マルシェの愉しみ
市が立つ日はワクワクする。フランスではいくつものマルシェを巡った。朝から、さあ、今日は何があるかな?とまだ見たことのない食材との出会いに胸が高鳴ったり、雨など降ろうものなら、出店が取りやめになったりしないだろうか?と気もそぞろだった。店先で挨拶を交わす住人の様子を見るにつけ、いつか自分もこのくらい馴染むことができるかしら、と淡い期待を抱いたこともある。
私の中でフランスの春の食材といったら、ホワイトアスパラ。おそらくどの家庭でも膳に上るのではないだろうか。初めてのホームステイで饗されたそれが滑らかでふっくらと柔らかく、そのものの甘さとソースの酸味が絶妙で、4本をペロリと平らげてしまった。マルシェでも束になって見かけたが、グリーンアスパラの、細くて筆のような先端ととげのようなはかまとは異なり、見知らぬ大きな虫から生まれた幼虫の、未発達の頭や手足のように見え、私は味わったことも忘れて気味が悪いとさえ思った。まあ、口にしたのが先だったので。モノを見たあとだったら、いただくときちょっと抵抗感があったかも知れませんが。そんな見た目の印象もあり、自分で買って調理しようとは思えず、私がホワイトアスパラを食せたのは、3家庭のステイ先において各1回ずつとなった。日本でも食べたいのだけれど~。お高いし見た目のことがあるので、自分で調理するのはやめておこうかな。それにフランスでは家庭料理だったから、フレンチレストランに出向いていざ食べよう!という気持ちになれないでいる。
ホワイトアスパラの見た目に対してはネガティブに語ってしまったが、マルシェで見かけるものには心惹かれることの方が多い。アーティチョークは飾っても見栄えする造形だし、大根かと思うようなキュウリや、小ぶりのかぼちゃかスイカほどもあるトマトを見ると、味はどうだろう?と興味が湧いてくる。まさかキュウリがそんなに大きいとは思わなかったから、マルシェ初心者の頃、私はズッキーニをキュウリと間違えて買ってしまい、日本から持ち込んだ食材と和えて酢の物にしたところ、大変よろしくなかった。ちなみに、アーティチョークはあるご家庭でご馳走になったとき、丸ごとゆがいたものを花びらをむくように1枚ずつ剥がして、自家製フレンチドレッシングに浸し、歯でこそげ取るようにしていただいた。ホクっとした食感はゆり根に似ているかな?こちらもフランスのマルシェでは普通に売られている食材だが、日本だとお高いので、味わったのはそのご家庭でいただいた1回のみ。
海が近い街にいたときは、魚市場を覘いた。ある店では、魚が網でさらわれたままという感じで雑然と並べられ、何だかグデっとしていた。日本で見てきた魚は、鱗や目玉にハリツヤがあって鮮度を感じられたし、並べ方にも統一感があったように思う(小魚は頭が左で尾が右?)。フランスでも青魚にエビやタコなど、日本で親しんできたものを見かけたのだが、当時暮らしていたステュディオには魚をさばけるような包丁やまな板がなかったり、ホームステイだったりしたこともあり、実際に買うことはなかった。それでも足を運んでしまうのだから、マルシェの引力は大したものである。一度、大きなアナゴ(頭の直径が20cmくらいあった)に驚いて足を止めていたら、店主から
「日本人?今日はスシ?サシミ?」
と聞かれた。いや、日本人だからって毎日魚を食しているわけじゃないし、寿司や刺身も頻繁に食べるものじゃないのよ~と心の中で苦笑い。
余談だが、フランス初留学のときにマルシェで買い物をした際、店主から
「avec ceci(アベク スシ)?」
と言われ、私は「スシのお供?」と聞かれたのだと思った。買ったのは野菜だったのだが、日本人はいつもお寿司を食べているイメージなのかしら?と勘違いした私は
「いえ、これはサラダにします」
と答えてしまった。店主は一瞬固まったのち、気を取り直したような笑顔で
「じゃあ、良い一日を」
と私に品物を渡してくれた。のちに、この言葉は「これと一緒に(買うものはない)?」と他に要るものがないかを尋ねるときのフレーズだったと分かり、何てマヌケな答え~!と恥ずかしくて一人ジタバタした。落ち着け~、大丈夫、日本人あるあるだ(でも、ちゃんと勉強してきた人なら間違えないよね……)。
南仏のマルシェではとりわけ心が躍った。季節のせいか土地柄のせいか、市場の野菜・果物・花々から、「私は美味しいよ!」「きれいでしょ?」と自己主張されていると感じるくらい、眩しいほど鮮やかな色彩が目に飛び込んでくる。生命力溢れる比類なき自然のカラー。力強いのは香りや造形も然り。摘まれてもなお、いきいきとしているものを見かけた。ヴェルヴェーヌ(ヴァーベナ)は、葉をちぎって手でこすると、柑橘系の爽やかで少しツンとした香りがする。某フランス系化粧品会社で香水などに使用されているが、驚くことに、その香水の匂いは葉をこすったときの香りそのものだった。香水には人工香料が使われているのだろうけれど、天然香料、恐るべし!また、白銀に金を混ぜたような輝きのある花、イモーテルはドライフラワーになっているのかと思ったら、
「摘んだときからその色と形よ」
とのこと。しおれることのない花。生花の割には少しかさついているのかも知れないが、自生するイモーテルは確かにマルシェで売られていたものと同じで、”不滅”の名を冠するだけあるなぁと感心しきりだった。
街によっては、珍しい蜂蜜やコルシカ島の特産品(栗や豚肉加工品)が出店しているなんてこともあり、興味が尽きなかった。ポプリや布製品、瓶詰・缶詰など、お土産にしやすいものが街中の店舗より手頃な価格で手に入るので、旅行者に人気があるのも頷ける。
パリでは、高架下のマルシェに通った。さすが大都市、1つのマルシェでパン・野菜に果物・肉・魚・卵・乳製品・乾物・香辛料・ワインにコーヒー・ジャムに蜂蜜、何でも揃う。食料品だけでなく、お花や衣類・革製品・アクセサリーなどもあった。最初のうち、私は野菜なら野菜を1つのお店で買おうと思っていた。前述の通り、住人として馴染みたいと思っていたからだ。だが、結論から言うと、パリのマルシェにおいて、私は特定のお店の常連客とは認められなかったようだ。
初めてこのマルシェに足を運んだとき、私は金髪白人女性店主の八百屋さんに毎回顔を出そうと決めた。1つ1つの店舗は、学校の運動会で使用されるテント(四隅の支柱と頭上を覆う幕)を大きくしたようなもので、それが連なって1つのマルシェになっている。人気のあるお店は人だかりができているのですぐ分かる。この女性のテントの前は幾重にも人が囲んでいたから、きっと評判のお店なのだろう。人混みは苦手だが、店主とも常連さんとも顔見知りになったら、ご近所付き合いができるかも知れない。そんなことを考えていた。
こういったマルシェでは、順番がいい加減だ。自分より前から居たと思われる人をおおよそで把握し、何となく次かな?というところで店主とやり取りをする、そんな感じだった。お互いが「次、私!」と主張することもあったが、そうなったら「どうぞ、どうぞ」の精神で譲り合ったりしていた。店主は揉めるのを避けるためなのか、お客が主張する順番を妨げることはほとんどなかった。
野菜が並ぶテーブルの一番前まで来て、さて、いよいよ私の番!と店主に声を掛けようとしたそのときだった。店主が
「次は誰だったかしら?」
と私から目を逸らし、背後の人に声を掛けた。
(え、順番からしたら私でしょ?)
それまでも、私は同じ列の両隣に順番を譲っていた。背後の列は明らかに私より後から並んだ人だ。それなのに、店主は私の順番を飛ばそうとしていた。
「じゃあ、私かしら」
右後ろにいた中年の女性が先に店主とやり取りを始めた。さすがに次はないだろうと思ったが、中年女性の順番が終わったあとも、店主は私と目を合わせず、
「順番覚えていないのよね」
などと言っている。そのときは年配の女性が
「次はあなたじゃない?」
と助け船を出してくれたので、私は店主とやり取りをすることができた。でも、他のお客に見せていた笑顔がなく、仏頂面で接客され、私の気持ちは一気に沈んでしまった。
とはいえ、諦めが悪い私は、次の機会もこの店主のお店に並んでみた。前回はたまたまそうなってしまっただけ。私の思い違いであって欲しい。それに、もっと主張しないとダメだったんだ。今回は「次は私です!」って言わなきゃ!
だが意気込みも虚しく、店主の目の前に到達してもまた知らんぷりされてしまったし、私が順番を主張する前に、背後の男性が「次、俺だ」と声を挙げたので、「どうぞ、どうぞ」するまでもなく順番を譲る形になってしまった。そして今回も、店主は私に仏頂面……。
そんなこともあり、私はマルシェ内の別の八百屋さんに鞍替えすることにした。中東系の顔立ちをした男性のお店は、いつも空いていた。順番を主張する必要はないが、品揃えが少ないし店主の口数も愛想も少ない。でも、リンゴが美味しかったので、私はそのお店でリンゴだけを、他の野菜・果物は別のお店で買うことにしたのだった。その結果、リンゴの店主からは顔を覚えられたようだったが、何しろ口数も愛想も少ない人だったので、「やあ、今日もリンゴかい?」的な会話は全く成立しなかったのである。
こんな状況だったのに、やはりマルシェが立つ日は朝から浮足立つ。馴染み客にはなれず、他に何か特別なことを期待したわけではないにも関わらず、だ。
そして今週末、近くの屋外野菜市場で順番を待ちながら、フランスのマルシェのことを思い返していた。日本人は一列に分かりやすく、大人しく並んでいるよなぁ。フランスじゃ考えられないわ。
なになに、鹿児島産の空豆は大きくて美味しそう!子ダヌキの胴体くらいの太さで長さ30cmほどの筍は静岡産、そのタヌキの尻尾くらいの筍は東京産なんだ。静岡産は迫力があるなぁ。島らっきょうも売ってる!ここの市場は、日本各地の生命力が集まっていて頼もしい。
近くに自転車を止め、後部座席に男の子を残して列に並んでいるお母さんがいた。男の子はお母さんが離れていくのでずいぶんぐずっている様子。お母さんの後ろに並んでいた年配の女性が、
「順番になったら声を掛けるから、側にいてあげたら?」
と気遣っていた。頭を下げ、列から離れるお母さん。男の子は抱っこされても泣き止まない。それどころか、更にテンションが上がっていく。お母さんの前に並んでいた女性が、
「先にどうぞ」
と順番を譲った。お母さんは急いで会計に向かう。火が付いたように泣き叫ぶ男の子を、列に並んでいた女性陣があやす。
「お母さん、もう少しで戻って来るよ~」
「お靴、可愛いわね~」
みんなから声を掛けられ、男の子も少し落ち着いてきた。
「ありがとうございます」
会計を終え、何度も頭を下げるお母さん。マスクで口元は見えないけれど、並んでいた人たちの目元が優しい。きっとみんな、笑顔だ。
たぶん、こういうところ。マルシェに集まる人やモノ、土地に根付いた営み、ときどきガッカリする出来事なんかも含めて。その場の空気が好きで、愉しい。