ある日、VELOの日常
フランスで生活するなら、車を運転できた方がいい。移動手段としてだけでなく日々の買い物まで、フランス人はちょっとした距離でも車を出している。エコに関心がある人でも、住環境による利便性において、車なしの生活は考えられないようである。徒歩数分の学校に子どもを送るため(防犯)、買い出しの荷物を積み込むため(キロ単位の値段設定なので箱買いは当たり前)、公共交通機関の遅延のため(ストとか多いからなぁ……)等々、お国柄によるところも大きい。遠方への旅行でも(国内だけでなく国外も)、電車ではなく車を利用する人が多いから、彼らにはどこへ行くにも車が必要不可欠なようだ。
留学やインターンで地方にいたとき、車があればいいなぁと私も思ったことはあった。近隣の小さな町や村は、公共交通機関の発着地から離れていることが多い。日本からとなると大変だから、フランスにいるうちにいろいろ回っておきたい、いざというときはレンタカーでも借りようと、インターンのときは国際運転免許証まで携帯していた。だが、ブランクが長かったうえ、左ハンドル・マニュアル車を運転するのは相当ムリがあることを実感してしまったため、私の移動手段はもっぱら公共交通機関になった。
そんな渡仏生活において、2回ほど自転車を利用したことがある。1回目は、地中海に面した街に留学した際、語学学校から貸し出された。2回目は、インターンでお世話になっていたご家族の持ち物を借り受けた。
「あなたもveloを使うわよね?」
「ヴェロ?」
「ああ、bicyclette(自転車)のことよ。好きなものを選んで」
1回目のとき、留学先の学校の倉庫に並んでいたヴェロは、あまり手入れされていない様子で埃と錆に覆われ、どれもみすぼらしかった。取り敢えず、一番マシに見えたものを選び、ステイ先へ乗って帰った。
今でこそパリでレンタサイクルが一般的になり、カゴ付き自転車も登場しているが、25年前、フランスの自転車には基本的にカゴも荷台も取り付けられていなかった。ツール・ド・フランスの国だから、スタイリッシュで高性能な自転車があるのかと思いきや、貸し出されたヴェロは前述の通り。チェーン部分がむき出しでロードバイクといったところだが、かといって、機能的な性能は何も装備されていなかった。ハンドルはT字でサドルがやたらと高い(フランス人には普通なのでしょうが)。一番下まで下げても、日本人の私では停車時に両足が地面につかない。片足のつま先がやっと着くくらいだった。そのため、停車しそうになったときにはどこか足を置ける場所を探したり、いちいち足を振り上げて降りなくてはならなかった(日本のママチャリと違い、ハンドルからサドルにかけてのフレームが膝より高い位置に渡っているため)。
あるとき、私は語学学校のスイス人留学生と仲良くなった。その時期、学校全体でも生徒数が十数人程度だったので、みんな顔見知りだったのだが、とりわけ彼女と仲良くなったきっかけはチョコレートだった。彼女はテントウムシ型に包装されたチョコレートをいつも食べていて(マエストラーニ社のものと思われる)、
「これ好きなの~」
とニコニコしながら私にも分けてくれていた。ドイツ語圏スイス人の彼女は、肩までの赤毛をソバージュにしてお化粧も華やか。シンクロナイズドスイミングのデデューに似て、大きくて印象的な目とちょっと尖った鼻をしていた。私より背が低かったからかなり小柄なのだが、なぜか私を膝の上に乗せたがった。歳の離れた弟がいると言っていたから、留学中、弟が恋しかったのかも知れない(確かに私は子どもっぽく見えたかもですが、男の子ではないのに~)。
そんな彼女から、街外れの大型ショッピングモールのことを聞き、私は一人ヴェロで出掛けることにした。街中の小さな店舗では手に入らない文房具や、日本では見慣れない食品があるかも知れない。でも、一人でちゃんと辿り着けるかしら?学校帰り、薄曇りの空の下、私は大きな期待とちょっぴりの不安とを抱えながらモールへと向かった。
入り組んだ道路を車がビュンビュン行き交っている。日本の首都高速合流地点といったところで、自転車を走らせている人はほとんどいなかった。なだらかに続く坂を、ペダルに力を込めて上っていく。
「坂を上り切ったら右側に円を描くように下りる道が続くから、そのまま道なりに行くとモールがあるのよ」
聞いていた通り、ここまでは順調にやって来た。
(あと少し!)
そう思って、更に足裏に力を込めたときだった。突然、足を引っ張られるような感覚と鈍い摩擦音がしたのち、踏みごたえなくペダルがカラカラと音を立て、左右の足が楽に回転し始めた。どうやら、チェーンが外れたらしい。学校貸し出しのヴェロは、見た目の印象そのままに年を重ねてきたものだったようだ。
(ゲッ、どうしよう?!)
道具とかないけど大丈夫かしら?と、降りて状況を確認する。足元を見て気付いたのだが、私のジーンズの裾はちぎれ、黒い油がこびりついていた。恐らく、裾がチェーンに絡まり、反動で外れてしまったのだろう。ジーンズの破損には凹んだが、チェーンは外れただけで切れたりしたわけではなかったため、自分でも直せそうだと胸をなで下ろす。汚れたチェーンに素手で触ることに多少抵抗はあったが、手を覆うようなものは持っていないので致し方なし。粘りのある油の触感と錆びた鉄の匂いで、私は威嚇するときの猫のように鼻に皴を寄せた。チェーンリングにはめ込もうと引っ張ってみるが、あとちょっとのところで歯車に掛かってくれない。
(な~んで伸びないの?!)
そりゃ、伸びるチェーンだとたるんでペダルにうまく力が伝わらないでしょう、と心の中で突っ込むものの、ベトベトしたチェーンが掌で擦れるだけの状態に心がささくれ立つ。
(うう、こんな油まみれになるなんて!)
ジーンズや靴、そして手は爪の間まで真っ黒になっていた。人通りはないし、車は風を起こして通り過ぎていくだけ。この状況、更に凹むわ~!
暫くの間、ただただ力任せにチェーンと格闘し(冷静に考えたらすぐに解決できる方法を思いついたのかも知れないけど)、何とか掛かったときには人目をはばからず(見ている人もいなかったけど)、「ヤッター!」と叫んでいた。
結局、汚いなりをしてモールに行くわけにもいかず、帰宅することにした私(学校から30分くらいかけてここまで来たのに……)。チェーンは掛かったものの、ペダルを踏みこむたびにガッ、ガッ、と滑らかではない嚙み合わせ音がするので、慎重にこいで帰った。そのため、ステイ先に着いたときにはすっかり遅くなっていて、心配したローラ(ステイ先のマダム)が駐車場で待っていた(当時は携帯を持っていなかったから連絡できなかった)。ジーンズは破れ、自転車や服、そして手や顔も油で汚れていたから、ローラには更に心配を掛けてしまったのである。
その翌日、私が適当にはめ込んだチェーンなんて危なっかしくて仕方がないので、油を落とし現状回復させたヴェロを、学校で別のものに替えてもらったのは言うまでもない。
替えてもらったヴェロも相変わらずみすぼらしかったけれど、幸い支障が出ることはなかったので、私はモールへもちょっとした遠出にも使用していた。
2週間ほど、その語学学校に日本人は私だけだったが、レオナという台湾からの留学生がいた。身長165cmくらいで、襟足を短く刈り上げたショートの髪は明るく艶のある赤茶色。くりくりした丸い目や大きめの鼻と口で、可愛らしく愛嬌のある顔立ちだった。彼女は私より先に入学していて、私が入ったとき、
「やっとアジアの子が来た!」
と声を掛けてきた。
「日本語の辞書だったら私にも理解できるかな?」
と私の辞書を見たものの、漢字だけでなく平仮名・片仮名があるので
「やっぱりムリだった~」
と机に突っ伏してみたり、
「日本人の観光客には、品物を渡すとき『ゴユックリドウゾー』って言ってた」
と台湾のマックでバイトしていたときの話をしてみんなを笑わせるなど、明るく誰とでもすぐ打ち解ける子だった。
レオナは学校帰り、たびたび私を海へ連れ出した。自転車で片道45分ほど掛かるのだが、
「今日は天気がいいから行かない?」
と誘われると、確かに、こんな日にすぐ家へ戻っちゃうのは勿体ないかな、といつもOKしていた。他の生徒は遠出をしたくないのか、あるいはアルコールの方がいいのか(北米とヨーロッパ圏の留学生たちは街中のバーの一つにたむろしていた)、海へ出掛けるときはいつも私たち二人だけだった。
「曲がるときはこうやって手を出すのよ」
レオナは車道での自転車運転マナーを私に教えてくれたので、飛ばしてやってくる車の脇を走っているときも心強かった。
シーズンを過ぎた地中海の海辺は人も少なく、散歩にはうってつけだった。私たちはヴェロを止め、海を見ながらボーッとしたり、砂浜をブラブラと歩いては他愛もない話をした。海は泳ぐよりも眺める方が好きなので、賑わっていない地中海にすぐ行けるというのは恵まれた環境だったなぁと思う。そして、チェーンが外れたのがこのときでなくて良かった、とも思い返すのである。
2回しか使用機会がなかったヴェロ。パリではあまり必要性を感じなかったし、ニースにほど近い街は坂道が多かったので、もし貸し出されたとしても使わなかったかも知れない。だが、フランスで滞在してきた他の街でも使う機会があったら、もっと多くの体験ができていたかも知れないな、と想像したりする。徒歩だと遠く、車だと一瞬で過ぎてしまう場所や時間をヴェロで回った日常。私のフランスでの経験を、より豊かにしてくれた。