フランスのステュディオ事情
初めて独り暮らしをしたのは、フランス南部のニースにほど近い小さな街だった。
語学学校で用意してくれたステュディオ(家具付きの部屋)だったのだが、私の体験としては珍しく、内装は綺麗で設備も整っていた(笑)。とはいえ、やはり私にはオチがついて回る。学校から鍵を受け取り、なだらかながらも長く続く上り坂をふうふう、はあはあ言いながらスーツケースをガラゴロと引きずってマンションに辿り着いた。まず、エレベータがない。それはある程度予想していたし、2階(フランスでは1階)だったので、まあよかろう、と今度はガッチンゴッチンとスーツケースをぶつけながら階段を一段ずつ上る。ドアの前に立ち、さあ、どんなお部屋なんだろう?と期待で多少指を震わせながら、鍵を差し込んだ。右に2回、カチッカチッと動かしたところでそれ以上は回らなくなる。よし、開いたな、と思ってドアを押してみるがビクともしない。あれ、引くのかな?と思い引いてみるが、状況は変わらず。
(んんん?)
鍵を半回転戻して押したり引いたりしてみるが、また閉めてしまったみたいで重い衝撃だけが手に伝わる。
(どうしよう?このまま部屋に入れなかったら……)
学校に戻って開け方を聞いてみればいいのだが、スーツケースを置きっぱなしにするのは不用心だ。とはいえ、また荷物を引きずって戻る気にもなれない。フランスには携帯を持って来ていなかったし(当時、日本の携帯を海外で使用するにはべらぼうに高い料金を払わなければならなかった)、もし持っていたとしてもうまく説明したり対応方法を聞き取ったりする自信がない。私は困り果て、平置きにしたスーツケースの上に座り込んでしまった。
15分ほど経ったころ、運よく右隣に住んでいる男性が外出から戻ってきた。何でこんなところに座っているんだ?と不可解そうな眼差しを向ける男性に、あの~、こんにちは~、済みません~と挨拶なのか何なのかはっきりしない言葉を投げかけたのち、私は「ドアが開かないんです」と現状を訴えた。男性はああ、そうなの?みたいな顔をして、自分の荷物を持ったまま、私の部屋の前へ来てくれた。男性は鍵を2回右に回した状態にしたあと、鍵を差したままドアを手前に引き、中へ押した。薄暗い室内の扉が開く。
「回し切ったら一度手前に引くんだよ。そうしてから、押す」
男性は丁寧にやり方を教えてくれてから、軽く手を挙げ、隣の部屋へ戻って行った。
この方式のドアは一般的らしく、私はその後ホテルなどで何度か遭遇することになる(私が泊まるところは安宿なので、カードキーではなく、鍵タイプが多かった)。
やっと室内に入ったものの、部屋が暗かったので、玄関の電気を点ける。左には冷蔵庫に電気コンロとシンクが、右にはドアがあってトイレとシャワー室、そして何と洗濯機があった。フランスで洗濯機のある家は珍しい。聞いたところによると、生地が痛みやすいからデリケート洗いができるコインランドリーを利用することが多いらしかった。確かに、ガイドブックでも洗濯機の設定には注意が必要などと書かれている。私はもともと手洗いするつもりだったので(フランスには手洗い専用のチューブ入りジェル洗剤があり、肌にも優しかった)、学校の友達に頼まれた1回だけしか洗濯機を使用しなかった。ちなみに、洗濯機の構造について。蓋を開けると、中にはドラムがある。使用するには、更にドラムの蓋を開き、洗濯物を入れてから洗剤を入れ、ドラムの蓋を閉める。洗濯機の蓋を閉めたのち、時間や水温などを設定する、という流れだった。私は初めて見たとき、ドラムの蓋の開け方が分からなかった(蓋が下になっていて、ドラムを手で回転させなければ蓋が現れなかったためだ)。私はドラムの上に洗濯物を乗せてみたりしたが、これじゃどう考えてもタオル2枚くらいしか洗えないと思い、まあ、どうせ使わないからいいか、と放置していた。そのとき試し洗いなどしなくて本当に良かった!もしやっていたら、タオルがドラムに絡まって洗濯機を壊していたに違いない(タオルもビリビリに破けてしまったことだろう……)。
奥の部屋はドアがなく玄関から見通せる。突き当りに天井から床までの大きな窓があり、シャッターが閉まっていたので、部屋の明かりを点けたかった。部屋の入口右側にスイッチを見つけたのでカチカチしてみるが、電気が点かない。も~、何なのよ~、電池くらい交換しておいてよ~と多少イラつきながら窓のそばへ行き、ガラス戸を開けシャッターを上げようとしたがこれまたビクとも持ち上がらない。重量挙げの選手並みに何度も踏ん張ってみたが、1ミリも上がってくれない。自慢じゃないが、私はそこまで非力じゃないぞ!
(怪力の持ち主じゃないとシャッター開けられないわけ?)
9月の南フランスはまだまだ暑い。私は汗だくになって床にへばってしまった。虚ろな目で何気なく窓の左側の壁を眺めたとき、何やらスイッチのようなものがある。
(ひょ、ひょっとして、このスイッチは!)
プチッ。
目の前をゆっくりとシャッターが上がる。
(……)
電動シャッターか~い!
鍵とのギャップがありすぎなんだよ~!!
そもそも、部屋の電気が点いてれば、シャッターのスイッチにも気付いたに違いない!!!
ということで、翌日学校に「部屋の電気が点かない」と相談(クレーム?)を入れたところ、私が授業を受けている間に係の人が家まで見に行ってくれた。それなのに、返ってきたのは「あの部屋に電気はない」というものだった。「以前は天井に電気があったのでスイッチだけは残っているが、取り外して壁を埋めてしまったので、明かりは室内の間接照明だけになる」とのこと。
(スイッチだけ残すとか、紛らわしいことしないでよ~!)
結局、部屋に置かれていたオレンジに光る間接照明のランプだけで過ごすことになった。部屋の家具は、左側に本棚と机と、天井から吊り下げる形でテレビがあり、右側にはベッドと、入口横にクローゼットがあった。床には青藍色のカーペットが一面に敷かれ、窓からは床と同調するような海が見えた。窓には2・3人が立てるくらいの幅の狭いベランダがあり、小さなテーブルと2脚の椅子が置かれていた。私は週末になると、このベランダでゆっくり食事をしていた。独りで。優雅な気分を味わっているつもりの自分というものを感じてみたくて、タイマーで写真を撮った。すっごくぎこちなくて、なんじゃこりゃ、という写真になっていた(苦笑)。時々、左隣に住む若いマダム宅の猫ちゃんがベランダを伝って遊びに来た。人懐っこい性格で、私の部屋の中まで入ってくることもあった。私は遊び相手になって欲しかったのだが、マダムが呼ぶと猫ちゃんはすぐに戻って行ったので、数分戯れるだけに終わっていた。テレビもたま~に見ていた。当時はシドニーオリンピックが開催されていて、開会式の様子を見たことを覚えている。でも、テレビを見るより音楽を聴く方が好きだったので、もっぱら持参していたCDやラジオを聴いていることの方が多かった。
多少困惑したことがあったものの、初めての独り暮らしとしては申し分ない部屋だった。たった1か月間だけだったが、私はとっても気に入ってしまった。もしフランスにずっと住むことになったらこの部屋がいい、と思っているくらいだ。
(写真の黒丸で囲ったところが、私の部屋に当たるところ)
で、2回目の独り暮らしはその2か月後。パリの物件だった。日本人男性が経営する語学学校の手配によるものだったが、この学校がいい加減で、最初に聞いていた物件とは異なる部屋が用意されていた。住所が全く違う物件で、私は日本の家族や友人に別の方の住所を伝えていたため、手紙の行き違いなどが発生していた。このことについて学校側に(今度ははっきりと)クレームを申し入れたが、部屋を用意したんだからいいでしょ?といった感じで相手にされなかった。
左岸にあったこの物件は、移民の人たちが生活する共同アパートのようなところで、入口には移民の管理人さんがいた。入口左手に鍵で開けるタイプの郵便受けがあり、その左に30人乗りくらいのエレベーターがあった。部屋は2人部屋で、キッチンとシャワー・トイレを共有するようになっていた。2人部屋といっても、部屋の中に鍵の掛かる個室が2部屋あり、それぞれを寝室にしている、という形態だった。そのため、部屋の鍵を開けて中に入り、更に自分の個室の鍵を開けて中に入る2段階方式だった。幸い、鍵は日本と同じように1度回すだけのタイプだったので、ここではすんなりと中に入ることができた。でも、部屋の鍵・個室の鍵をいちいち確かめて開けなくてはならなかったので、急いでいるときなどは閉口した。更に郵便受けの鍵もあるから、私は常に3つの鍵を持ち歩いていた。
学校は空いている部屋に私を突っ込んだような状態だったので、私は空き状況に応じて部屋を変えさせられた。1回は料理人を目指しているMさんという日本人女性と同じ部屋だったので、お互い話をしたり食事に出かけたりできたので良かった。だが、もう1回はラオス人男性と同部屋だったので、共同の場でなるべくかち合わないように気を遣った。特に、シャワーは男性が確実にいないときを見計らって使用していた。
個室には、左側にベッド・テーブルと椅子が一脚、金属製の錆びて凹んだ小さい簡易クローゼットがあるだけで、右側には何もなかった。ドア正面に天井から床上50cmくらいのところまでの窓があったが、胸の高さくらいまでの柵があるだけでベランダはなかった。部屋が変わっても同じ形態だったので、寮のような感じだ。ベッドのブランケットはトマトのような赤にネオンイエローの格子柄で、毛が長くカーペットじゃないかと思うくらい厚手だった。使用感のあるこのブランケットで眠る気にはなれず、私はしばらくストールを掛けて過ごしていた。だが、パリには11月~3月までいたので、段々寒さが厳しくなってきた。当時はプリズニック(その後全てモノプリに変わっていた)というスーパーが比較的コスパの良さそうな品揃えだったので、手頃な価格でブランケットが手に入らないか探してみたのだが、用途に合うようなものが見つけられなかった。仕方なく私は部屋にあったブランケットをジャブジャブとキッチンで手洗いして、窓を開けて柵に干し、寒さに震えながら乾くのを待った。パリでは、景観が悪くなるからと洗濯物を干すことができない。だが、移民が多い地区だったからか、あるいは集合住宅のように周囲が同じようなアパートで囲まれていたからか、幸い私は誰からも注意されなかった。
初回があまりにも良すぎたため、2回目のここにはほとんど思い入れがない。でも、住めば都でそれなりに生活できていたように思う。
3回目は、インターンで来ていた街でのこと。学校が夏休みに入ってから私が帰国するまでの2か月ほどを過ごした。語学学校のときとは異なり、自分で部屋を探さなくてはならない。パリなどの大都市であれば、オヴニーなど日系の情報誌で探したりもできるし、日系の不動産屋さんもいくつかある。インターネットカフェもあるから情報収集には困らない。だが、地方都市では勝手が違う。私の場合は、運が良いことにメンターだったマリーが知り合いの大家さんに空き部屋を当たってくれたため、部屋探しで苦労することはなかった。
アルバンというアルバニア人の大学生(最初あだ名なのかと思ったが本名らしい)が夏休みで不在にする間使わせてもらえることになったので、間借りの状況だ。部屋は一軒家のように2階建てのステュディオで、1階がキッチン・2階がバスルームと寝室になっていた。フランスの独り暮らしでバスタブがあるのは初めてだったので、私は香りの良いキャンドルなどを買い込んで優雅なバスタイム気分に浸ることにした(画ずらの関係上、自撮りは当然ながらしなかった)。部屋にはドアがなく、ベッドとローテーブル、作り付けの三段棚と置き型のテレビがあった。テレビにはなぜかペンキで白く塗られた棒が差し込まれていた。マリーはそれを見た途端、「真面目だと思っていたから貸したのに!」とアルバンに対して激怒していた。どうやら、それは違法に映像を受信する方法だったらしい。
「絶対にこのテレビを見ないで!」
とマリーから厳重に言い渡されたので、この部屋で私がテレビを見ることはなかった。
床は板張りでカーペットなどはなかったが、日本から折り畳みのござを持参していたので、ローテーブルを使用するときはベッドに座るかござに座るかしていた。窓の下に電気ヒーターが備え付けられていたが、夏場だったのでこの部屋では一度も使用することがなかった。勉強や作業用として、少し大きめの机とそれに合う椅子が欲しかったので、私はマリーに相談してみた。マリーは快く引き受けてくれ、大家さんに頼んで椅子とテーブルを用意してくれた。
キッチンにはペラペラのビニールテーブルクロスが掛かった4人使用くらいのテーブルと椅子が2脚、みぞおちぐらいの高さの食器棚があった。食器棚には大皿・小皿・カフェオレボウルとグラスが2セット備わっていたので、来客があったときも1人分なら対応できる。食器棚の右側には少し段差があり、そこからが水回りの仕様になっていた。手前に大きなシンクがあり、シンク下にはホテルのミニバー並みの小さな冷蔵庫と、フライパンなどを収納できる観音開きの戸棚があった。シンクの右横に埋め込み型のIHコンロがあり、更に右側にはタイル作りの調理台が設けられていた。2人が横並びで作業してもぶつからないくらいの広さがある。調理台の下にはプロヴァンス柄の布がカフェカーテンのように掛けられ、開くとゴミ箱や食料のストックを置けるような空間になっていた。
私はバスルームのキャンドル以外にも、鏡周りに飾りを施したり、布を買ってきて枕カバーを作ったり、食器棚とテーブルに小物を置いてみたりと、殺風景な室内を自分仕様の寛げる空間に変えていった。部屋の壁紙は模様がなく寂し気だったので、カレンダーや雑誌で切り抜いた写真を飾ったりしてみた。過去2回の独り暮らしでもそれなりに自分仕様にしていたのだが、回数を重ね慣れていた頃だったので、間借りとはいえ結構好きに手を加えていたように思う(違法なことはやっていないけど)。
それに、過去2回の独り暮らしでは日本人(とその方のフランス人配偶者)くらいしか訪ねてこなかったし、回数も多くはなかった。ここにはマリーやラシェル、マルティヌ、ニコ、ミシェル、RDP家の皆さんなど、色々な人が訪ねて来てくれた。人が来るようになると、生活にも張りが出る。今度来てくれたときには教えてもらった料理を作ってみようかなとか、このワインにはああいうグラスを使いたいよねぇなど、独りではあまり気にしなかったことに気を回すようになる。しかも、日本ではお高めの食材や品物が安く手に入る。そんなわけで、過去の独り暮らしのときよりモノに溢れた生活を送っていたように思う。
ステュディオと一口に言っても、統一された様式がないフランスの部屋事情。3回とも異なる体験ができたし、もし次の機会があったときには、今までとはまた一味違う体験ができそうだ。なにぶん、鍵が開かなかったり冬場の寒さをしのがないといけなかったりするのはホームステイでも経験したので、もう自分には起こらなくてもいいよ、と思っているのだが。
今度は不動産屋さんから当たってみるかな?それはそれで別のトラブルが起こりそうで、ちょっと怖気づいてしまうけれど。最終的には、初回のステュディオに暮らせるようになっていたいなぁ~。
(写真は3回目の独り暮らしでの2階の窓からの眺め。お向かいさんは、木扉を昼閉めて見栄え良く、夜開けて涼しくしています。)