フランス版オレオレ詐欺
夜中にメールの振動で目が覚める。こんな時間に届くのは迷惑メールの類か、時差のある友人からしか考えられない。まあ急ぐわけでもないだろうと思い、朝になってから確認する。予想通りフランス語で届いていたそのメールの件名には「マルティヌより」と書かれていたが、今まで彼女から送られてきたアドレスとは異なっていた。変更したのかな?と思い、メールを開いてみる。
「子どもが病院に運ばれた。保険が使えず、手術費用をすぐに用意できない。1000ユーロ貸してもらえないか」
内容としては、こんなところだったと思う。
もしこれがマルティヌ以外の友人からだったら、まあ怖い、私のところにまでこんな詐欺メールが届くのね!と、すぐに破棄していたところだ。だが、マルティヌの家庭事情においては、ひょっとしたら本当なのかも、と疑惑を躊躇してしまう理由があった。
彼女の娘さんは日本の大学に進学し、卒業後も日本に留まり仕事をしていた。随分長く勤めているようだったので、社員ではないかと思うのだが、社会保険に加入できていないのだろうか?あるいは、保険適用外の状況にあるとか?
かつて、ミシェルが日本に来たとき、体調不良でお医者様を呼んだことがあった。ミシェルは海外旅行保険に加入してきていたが、私が自宅にお医者様を招いた形での治療だったため、保険適用外だった。マルティヌの娘さんの加入状況がどのようなものか分からないけれど、適用外である可能性も考えられる。
でも、日本で手術するのだとしたら、日本円が必要なんじゃないの?なぜ、ユーロ?お国の通貨で良いのであれば、日本人の私に頼むより、フランスの親族友人などに頼むんじゃないだろうか?そもそも、文面からしてアヤシイ。マルティヌには娘さんと息子さんがいるのに、子どもの名前が書かれていない。私の名前もない。内容も素っ気なくて他人行儀だ。個人的なことを知らない人間が送ってきたメールとしか思えない。
とはいえ、件名にマルティヌの名前が書かれていたからなぁ。私が彼女の知り合いであることを知っている人じゃないと、なりすますことって難しいよなぁ。
いやいや、アドレス帳に登録されていたら、何らかの関係があることは分かるでしょう。それに、お金を工面して欲しいみたいな内容だったら、もっと詳細を述べるのでは?
でもねぇ、急に子どもが手術することになったって聞いたら、慌てちゃうよねぇ。落ち着いて文章とか考えられないと思うし。それに、詐欺にしては少額だ(当時1000ユーロで15万円くらい)と思うんだよなぁ。
それにしたって、私に頼むかしら?確か娘さんは日本で恋人(のちの旦那さん)と一緒に暮らしていると聞いた気がする。家族ぐるみの付き合いをされているようだけど、そちらのご家庭とは連絡を取り合っているのだろうか?私の方から確認しようにも、娘さん(恋人)の住所や連絡先を知らないから、どんな状態なのか、何を手伝えるか聞く手段がない。
まあ、娘さんの恋人のご家族に手間を掛けさせてしまうより、自分の友人に頼む方が普通か。さらに、日本語でのやり取りを考えたら、フランス語が拙いとはいえ、通じる相手と連絡を取りたいと思うのは至極当然のことだよね。
あーでもない、こーでもないと考えを巡らせたのち、取り敢えず返信してみるか、という結論に至った。限りなくグレーに近いと思うが、返信内容に対する反応を待ってから、最終的に判断しようと決めたのだ。
「マルティヌ、お子さんは大丈夫?心配しています。もっと状況を知らせて」
簡略化しているが、こんな感じで送ってみたところ、次のような返信が。
「ありがとう、大丈夫。でもお金が必要なので、下記の銀行口座に2000ユーロ振り込んで」
(……こりゃ、完全にクロだな)
そう思いつつ文面を眺めたとき、ある文字を見つけて思わず興奮してしまう。
(おおっ!口座名に「Suisse」とある!!)
資金洗浄・マネーロンダリング・ブランシュマンダルジャンで使われるという、スイスの銀行口座ですか???
小説や映画の世界でのことだったのに、現実世界で「スイスの銀行口座に振り込め」と私が指示される日が来ようとは!
(感無量~!!!)
って、何を浸っているんだ私は。
この相手、最初は1000ユーロって言っていたのに、2000に釣り上げてきたし。
スルーしても良かったけど、何となく、言ってやりたくなってしまった。
「あなた、本当はマルティヌじゃないよね」
この返信に対して、その後連絡はなかった。
(このスイスの口座、警察に報告とかしたら調べてくれるのかしら?)
ちょっと知りたい気持ちがうずいていたが、トラブルにでも巻き込まれたら面倒なので、サクっと削除(日本から発信されたものではないから、日本の警察が動いてくれるとも思えなかったし)。
一応、マルティヌにだけはメールを転送しておいた。
「マルティヌ、元気ですか?あなたの名前で私のところにこんなメールが届きました。あなたの個人情報や、メールアドレスに登録されている人の情報が漏れている可能性があります。問題ないといいのだけど」
マルティヌの返信はこうだ。
「シホ、久し振りね。そのメールは私が送ったものではありません。でも、あなたから連絡がもらえて良かったわ。それじゃ、また」
う~ん。動じないところ、すごいわ~。私だったら、なぜ?どうしてこんなメールが??どこから漏れたの???みたいに慌ててしまいそうだけど。
まったく気に留めていない様子のメール内容に、拍子抜けしてしまう。
(結構、大変なことだと思ったのだけど、大丈夫だったかな?悪用されてないといいけど……)
そんな心配をしているくせに、私もスイスの銀行で舞い上がっていたのだから、人のことは言えないな、と緊迫感のなかった自分を反省するとともに、セキュリティ強化を肝に銘じたのだった。