るのだが、これでもかと皮が飛び散る。木工細工を削っている気分。かけらが目に入った日には、まつ毛などとは比べものにならないほど痛い。そのまま口に入れたら切創ができそうだ。私はカフェオレボールにコーヒーを満たし、バゲットを細かくちぎって浸しては食べていた。当時20代前半、フランスパンはまだ『あまり美味しくない』ものだった。

2回目のホームステイでも、朝はバゲット。このお宅ではバゲットを布に包んで保存していたが、バリンバリン度合いは1回目のステイ先と大差なかった。バターや手作りコンフィチュールが用意されていたので、味気なさは解消される。だが、お供はたっぷりコーヒーではなくエスプレッソ。しかも、電動マシーンで淹れるのではなく、コンロにかけて抽出するタイプだった。学校へ行く前だから何度も淹れる余裕はない。大抵の場合、飲めて2杯だった。あのちっちゃなカップ1杯を乾燥しきったバゲットのお供にするには、口腔内の水分が心もとない。エスプレッソを飲み干してもなお残る口の中の硬さと乾き。20代半ばとなっても、フランスパンを美味しいと感じるには至らなかった。

私の感じ方が変わってきたのは、フランスで2回目の独り暮らしに入った頃だった。朝食にしていたコーンフレークがなくなり、さて、買い足しに行こうか、とブラブラ街中を歩いていたときだ。とある店から出てきた女性が、手にしていたフランスパンを歩きながら食べ始めたのだ。目を細め幸せそうに頬張る姿を見て、私も食べたいという思いが突如湧き上がってきた。彼女が出てきたお店はパンやさんで、ガラス窓から見える店内には人がごった返していた。横長の店の左端にあるドアを開け、中に入る。2階はイートインになっているようで、軽食を載せた盆を持って階段を上ろうとする男性が目に留まった。右側の列は店内を利用する人たちで、テイクアウトの人は左側の列に並んでいるようだったので、左最後尾に並ぶ。店員さんがショーケースの後ろで注文を取っている。人が多くてショーケースの中は見えない。店員さんの背後の壁に沿って置かれているバスケットには、バゲットやパン・ド・カンパーニュなどが装飾の一部であるかのように配置されている。少しずつ列が前に進み、ショーケースの中が見えてきた。クロワッサンやパン・オ・ショコラ、パン・オ・レザンのほか、フランスパンのサンドイッチやキッシュ、タルト類が並んでいた。普段なら食事パンには目もくれず、ショーケースの中のものを選んでいるところだ。かつて1度だけ、初めてのフランスでポワラーヌのパン・ド・カンパーニュを衝動買いしたことがあったが、バゲットやバタールは買ったことがない。
(えっと、あの女性が持っていたのは……)
幅はバゲットと同じくらいだったが長さはもっと短く、30cmくらいだった。皮はバリバリよりソフトな感じだった。そうするとフィセルじゃないなぁ。バタールだろうか?いや、あの女性のはもっと細かった。フルートだと細すぎる。壁際を見ても、それらしきパンが見当たらない。徐々に注文の番が近づいてくる。いったいあのパンは何だったんだ?と焦ってきたとき、私の2人前くらいの人が
「ユヌ・ドゥミ・バゲット、シルブプレ」
と注文し、店員さんが頷いてバゲットを取り、ナイフでガシガシと半分に切った。
(あ、なるほど。半分で買えるのね!)
それならあの女性が持っていたものと同じくらいのサイズになる!
自分の番が回ってきたとき、同じ口調で注文してみたところ、店員さんは先ほど半分に切った片割れにペーパーナプキンをくるっと巻き、私に手渡してくれた。
まだ温かい。皮はパリっとしているが剥がれるほどではない。中の気泡は少な目で、詰まっている方だ。母の作っていたバゲットとは趣が異なっていた。ちぎるとき、むぎゅっと多少力が入る。弾力のある生地。ひとかけらを口の中に入れると、柔らかいのにすぐ潰れることなく、上下の歯の間で伸縮している。
(これがフランスのバゲットかぁ~!)
なんだ、私は本物を知らなかっただけ?母のは本場のと違っていたんだ、と知った風な(しかも誤った)認識を持ってしまうほど、そのお店のバゲットと出会ったことによって、私の中でその存在が変化しつつあった。

何度か渡仏を繰り返すうち、フランスパンに対する知識も多少持ち合わせるようになり、母の焼いていたものはれっきとしたバゲットにバタールだったと分かった(失礼な娘でごめんね)。
バゲットもしばしば買うようになったのだが、店によって仕上がりはさまざまだった。一般的な名称として広まっているので、短いものや太いもの・中がみっちりとした食感のものもバゲットとして売られているとあとになって知った。私の好みは、先ほど紹介したお店のように、皮は剥がれない程度にパリっと、中は詰まっていて弾力があるもの。とはいえ、時間が経つと皮も中身も硬くなってやはり美味しくない。フレンチトーストにしたり、カリカリに焼いてスープ用のクルトンにするなどして、硬化したバゲットを消費していた。
そしてとうとう3度目のホームステイで、これが一番好き!と思えるフランスパンに出会った。マダムはこのパンをほぼ毎日3本購入していたが、中学生と高校生の子どもたちは夕食前に2本をつまみ食い(って量じゃないような気もするけど)してしまっていた。あるとき、子どもたちがつまんでいる場面に遭遇したとき、高校生の娘から、
「できたてだから止まらなくて!シホも食べてみて」
と勧められ、ひとかけらいただいた。
(何これ!初めての食感!)
『バゲット』で売られているということだったが、長さは70cmを超えていたと思う。一般的なバゲットより太さがあり、皮もパリ、くらいで中はふんわり・もちもち。種類分けするとしたら、パリジャンに含まれるのではないかと思う。歯間に弾力が感じられるのに口当たりが柔らか。小麦の香ばしい香りとほんのりした甘み。粘りを取り除いたつきたてのお餅を食べているような気分だった。
子どもたちがつまんでしまうので、私が夕食時に食べられるのは1切れくらい。でも、もっと食べたい!ということで、お店を教えてもらい、インターン高校での昼食用として買いに行くことにした。私が訪れた際、お店には7名くらいのお客さんがいて、それぞれが数本ずつバゲットを購入していた。
「バゲットを1本ください」
嬉々として注文した私に対し、店主はちらりと一瞥したのち、無愛想な表情のままペーパーナプキンを巻いた1本を手渡してきた。
(ん?なんか硬い……)
バリバリした皮と伸縮性のない生地。食べなくても分かる。これは時間が経ったものだ。他のお客の手元を見ると、できたてを購入しているようだった。
たまたまなのかも、と思い直し、そのあと2回ほど買いに行ったのだが、その都度私は焼きたてではないバゲットを提供された。3回目のとき、店主の様子を窺うと、他のお客には左のバスケットのものを売っていたが、私には右のバスケットのものを売ろうとしたので、試しに
「左のをください」
と言ってみた。すると店主は
「どっちも同じよ!」
と不機嫌そうに言い放ち、何を言っているのかしら、とばかりに肩をすくめていた。
4回目のチャレンジをしようかどうか考えたとき、「私がホームステイしているお宅で毎日ここのバゲットを食べていて、私も大好きなんです」とでも言えばできたてのものを売ってもらえるかしら、と思ったりした。でも、自分自身を受け入れてもらって買えないと意味がないと頑なになってしまい、結局その作戦は実行しなかった。そんなわけで、私はベストフランスパンをちょこっとしか食べることができなかった。


他にも、美味しいと思ったけれどほんの少ししか食べられずに終わったパンがある。
アンヌ・マリー宅に招待されたとき、食事パンとして提供されたそれの名称を聞いて、私は浜松名物『うなぎパイ』を連想した。そのパンは長さが30cmほど。生地は灰色がかっていて、パサつきもなくしっとりしている。表面にクープはなく、皮と中身がみっちり張り付いている。手でちぎるとき、むぎゅぎゅぎゅぎゅ~っと力が入るくらい密度がある。歯ごたえはしっかりしているが硬くはない。ライ麦かと思ったが酸味はなく、噛み進めるうちに甘みが出てくる。
どんなお店にも置いているのかな、と街中のパンやさんで探してみたが、同じものは見つけられなかった。
また別の日にアンヌ・マリーから招待された際、そのパンは食卓に上らなかった。残念、珍しいものなのかしら?聞いてみようかな?名前は何だったっけ?
(そうだ、確かうなぎパイ的な……)
「ねえ、前に『夜のパン』っていうのを出してくれたでしょ?あれはこの辺り特有のパンなの?」
私の質問に対し、テーブルを囲んでいたダミアンとギヨームが顔を見合わせ、ニヤニヤし始めた。
「なに、シホ、『夜のパン』って?」
「そんな名前のパン、フランスにあったっけ?」
「覚えがないなぁ。どんなパン?特徴は?」
どうやら、名前が違っていたらしい。アンヌ・マリーに確認したところ、パン・ド・ソワール、つまり夕方とか宵のパンという名前だった(私はパン・ド・ニュイと言ってしまった)。
大した違いはないじゃないか。からかうまでもない。日本には堂々と『夜のお菓子』の名を冠したスイーツが売られているぞ!(うなぎパイも、忙しい家族が揃う夕食のだんらんの時間をさして『夜』と言ったそうですが、いつの間にかあらぬ解釈をされるようになったそうです:春華堂さんのHPより)
でも、確認したことでアンヌ・マリーが気を利かせてくれ、あるときこのパンを用意してくれたのだ。それなのに……。
食卓にパン・ド・ソワールが置かれ、私はウキウキしていた。アンヌ・マリー、ありがとう!
前菜の途中で、さて、パンを頂こうかな、と思った矢先、食卓に着いてからずっとギヨームといちゃいちゃしていた半同棲の彼女があろうことかパンでふざけ始めたのだ!
(オイオイ……。食べ物で遊ぶな~!)
アンヌ・マリーはやれやれ、という顔をしたものの、止める様子はない。
ギヨームの彼女は彼をパンでぶつフリをしてみたり、鼻先にパンを差し出し、彼が食いつこうとするたびにキャーキャー言っている。
アンヌ・マリーの旦那さんもダミアンも、そしてもちろん私もドン引き。そんな空気を察する気配すらない彼女の一言。
「私、このパン大好き!アンヌ・マリー、これもらっていい?」
そりゃね、私もあなたがベタベタ触ったパンを食べたいかって言われたら遠慮しますわ。だけどね、楽しみにしていたものをそんなにあっさりと傲慢に奪われたら怒り心頭ですわ!!!
とはいえ、「え~、私も食べたかったのにぃ~」みたいなセリフは死んでも出てこない。
無邪気な遠慮のなさ。負けました……。
アンヌ・マリーは「また今度ね」と言ってくれたが、結局、彼女のお宅に呼ばれたのはそれが最後となり、パン・ド・ソワールともそれっきりで終わってしまったのだった。

子ども時代からすると、フランスパンに対する印象は大きく変わった。もし今、母の焼いたバゲットやバタールを食べたら、感じ方も異なるはずだ。母は職業病の腱鞘炎で講師を退いたので、もう何十年もパンを焼いていない。残念なことではあるが、幼少期の体験がフランスパンの美味しさを発見するきっかけになったことや、母のおかげで私の食人生が豊かになったことに感謝している。
それにしても、ベストと感動したフランスパンと同じようなものを日本で探しているが、未だに見つけられない。近いかも、というのはいくつもあったのだが、「そう、これこれ!」というものにはご縁がない。回を重ねても、初めての感動に勝るものはないというから、そもそも同じだと思えるものは見つからないまさのかも知れない。それでも、どこどこのバゲットは本場そのものなどという情報を見聞きしてしまうと、ついつい確かめてみたくなってしまう。いつかまた、同じ感動を味わえるといいな。次々と新しいお店がオープンしているから、行ってみたいパンやさんのリストは増える一方だ。

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