この切手に注目!~ツール・ド・フランス~
7月に入ると、フランス各地で大小さまざまなイベントが開催される。以前にご紹介したアルルの衣装祭りやアヴィニョン演劇祭もそうだ。ジャズ祭などの音楽イベントも多い。7月14日の革命記念日では、いくつかの都市で花火が見られたことだろう。インターン期間中、私が滞在していた街でも、花火が上がっていた。
この時期、複数都市において同じイベントで盛り上がりを見せるものと言えば、ツール・ド・フランスだろう。詳細を知らない人でも、名前くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。2003年に100回の記念大会を迎え、今年は110回目となる。インターンでフランスに滞在していた2005年のレース期間中(どうやら7月14日だったようだ:下の写真を参照)に黄色のポロシャツを着ていたら、
「君はどこかの区間で首位を取ったのか」
と見知らぬおじさんにからかわれたことがある。いわゆる‟マイヨ・ジョーヌ”、ツール・ド・フランスの各区間で首位となった選手が着ることのできる黄色のジャージのことだと分かったので、適当に笑ってやり過ごした。そのほか、ポイント賞にはマイヨ・ヴェール(緑)、山岳賞にはマイヨ・ア・ポワ(赤い水玉)、新人賞にはマイヨ・ブラン(白)など、獲得した賞によって着ることのできるジャージが色・模様分けされている。私は鮮やかな緑色のサマーニットをレース期間中に着ていたこともあったけれど、そのときは誰からもポイント取ったの?みたいなことは言われなかった(道化師の色だと言われたことはあった……)。それだけマイヨ・ジョーヌは特別なものということなのだろう。
※下左は7月14日に街で打ち上げられた花火。この日はフランス中お祭り騒ぎで、私も友人宅に招かれた。下右は、その7月14日に私が着ていて見知らぬおじさんにからかわれたマイヨ・ジョーヌ。どちらも招かれた友人宅で撮影。
今回は、インターン期間中に購入した、ツール・ド・フランス100回記念大会の切手をご紹介。
モリス・ガランは初代(1903年)の総合優勝者らしい。ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、ミゲル・インドゥラインは総合優勝回数5回の選手たちのようだ。そして、注目すべきは右上のランス・アームストロング。当時は総合優勝回数4回で、前述の4選手に続く存在だった。彼は癌を克服後、7年連続でツール・ド・フランスの総合優勝を飾った選手で、他の選手のことは知らなかった私でも、癌克服からの経歴や、高名なミュージシャン・宇宙飛行士の方々と同じ名前ということで、印象に残っていた。この切手が発行された2003年には、BBC年間最優秀スポーツ選手賞(海外部門)を受賞したから、このときは語り継がれるにふさわしい選手として切手にも名を連ねたのだろう。だが、2012年にドーピング容疑で告発され、ツール・ド・フランスの全タイトルを剥奪されたのだ。過去の栄光の面影だけ残した切手。
そういえば、スピードスケートで南半球初となる冬季五輪の金メダルを獲得したオーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーも、その功績を称えられて切手が発行された。2002年のソルトレークシティにおける金メダル獲得の経緯から、ラッキーボーイという印象が強いが、1991年の世界選手権で獲得した金は、ウィンタースポーツの世界選手権としてはオーストラリア初となる快挙だった。1993年~1994年の世界選手権やオリンピックでは銀や銅を獲得し、怪我やアクシデントに遭いながらも10年以上努力と実績を積み重ねてきた結果、オリンピックの金メダルを手にした。運も実力のうち、とはよく言われるけれど、彼の切手が発行されたのは、一瞬の栄光によるものではない。
オーストラリアのナショナルチームがユニフォームとして採用する色は、緑と黄(金)だそうだ。アームストロングとブラッドバリーが身に着けたマイヨ・ジョーヌは、対照的な存在として目に映る。