「聴く」に集中する

今も昔も、私は日常生活で持ち歩く荷物が多い。備えあれば……ということで利用頻度が低いものまで鞄の中に入れているからだが、この傾向は自宅が火災に見舞われてからより顕著になった。火事で持ち物の大半を失い、自分の人生記録ともいえる写真、友人からの手紙など思い出の品、初めて書いた読み物の原稿などがこの世から無くなってしまったという喪失感は計り知れなかった。こういったものも、今はデータでバックアップできるから便利になったものだ。紙のほうが好きだけど。
この火事では、ピアノやヴァイオリンも焼失してしまった。これらの楽器を買い直すことはなく、その後何年も演奏から遠のいた。ピアノは5歳から高校生になるまで毎日朝晩弾いていたし、その後もずっと続けていたから、音を無くしたことで身体エネルギーがフル充電されることはなくなった。古いバッテリーを使い続けているようなものだ。だましだましで数十年経ってしまった。今となっては、鍵盤の代わりに毎日パソコンで指を動かしている。キーの押し・戻りは全く別物だけど。
データで持ち歩けるようになったものはいいが、ピアノはムリだ。木鍵が弾きたいので、電子ピアノは検討していない(もちろん、妥協したとしても持ち歩くわけではないけど)。今になってピアノ云々と言っているのは、バッテリーが持たなくなりそうだからだ。つい最近、『ヴァニタスの手記』というアニメをたまたまテレビで見た際、主題歌になっていたササノマリイさんの『空と虚』に私の耳が落ちてしまった。あの軽やかで気だるい感じ!猛烈に弾きたい!!検索したら何人かの方が楽譜を載せて演奏されていたが、アレンジしているようだったので、同じ音で弾くには耳コピするしかない?そうなると、ピアノがないとダメじゃない??という具合になってしまったのだ。でもまあ、ピアノ買えないし。置く場所ないし。時間貸しを検討するか。あるいはまた、だましだましで乗り切ることになるかも知れない。

今回みたいに、音を自分で出したいという渇望は今までに何度もあり、その都度他のことでエネルギーを発散させてきた。フランスではとにかく『聴く』ことで自分を納得させようとした。アクセントを気にし始めたこともあり、ラジオやCD・映画などで曲だけではなく言葉の音にも注力してみた。
フランスにいた当時はネット環境がなかったことや、映画やCDの代金が日本より安かったこともあり、映画館に通ったりCDを購入して、聴くことに集中した。聴いたことでかえって音を出したくなることもあった。そんなときは、ニコが音楽を風船や太鼓などを通して楽しんでいたことを思い出し、参考にさせてもらった。ピアノは空気と固体(振動)で音が伝わるので、演奏部屋が薄いガラス窓などに囲まれていたら、耳を添えることで音を感じることができる。フランスの標準語は、空気音が少ない。母音が滑らかに繋がり、強弱が少なくなっている。ペットボトルに耳を当て、相手には口を近づけて発音してもらうと、どこにアクセントがあるか分かりやすい。
あるとき観たフランス制作の映画では、ジョディ・フォスターさんが出演していて、フランス語で演じていた。彼女はとても流暢に話していたので、フランス人にはどう聞こえているのだろう、とメンターのマリーに尋ねてみた。
「ほぼネイティブと変わらないわね」
ジョディさんはアメリカのリセに通っていたそうなので、スムーズに話せるのは当然なのかも知れない。だがリセより前、13歳で出演した『タクシー・ドライバー』でカンヌ映画祭助演女優賞を受賞し、その際のスピーチですでにフランス語が堪能だったというから、さすが!である。
『コーリスト』では、子どもたちの日常での言い回しや透き通った歌声に癒された。「ソプラノ」「アルト」「テノール」「バス」とパート分けされるときに彼らが歌った(発言した?)シーンは、特に可愛らしくてお気に入りだ。子どもらしい口調や、育ってきた環境によるユニークな自己表現が微笑ましい。また、このパート分けのシーンにおいて、「この子、ソプラノかと思ったらアルトなんだ」など、今までになくトーンを意識している自分に気付いた。
ステイ先の四女と『ハウルの動く城』を観に行ったときは、字幕ではなく吹き替えだったので、帰国後改めて観た際、「ああ、ここはこんな風に言ってたんだ」と比較できた。フランス語だとちょっとせわしない印象。日本人だから日本の声(俳)優さんの声のほうが落ち着くのは当然か。荒地の魔女は美輪さんじゃないとねぇ~。
フランスで聴いていたラジオ番組は、主にフランス・アンフォ(ニュース)やM6とかエネルジー(流行曲)、ときどきノスタルジー(60~90年代の曲)など。
ニュースでは、日本の出来事をほとんど聞くことがなかったが、中越地震のことが流れたときは肝を冷やした。家族や友人と遠く離れている身としては、すぐに駆けつけられない状況は不安だ。映像で見られないため、聞いただけでは不安を煽られる。幸い、私が帰国を余儀なくされるような事態には及んでいなかった。そのほか、日本に関することで私の耳が捉えたのは、浜崎あゆみさん・増岡浩さん・松井大輔さんの3人。増岡さんはパリ・ダカールラリーで2年連続優勝した翌年のため、2位となった際のインタビューだった。3年連続とならなかったので残念に思ったが、久々に慣れ親しんだ母国の言葉が聞こえてきたとき、顔がほころんでいるのを感じた。松井さんはサンガからル・マンに移籍し活躍されていたから、ラジオのパーソナリティーも興奮気味。今までフランス人からは「ナカタ」「ナカムラ」くらいしか聞かなかったため、どうだ、日本人には他にも素晴らしいプレイヤーがいるんだ!と同胞として誇らしく思ったものだ。
M6やエネルジーではフランス以外にアメリカの曲を取り上げることも多かったが、ユーロ圏の曲を聴くことができたので、耳新しさで飽きることはなかった。この2局は定期的にCDを発売し、プロモ(販売促進)の時期だと、2枚組が1000~1500円くらいで買えた。日本ではほとんどCDを買ったことがなかったくせに、音への欲求と手頃感もあったので、2局分購入した。
日本語の生徒であるミシェルからは、バルバラやセリーヌ・ディオンのCDを頂いた。セリーヌのフランス語は聴いたことがなかったので、カナダ人の発音はどんな感じだろう?と興味をそそられた。聴いてみた結果、多少アクセントが強いような気がした。でもそれは、歌っているからなのでは?私にはフランスとカナダ(ケベック)の発音にどのような違いがあるか分からなかった。

こうやって聴くことに集中し楽しんだ結果、フランスでも何とか放出エネルギーを抑えて乗り切ることができた。
さて、今は。演奏したいけど。したいけど……。やっぱりしたい~!
考えないようにしよう。弾けるときがきたら、大いに弾けるように準備だけしておこう。鞄の中には必需品以外に、持ち歩けるようになったデータと、エネルギーを抑えるための楽曲が入っている。「聴く」に集中する機会は減りそうもない(私の荷物も減りそうにない)。

フランス語の楽曲CDの一部。ZAZはやや低音のハスキーボイスが憂いと秘めたパワーを感じさせてくれる。

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