体調管理は心身ともに健やかに
なぜ、こんなものが用意されたのだろう?!
ホームステイ先のRDP家のベッドで横になりながら、私は朦朧とする頭で考えを巡らせようとしていた。
話が飛んでしまうが、私は元々あまり風邪を引かない。引くときは喉からくることが多く、大抵の場合、チョコレートを食べていて気付く。普段なら喉をすぅ~っと通っていくほろ甘苦い余韻が、ベタっと張り付いて粘っこく留まる。鼻腔内にふわっと広がりさわさわとほどけていくアロマも、鼻の付け根(目の下の辺り)でモワンと煙幕を張っているかのようになる。あ、まずい、早くしなきゃ!と塩でうがいをしたり、蜂蜜を喉の奥に止まらせて不快感が治まるのを待つ。ビタミンの多い果物か栄養ドリンクを摂って夜は早めに就寝。この対策で、社会人になってからは喉の症状だけで回復するようになったが、昔はそこで止まらず40度近い高熱を出すことが多かった。ハアハア・ヒイヒイが続くので過呼吸となり、手の筋肉が収縮する。私はこれを”バルタン星人化する”と呼んでいた。両手の親指が中指と薬指の辺りまでぎゅっと内向し、人差し指と中指・薬指と小指が強力な接着剤で貼り付けられたかのように硬直する。両手がハサミのような形になったのを見るたび、私はこりゃまた脳細胞がダメージを受けたな、などと考えていた。母からは「いつもは元気なくせに症状が出ると大袈裟なんだから」と心配されているのか何なのか分からない言葉を投げ掛けられたのち、かかりつけ医のところへ連れて行ってもらい、頓服薬を処方してもらうのが常だった(だから昔は頓服薬のことを解熱剤だと思っていたくらいだ)。
社会人になってから頻度が下がったとはいえ、自分が不安にならないために薬などの携帯は欠かせなかった。発熱時の非ピリン系解熱剤や、アレルギー用の塗り薬・飲み薬・目薬。新卒で就職した会社で営業職となり、1年経つ頃には胃カメラのお世話になったりしたので、胃薬も加わった。渡仏の際も、都度この装備+αで乗り込んだのだが、有難いことに一度も使用することはなかった。フランスではほとんどアレルギー症状が出なかった(水が合っていたのだと思っている)し、熱は出たけど安静に過ごしたら下がったので薬を飲まなくて済んだという状況だった。
薬を使用しなくて済んだ半面、私は別のことで悶々とすることになる。フランスで初めて体調を崩したのは、語学留学のためパリに滞在していたときだ。パリに来る前、私は南仏の語学学校にいたのだが、そのとき知り合った日本人女性が泊めて欲しいと連絡してきたのだ。特に支障はないのでOKしたのだが、彼女が来て2日目に、私は熱を出してしまった。ベッドは1つしかなく、2人でシェアして寝ていたのだが、この状況だと彼女に風邪を移してしまうかも知れない。私は彼女に「こんな状態だから一緒にいない方がいいかも」と提案した。前日、彼女は日中ずっと出歩いていて、寝るためだけに帰ってきていたから、お互いに気兼ねせずゆっくり休める環境の方がいいでしょう?という思いもあった。だが彼女は、「そんなこと言われても私にも事情が」と渋った。結局、その日も彼女は日中ずっと外出し、暗くなってから戻ってきて私のベッドの半分を占領した。私は咳が止まらなくて苦しいなか、寝返りも打てない状況となり、ぐったりしてきた。翌日、彼女は今後のことを何も言わないまま、荷物を置いて出掛けていた。正直、ホテル代を浮かせるために私の部屋を利用している上、体調を気遣うわけでもないにわか友達に、家主である私が具合悪いなか遠慮することもないだろう、という気持ちになってきた。帰ってきたらはっきりと「ホテルに移って」と言おう、と思っていたら、彼女が戻ってきて「ホテル取ったからそっちに移るね」とにこやかに宣言した。私は言わなくていいことを言わずに済んだことや、お互いにしこりなく「じゃあね」と別れられそうなのでほっとした。だが、私の快復祝い(という名目)で、パリの語学学校の友人たちが私の部屋でフェット(お酒や料理を持ち寄って行うパーティー)をすることになったとき、なぜか彼女が現れた。どうやら、日本人同士の繋がりでフェットのことを聞いたらしい(世の中、狭っ!)。フランスのフェットでは、友達の友達そのまた友達なんかもやって来たりするため、招待していない人が参加すること自体は珍しいことではない。だが彼女は持参したワインを私に手渡す際、一言「こういうワイン、あなたは日本じゃなかなか飲めないわよ」とのたもうた。わざわざどーも。この程度のワイン、日本でもしょっちゅう頂いてますわよっ!(ま、それは盛ってますがね)
そんなわけで、フランスで初めての発熱の思い出は、身体ではなく気分的に優れないものになった。
2度目の発熱は、冒頭でちらっと話した通り、RDP家にいたときだった。学校で講義を行っているときは何ともなかったのだが、家に戻った途端、身体がふわふわして熱っぽく感じた。私は夕食の支度をしているマダムに体調のことを話し、部屋で休むと伝えた。
「まあ、大丈夫?水を浴びて熱を下げなきゃ」
(いえいえ、今冬だし、寒いのはイヤ~!)
私は安静にしていれば大丈夫だからとマダムの勧めをさりげなく断り、部屋へ向かおうとした。
「何かいるものはない?スープなら飲めそう?」
「ありがとうございます。スープなら」
2度もマダムの勧めを断るのは気が引けたので、私は同意する返事をして部屋に戻り、ベッドに直行した。枕元のサイドテーブルに水を置き、不調を振り払うように何度も寝返りを打つ。RDP家のベッドはWベッドで広々としており、私は心置きなくゴロゴロと左右に転がった。そのうち休まる体勢が整ったのだろう、私はぐっすりと眠りに落ちていた。
外がすっかり暗くなったとき。おそらく、22時くらいかと思う。部屋のドアがゆっくりと開き、廊下の明かりが部屋に差し込み、私は目を覚ました。誰かがそろりと近寄って来る。
そういえば、マダムから「スープなら飲めそう?」と聞かれて返事していたっけ。でも、あれから随分時間が経っている。様子を見に来てくれたのかな?
その誰かは黙ってベッド脇までやってくると、手に持っていた大きな何かを静かに下へ置き、そのまま音も立てず部屋の外へ出て行った。
(声掛ければ良かったかな?)
何となく寝入っている振りをしてしまった。何を持ってきてくれたのだろう?相手も黙っていたから、声を掛けるほどのものじゃないんだろうけど。
そう思ってベッドの端まで身体を寄せ、床を見下ろした私は、予想していなかったものを見てしばし思考が停止した。
置かれていたのは、直径70cm・高さ15cmほどの丸いプラスチック製のたらいだった。中は空っぽ。
「……」
少し頭が回り始め、私はじっとたらいを見ながらあれこれ考えてみた。
1.汗をかいた身体を拭くため?→水もタオルもない。
2.気持ち悪くなったら吐くため?→それにしちゃ大きすぎでしょう。
3.緊急の事態が起きたら窓から落として鐘を鳴らすため?→荒っぽいな!
(私の部屋は玄関の上にあり、玄関にはドアベルならぬドア鐘があった)
どれも今一つな考えだと思ったのですが、実はこの中に正解があったのです。さあ、1・2・3、どれでしょう?!
翌朝、身体が軽くなり熱も下がっていたようだったので、私はたらいを持ってマダムに声を掛けた。
「あら、シホ!体調はどう?もういいの?」
「はい、大丈夫です。あの、これ……」
何のためだったんですか?という表情を敢えてしながらたらいを渡すと、マダムは
「気分が悪くなったら使ってもらおうと、三女に置いてきてもらったのよ。何事もなくて良かったわ」
とにっこり微笑んだ。
正解は2。大は小を兼ねる、ですかねぇ……。
「それで、何度くらい出ていたの?」
「38.2度でした」
マダムは、まあ、その程度だったの?という表情。フランス人は平熱が37度と言われているので、あまり驚かないのだと思うが、平熱が36度前後の私にはちょっと辛い状況なのだ!
「日本人はフランス人より平熱が低いらしいんです。だから」
このくらいの熱が出るとしんどいんです、と私が言おうとしたところ、マダムは何を思ったのか、
「まあ、それなら楽でいいわね」
と受け流した。
(いや、楽じゃないです!それに、マダムは何に対して楽だと思っているんだろう?)
「昨日から何も食べていなかったんだから、しっかり食べて今日も頑張ってきなさい」
あくまで優しくにこやかなマダムに、結局意見を主張することはせず、あ、はい、ありがとうございます、と私は朝の食卓に着いたのだった。
熱があるから身体を冷やす発想に驚き、スープではなくたらいに驚き、「楽でいいわね」に疑問符だらけ。2回目の発熱の思い出は、国民性による感覚の差(?)でモヤモヤするものとなった。
もし、日本の薬を持っていないときに体調が悪くなったら、私でもフランスで売られている薬を使えるかしら、と思い、ラシェルに相談したことがある。アレルギー反応を起こさないような、できれば穏やかに作用するものがいいんだけど、と聞いたところ、ラシェルはドラッグストアである品物を教えてくれた。ラシェルは「オメオパシー」と言っていたので辞書を引いてみたところ、「同毒療法・同種療法」とだけ載っていて、よく分からなかった。ラシェルは「ベリンのような子どもでも使うことができる」と言い、あるフランス人は「漢方みたいなものだよ」と言っていたが、私は漢方とは別物だろうなぁと思っていた。ラシェルがドラッグストアの薬剤師さんに「説明してあげて」と頼んでくれたので、私は薬剤師さんから丁寧な説明を受けることになったのだが、半分も理解できなかった。その頃の私は知らなかったが、フランスではホメオパシー療法が普通に取り入れられていて、誰でもドラッグストアなどで気軽に購入できる。それを取り入れるか入れないかは自分次第で、勧められることも忠告されることもない。だから薬剤師さんも、「もし自分に合うと思ったら検討して」という感じで、私の希望を尊重してくれていた。折角の機会だし、と物は試しで1つ購入する。見た目も匂いも漢方とはほど遠い。まず、匂いは全くしない。救心とか仁丹サイズの顆粒を糖衣してあって、シャープペンの芯の入れ物くらいの丸いケースにびっしり詰まっている。製菓材料のアラザンと言われたらそう思ってしまいそうだ。色はパステルパープル・淡紅藤色といったところで可愛らしい。種類によって色は異なるが、女子受けしそうな色揃えだったように思う。掌に収まるサイズだからかさばらず持ち運べる。私は体調に何かあったら試してみようと思っていたのだが、元が丈夫な身体のお陰で、結局1度も摂取することなく使用期限が切れてしまった。
いつものことだが、安心のために買っておいた市販薬が多用されることはなく、そのほとんどが使用期限を迎えて廃棄されることになる。我ながらなんて勿体ない、と思うのだが、バルタン星人化していたときは身体が悲鳴を上げていたし、アトピーで顔や首が赤黒くなった私を引いた眼で見る周囲の反応は気分の良いものではなかった。身体と心、どちらも健やかになるよう体調を見守っていきたいものである。薬の方はだいたい同じようなものを使っているけれど、ストレスを感じたときの対処法がスイーツというのはいい加減変えなきゃいけないと思っている。ホメオパシーやアーユルヴェーダを取り入れてみる?瞑想やヨガや太極拳の方がリラックスできるかしら?どちらかと言えばゆったりとした効果より分かりやすい方を安易に選んできていたので、この計画はじっくりと考えていきたい(それまでストレス発散はスイーツのままでいいのか?!)。
※上の写真は、フランスのタバコのパッケージ。私は全くタバコを吸いませんが、こんなことが書かれたタバコを手にした人はどんな気持ちで吸うんだろうと思ったりします。(好きに吸わせて~!ってならないかな……)
左写真の左:「吸えば身を滅ぼす」 右:「妊婦が吸えば子どもの健康も害される」
右写真の左:「心臓や肺疾患リスク削減のため吸うのを止めよう」 右:「吸えばあなたの健康と周囲にも深刻な影響が」