利き耳
ホッタイモイズルナが英語のフレーズとして本当に通用するのかどうか、試したくなったことはないだろうか?私は中学生の頃、女性の外国人講師にトライしてみたいと思いつつ、「ナンテイイマシタカ?」などと聞き返されたら恥ずかしいという気持ちが勝り、結局試さずに終わった。そもそも、こういうときに照れてはいけない。「英語喋ってます!」という堂々とした演技力が必要なのだ。
これを力まずさらっとやってのけられたら説得力が増す。いわゆる自然体あるいは天然と言われる行為だ。私がそれを実感したのは、たまたま見ていたテレビ番組でのことだった。フランスから来日した男性シェフが日本の食材で料理を作る企画が放映されていて、一行は愛媛県の栗農家を訪れた。「ボンジュール」とフランス語で挨拶したシェフに対し、農家のおじさまは満面の笑みで「ポンジュース!」と返したのだ!私にとっては、口に含んでいたコーヒーをカップに逆流させてしまうくらい衝撃的な出来事だったのだが、シェフとおじさまは何事もなかったかのように接している。さすが、愛媛のまじめなジュース!おじさまも天然100%!!「何て言よるん?」でも「うちは栗農家じゃわい」でもなく「あっどうも、ポンジュース!」って感じ?最強。。。
フランス滞在中、芋ではなく蜜柑が通用するか挑戦してみようと思うことはあったが、私がチャレンジできなかったのは言うまでもない。どうあっても、おじさまのようにさらっと言える気がしない~。
言葉を捉えるとき、耳は普段聞き慣れているところから当たりをつけるのだろう。外国語が日本語のように聞こえたり、その逆も同様なのはきっとそのせいだ。
例えば、日本人が不愉快だと感じるフランス語に「hein(アン)?」が挙げられている。これは前述の言葉を聞き取れなかったときなど、「えっ(何て言ったの)?」という風に柔らかく尋ねる言葉だ。だが日本人からすると、「何か文句あるか?」と凄まれたような気分になる。
私の友人は「ca va(サバ)とかceci(スシ)とかevidemment(エビダモン)と言われると寿司屋に行きたくなる」そうだが、「おいしい店がないから日本に帰りたくなる」と言っていた。これらは郷愁を誘う言葉ではないのだけれど、まあ、確かにお寿司は日本がいいかな。
フランス人はHが含まれる単語が聞き取れなかったり、”チ”と”シ”の音の区別が難しいらしい。私はインターンのとき生徒の前で自己紹介した際、一人の男子生徒から「あのアニメの主人公と同じだ!」と言われた。へぇ~、それはどんなアニメ?と聞いていくうち、『千と千尋の神隠し』のことだと分かった。
(彼女の名前はチヒロであって、私とは音も文字数も違う!)
”致死量”って言っても私の名前と同じだって言われそうだ(言葉の発想がアブナイ……)。
似たような音や言葉に当たりをつけるこの【利き耳】によって、私は失敗も経験したし、他人様にも迷惑をかけた。
それはかつて、私が全校生徒十数人程度の語学学校に留学したときのことである。日本人は私1人だったという状況下で、メグミちゃんが入学してきた。彼女は個人旅行中、2週間だけ語学学校に通うことにしたという好奇心旺盛な人。私も海外旅行は専ら個人だが、観光だけにとどまらない行動範囲で外国を満喫するメグミちゃんには感心しきりだった。いつも笑顔で前向きで何でも楽しもうとする彼女とはすぐに打ち解け、たった半月だったのにまるで旧友のように私は感じていた。
そんなメグミちゃんを迎え、生徒と教員が連れ立って街中のビストロへ夕食に出掛けることになった。ワインカーブのように窓がなく、控え目な装飾とほのかな灯りが雰囲気を醸し出すお店で、郷土料理が提供された。教員と生徒が入り混じり和やかに食事が進むなか、メイン料理としてサーモンが運ばれてきた。日本の鮭の切り身より二回りほど大きなサーモンが一切れ、お皿いっぱいに敷かれたクスクスのど真ん中に横たわっている。素朴というか豪快というか見栄えそっちのけというか、淡いクリーム色と珊瑚色だけの取り合わせ。ソースも何も掛かっていない。日の丸弁当に通じるものがある。鮭は塩加減が強く、クスクスは無味。メイン料理だというのに、生徒の大半があまり手を付けず残している。私はクスクスに苦手意識はなかったが、「鳥のエサみたい」とか「味気なくて美味しくない」と不評だったようだ。
「何でソースとか掛かってないんだろうね」
「喉が渇いちゃったね」
メグミちゃんとそんな話をしていたところ、私の隣に座っていた教員のソフィーが
「これはそういう料理なのよ」
と声を上げた。私たちの日本語を理解したのかと一瞬ドキッとしたが、どうやら他の生徒も同じような会話をしていたため、地元料理の名誉挽回とばかりに釈明し始めたのだ。「鮭の塩辛さとクスクスの薄味が程良く、飽きのこない料理」と言っていたが、一度置いた箸を再度進める生徒はおらず、心なしかソフィーはガッカリしていたようだ。
そのとき、レモンを絞ったかのように黄色く半透明な液体が注がれた小さいグラスを店員さんが運んできた。レモン汁よりほんの少しとろみがあるように見える。アペリティフで使用されるようなサイズだが、いったいこれは何だろう?
「ねえ、これは何?」
クスクスの粒さえ残さず綺麗にメイン料理を完食していたソフィーに私は尋ねてみた。
「アルコール・フリー」
彼女の返答を、私の耳はそう”利い”た。
「何だったの?」
メグミちゃんはグラスに手を伸ばしている。
「ノンアルコールだって」
私はそう答え、爽やかな口当たりを想像させるその飲み物を一気に呷った。先ほどのメイン料理による口腔内の塩辛さを早く緩和させたい気分だったのだ。
「グフッ」
喉の奥にピリリと感じる刺激と、鼻から眉間に突き抜けた弾けるような衝撃。
(まずい!)
「メグミちゃん、待って、これは……」
慌てて横を向いたと同時に、彼女はむせて咳き込んでいた。
「シホちゃ~ん?どういうこと?!」
メグミちゃんは少し擦れた声で私の名を呼び、困惑した顔で私の両手をぎゅっと握った。
「ゴメン、遅かった……」
握られた両手をぶんぶん振って、ジタバタする私。
(何で?アルコール・フリーなんだよね?)
それって英語じゃない?ここはフランスだよ??
頭が少しずつ回り始める。フランスではnon alcooliqueとかsans alcoolと言う。語学学校教師のソフィーが生徒からの問いかけに英語で答えるとは考えにくい。
じゃあ、この飲み物はいったい???
「ソフィー、これ、アルコール入ってるよね?」
「ええ」
「でもさっき、アルコール・フリーって言わなかった?」
「いいえ、これは”アルコール・ド・フリュイ”。果実酒よ」
どうやら、それはディジェスティフ(食後酒)の一種だったようで、ソフィーが教えてくれたところによると、アルコール度数は「ワインより高め」とのことだった(感覚としては30~40度あったのではないかと思う)。
(紛らわしい言葉だな~!)
自分のヒアリング力を棚に上げてみたものの、しっかり迷惑を掛けてしまったメグミちゃんには聞き(利き)間違えたことを詫びる。
「な~んだ、そうだったのね。ホント、紛らわしいわ~!アハハハハ~!」
メグミちゃんが笑い飛ばしてくれたので気持ちが軽くなる。とはいえ、びっくりさせちゃってゴメンね~!
ソフィーは私の失態がよほどおかしかったのか、
「シホが”アルコール・ド・フリュイ”と”アルコール・フリー”を聞き間違えて、ディジェスティフを一気飲みして大変だったって日記につけておくわ」
といたずらっぽくウインクした。
その後も、利き耳の経験は続いた。フランス人に着物の講義をしたとき、「フランス語?」とか「フランス語に似てる!」と言われたのもそのうちの一つだ。帯は”hobby(趣味)”と聞こえるようだし、長襦袢とか肌襦袢は語尾がそれっぽく聞こえるようだ(そういえば、何かで「アザブジュバーン(麻布十番)」って言っている人がいましたっけ?)。
日本でもフランスでも、利き耳がコミュニケーションの一部として、場を和ます程度に使えたらいいのかも、と思ったりもする。「ポンジュース」でも「アザブジュバーン」でも、さらっと(しれっと?)自然に言えたらいいのでしょうが、まだまだその域には達していない。