ある日、食のホームシック
暫く外国に滞在していると故郷の食べ物が恋しくなるという人は、少なくないはずだ。単純にお米が食べたい、というときもあれば、おふくろの味を求めてしまうときもある。
海外の主要都市にある和食やさんや日本食材を取り揃えている店舗では、たいていの場合、お米を扱っている。米粒を欲していた人であればその恩恵に与ることができるので、満足度100%ではなかったとしても、ひとまず落ち着くのではないだろうか。だが、慣れ親しんだ家庭の味を追及してしまうと、何か物足りないとか、これじゃないんだよなぁとか、余計に飢えてしまったりする。食のホームシックにかかってしまうのだ。
私はフランス留学中、日本人向けのフリーペーパー‟OVNI”をときどき手にしていた。その裏表紙には、海外生活を経験したことがある、著名な日本人へのインタビュー記事が毎回掲載されていた。全員に同じ質問をしていて、その1つに「海外で日本人だと意識する瞬間は?」というものがあった。各人の答えはさまざまで、「顔が平坦なところ」「言葉の壁を感じたとき」「日本人だ外国人だと意識したことはない」等々があり、そういう一面もあるけれど、どれも何かしっくりこないなぁ、これが全てではないような気がする、と私は感じていた。そんなとき、トヨタ関係者の方(豊田章男さんだったような気がするけれど、違うかも知れない)の記事が掲載された。その方は「毎日どんなにうまいフランス料理を口にしていても、しばらくしたら米(お茶漬けだったかも)が食いたくなるとき」と回答されていて、確かに!と腑に落ちた。そしてその瞬間、私はどうしようもなく和食・とりわけ母の作る唐揚げが食べたくなってしまったのだった。
OVNIのインタビューの質問にはなかったけれど、「最後の晩餐に何を食べたいか」という問いがあったら、高級料理の名前を答える人もいれば、馴染みのある食事を挙げる人もいるだろう。私の場合は後者で、それは昔も今も変わらず‟母の作る唐揚げ”だ。お店で提供される唐揚げのほうが美味しいだろうとか、フランスはル・コックの国だから、一流シェフの鶏料理のほうがいいんじゃないの、とか言われるかも知れないが、私は慣れ親しんできた味で締めくくりたいという気持ちのほうが強い。
かのポール・ボキューズ氏もどうやら後者だったようで、彼がこの問いに対して答えた料理は‟ポトフ”だったそうだ(日本の感覚だと、‟味噌汁”と答えたようなもの)。ボキューズ氏の場合は誰かに作ってもらうのではなく、彼が晩餐に招待した一流シェフたち(彼が選んだ招待客はすべて故人だったらしい)と一緒に作って食べたい、と話したという。彼自身が偉大なるシェフだし、他の一流シェフたちとともに作るのであれば、ポトフであったとしても高級料理になるのでは、という気がしないでもない。それでも、家庭料理を選ぶあたり、体内に取り込んできたものが人に与える影響は大きいのだろうと改めて思うのである。そして、最後の晩餐を食事だけと捉えるのではなく、シチュエーションも含めて考えたボキューズ氏。彼は普段から、食事とそれを提供する環境も含めて料理を創作していたのだろう。最後の晩餐に関しても、彼の発想の豊かさに気付かされた。
身体に日々吸収されてきたものは、その人やその国の印象にも影響を与えることがあるようだ。
あるときフランス人の友人との会話の中で、
「私が欧米人の国籍を当てられないように、あなたもアジア人の国籍を見分けるのが難しいんじゃない?」
と尋ねたところ、
「そうでもないかな。日本人は発酵食品の香りがして、韓国人はキムチの香りがするから」
と言われた。
さすが香水文化の国、匂いには敏感なのね!でも、キムチだって発酵食品だけど?と思って更に聞いてみたら、日本人からは刺激のない柔らかい発酵食品の香り(お味噌とか麹とか)がする、とのことだった。
香りは記憶と結びつくと言われている。その友人は和食や韓国料理を食べたり、日本や韓国に旅行して発酵食品を食べたりしたことがあるのだろう。だから、そのときに嗅いだ匂いがする人と出会ったとき、記憶が呼び起こされ、国籍が分かるのかも知れない。
それにしても、まさか自分(日本人)からお味噌や麹の匂いがするとは、思いもよらなかった。香りに慣れてしまうと自分では気づかないというけれど、それは脳の危機意識によるものらしい。日常的に嗅ぐ匂いのなかでは安心して大丈夫と脳が感じるそうだが、嗅いだことのない匂いのなかではアラームが発せられるのだそうだ。
食のホームシックが起きるのも、身体のほうが不安になっているせいではないだろうか?今まで吸収してきた糧は細胞レベルで馴染みがあるけれど、最近取り込まれるものは消化に時間がかかるなぁとか刺激が強いんだよなぁとか、戸惑っているのかも。早くいつも通りの食事に戻って~!という信号が脳に届き、ホームシックが起こっているのかも知れない。
OVNIのインタビュー記事を読んで、母の唐揚げが食べたいと思ったとき、同時に気付いてしまったことがある。その時点まで、私は全然和食を口にしていなかったし、食べたいとも思っていなかった。腑に落ちたと思っていたけれど、そう思いたいだけだったりして?いやいや、記事を読んだとき、まさにそれ!と思ったし、現に家の唐揚げが無性に食べたくなった。今まで恋しくならなかったのは、渡仏から半年程度で、滞在期間が短いからだ!などと、心の中で否定したり肯定したり。
最終的には、帰国便の機内食で茶そばを選んでいる自分に気付き、ああ、私にも日本人の心がある、やっぱり食の影響はアイデンティティを左右するんだ、という結論に辿り着いたのだった。