スイーツ・ノスタルジー1~クリスチャン・コンスタンのチョコレート~

早朝発、パリ行きSNCF。直角の座席に何度も体制を変えながら、少しまどろむ。
20年以上も前の話になるが、私はフランスの地方都市に語学留学のため滞在していた。週末は滞在都市近郊をぶらっと訪れるか、美術館とスイーツを巡るため、パリまで足を運んでいた。

今でこそ、世界各国のショコラティエやパティシエのチョコレートを日本でも購入できるようになったが、当時はピエール・エルメが日本でのオープンを翌年に控えていた頃。まだパリに進出していない時期だった。
私は取り敢えずパリに出店しているショコラトリーやパティスリーを回れるだけ回ろうと決め、どうやったら一番効率的かを検討していた。そのため、下見を兼ねて1週間前にパリで美術館巡りをしていたのだが、招かざる同行者に出くわしてしまったため(そのあたりは【ある日の話・「ある日、付け回された挙句」】をご参照ください)、よく確認できていなかったのだ。幸い、美術館巡りの時にパリの地図を買っていたし、行ってみたいお店の住所はすべて日本で事前に調べて控えてきていたから、電車の中で回る順番を決めることができた。

パリに到着し、わき目も振らず目的地へ向かう。8区でメゾン・ドゥ・ショコラ、1区でジャン・ポール・エヴァンとラデュレ、アンジェリーナ。きらびやかなアレクサンドル三世橋からエッフェル塔を眺め、7区でミシェル・ショーダンとリシャール、6区でジェラール・ミュロ、ドゥボーヴ・エ・ガレ、ポワラーヌ。
その後、増えてしまった荷物を入れるため、エルベ・シャプリエでバックを購入。ずっと歩き回ってお腹も空いたため、近くの公園でポワラーヌのショーソン・オ・ポム(パイ生地でリンゴを包んで焼いた菓子パン)を食べることにした。
人気のない小さな公園だったし、まあ、外国人が大口開けてパンをかじっていたって誰も気にしないだろう、と思っていたら、じっと見てくるヤツがいた。しかも、複数で。
パンくずを狙っている、ハトの群れ。首を振りながら足元をウロウロ、あるいは隣に舞い降りてきては私の手元をじっと見ている。そうしてパンのかけらが落ちると、一斉に飛びつき、つつき合っている。ゆっくり堪能したかったのに、せわしないハトの動作に、なんとなくこちらもせかせかしてしまう。少し離れてほしいので、パンを少しちぎっては放り投げてみる。数羽がこれに反応したが、またすぐ戻ってくる。それに、一度やってしまったことで、またくれるのではないかと期待した(?)ハトがますます周りに集まってきてしまった。
これじゃ、まるでハト使いだ。最後のかけらを口の中に放り込み、膝に落ちたパンくずを払って立ち上がると、その場に群れがわっと押し寄せてきた。ハトっていうより、なんかピラニアみたい……。

そしてとうとうこの6区で、私はとても印象的なチョコレートと出会った。
クリスチャン・コンスタン。当時、白黒を基調とした清潔で落ち着いた雰囲気のあるブティックでは、通りに面したショーウィンドウにケーキを並べ、ガラス張りの店内奥でチョコレートを扱っていた。
ドアを押して店内に入ると、すらっとして綺麗な黒人女性がにこやかに出迎え、「何かお探しですか?」と声を掛けてくれた。
店のカラーと同じ、白シャツに黒いスカートを着た彼女はメイクなし・アクセサリーなしのシンプルな装いなのにとてもスタイリッシュで、私はしばらく彼女に見とれていた。映画「チョコレート」でハル・ベリーがノーメイクだったが、その感じとも違う。一般人の素朴さというか、女優さんやモデルさんにはない、柔和ななかにも凛とした雰囲気のある女性だった。店員は彼女一人。パリの店舗で接客を任されているという自信や誇りが、そういった内面の美しさを体現しているのではないかと思う。彼女はつかず離れずを保ち、私が声を掛けるまで控えていてくれた。説明は分かりやすく簡潔だったが、子ども扱いすることなく、私のことを「マドモワゼル」と呼び、サービスに徹していた。
と、ここまで書いていると「印象的な出会いはチョコレートではなく彼女なのか?」と言われそうですが、一応、チョコレートの話です(笑)。
私は「ブラックチョコを全種類」(ブラック好きなので、他のお店でもそういう頼み方をしていた)と、ショーウィンドウを見て気になっていたケーキを3個注文した。「サ(これ)」と拙いを通り越して幼児のような指さし注文をする私に対し、彼女は穏やかな微笑みを返しながら「これですね?」と一つ一つ確認し、箱に入れてくれた。彼女は慣れた手つきでパッケージしたあと、傾かないようにケーキとチョコレートの箱を丁寧に袋に入れ、出口まで持って私を見送り、「良い1日を」と言って手渡してくれた。
色々なお店を回ったが、温かく接してくれた彼女の言動は、この日の中で一番私の心に染みた。
その後、ポン・ヌフを渡ってベルティヨンのアイスクリームで喉の渇きを潤し、リヨン駅からステイ先へ戻ったのだが、その日眠りにつくまで、私は充実感で満たされていた。

チョコレートは全店舗分、帰国するまで開けることなく、家族にお披露目する運びとなった。見た目が華やかなもの、フレーバーで楽しませるもの、触感で驚かせるものなど、どれも甲乙つけがたかった。
クリスチャン・コンスタンが印象的なのは、その香り。陶器の菓子入れにチョコレートを移しておいたのだが、蓋を開けるたびに馥郁たるカカオが幸せな気分に誘う。産地の違うカカオを使用したチョコレートは飾り気がなく、表面に文字やデザインなども施されていなかった。店員の彼女は一つ一つどんなものかということを説明してくれたのだが、残念ながら、帰国時にはすっかり忘れていた。だが、蓋を開けた時と、口に含んだ時に鼻に抜ける香りによって、私の中でクリスチャン・コンスタンのチョコレートは特に印象に残るものになった。
3個買ったケーキはホームステイ先の家族と食べたのだが、購入後数時間持ち歩くことになってしまったため、箱を開けた時には型崩れしていた(仕方ないけど……)。チョコレートと同じで香りが良く、ねっとりとしながらも口溶けの良い生タイプのケーキだったのだが、保冷剤なしで数時間、しかも崩れてしまった。正しい保管状況で食べたとしたら、きっともっと美味しかったに違いない!

その後、再訪の時にも立ち寄ったのだが、対応してくれたのは別の店員さんだった。同じ人に会える確率はほぼないと思っていたけれど、ちょっとガッカリ。でも、相変わらずまとう香りは絶品だった。そうして時は流れ、お店の雰囲気も店員さんも少しずつ変わっていったが、その香りが私の印象を変えることはなかった。
更に時は移ろい、クリスチャン・コンスタンは日本にも出店した。これでいつでもあの香りが楽しめる!と思ってしまった私は、近くにあることで安心してしまい、あろうことか一度も買いに行くことがないまま、撤退したことを知った。パリの店舗も閉店したと聞いたので、私はあの香りを感じられる機会を失ってしまった。
最近は世界中で有名なショコラティエが誕生していて、斬新な香りやフレーバーも続出している。きっと、まだまだ新たな発想に驚かされ、印象に残るものも出てくると思う。
コンスタンのような出会いが、またどこかで起こるだろうか?
今はただ、あの時の驚きと喜びを懐かしく思う。

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