ある日、部屋選びの基準

旅行でも長期滞在でも、過ごす部屋の状態はそれなりに重要だ。もし私が海外に誰かと行くことになったら、自分の予算などが許す限り、相手の要望に沿ったホテルを選択した方が無難だろう。なぜなら、私の基準は他の人のそれよりもかなり緩いので、自分の尺度で選んでしまうと高い確率で不評を買うであろうからだ。
私は1週間くらいの海外旅行だったら、スーツケースを使わない。だから、ホテルにエレベータがなくても全然OK。トイレは部屋にあって欲しいけど、シャワーや浴室が別というところでも構わない。部屋の大きさは窮屈でなければいいから、寝室以外にいくつも必要?という感覚なのだ。
もちろん、この基準はあくまで最低限。より条件がいい部屋が見つかればそちらにするし、ラグジュアリーホテルに泊まれるような機会が巡ってくればやぶさかではない。

ホテル選びをする際、立地も重要だ。2度目の海外はフランス短期留学のときだったのだが、どうしてもモン・サン・ミシェルへ行きたいと思っていた。留学先はオーベルニュ地方だったから、学校生活中に訪れるのは難しい。そうなると、渡仏直後もしくは帰国前にパリに滞在するときくらいしか機会がない。帰りは荷物が増えているだろうから、ということで地方へ行く前に足を伸ばすことにした。
海外2度目、しかも荷物はホテルに置いて出掛けるから、ある程度帰りの時間を把握できた方が良さそうと思い、パリ発のツアーに参加することにした。日本語ガイドのあるツアーが2社、英仏語ガイドのツアーが1社で、私は敢えて不自由な選択をした。これから留学するのだから、フランス語に慣れておこうだなんて考えてしまったのだが、ガイドさんの話の半分どころか99%分かっていなかったんじゃないだろうか。結果としてそのツアーは非常に満足するものだったので(数年後に母と日本語ガイドのツアーに参加してみたのだが、ちょっと残念な内容だった)、私の中ではいい思い出になっている。
このツアーは早朝出発のため、集合に間に合う、且つ、パリ初の私が迷わないで辿り着ける場所を滞在の拠点にしたかった。しかも、留学先へ向かう列車も早い時刻の便だったので、駅へのアクセスも考えなくてはならない。値段も抑えめにしたい。フランス政府観光局のホテルリストと睨めっこしながら、私は条件に合致するホテルをいくつかピックアップした。
そのうちの1つ、とある教会横のプチホテル。ツアー発着場所にほど近いパリ中心地なので、治安的に問題はなさそう。列車の駅に乗り換えなしで行けるメトロの駅へも数分で出られる立地なので、アクセスの件もクリアだ。エレベータはないが、部屋にシャワーとトイレがあり、料金も予算内。そこでここにしようと決めた私は、シングル・食事は不要で、予約を希望する旨の書面をしたため(書いたものを大学のフランス語の先生に添削してもらった)、自宅からFAXを入れた。その後ホテルから返信があったのだが、ほとんど文字が読めず(フランス人の書く文字が解読不能で困った経験をしたことがある人は結構多いはず?!)、改めて先生のお力を借りることになった。
また、リコンファームの電話を日本から掛けたのだが、不安一杯だったので、必要なことを紙に書いておき、一気に読み上げた。そして、レセプションのフランス語にはただただ「ウイ」と返しただけだったような?こんな状況だったので、フランス到着後にホテルへ着き、FAXの書面を見せた際
「ああ、このFAXは君か!」
という反応が返ってきたときには、全身の力が抜けたものだ。ホテルリストにはエレベータがないと書かれていたが、1階からフロントのある2階へは階段で、フロント横に人2人が辛うじて乗れるくらいのエレベータがあった。私のスーツケースは、一般的なジュラルミンタイプと同じくらいのサイズだったが、それを乗せると私が乗れなかった。日本人でそうなら外国人には全く意味がない代物なのでは?とは思ったが、ないよりはあったほうがいい。それに、エレベータがないと思っていたため階段でスーツケースをえっちらおっちら運ぶつもりだったから、運搬してくれるだけでも有難い!しかも、私が予約した部屋は最上階。これ、使わない選択肢ってある?なんてラッキー!と小躍りした私は、スーツケースだけエレベータに乗せ、ドアが閉まったことを確認したのち最上階まで階段を駆け上り、荷物を出迎えたのだった。私の部屋は天井が斜めになっている、まさに屋根裏だった。背の高い人だったら、一番低いところで腰をかがめることになるだろう。シングルベッドの左右と足側にスーツケース2個分ほどのスペースがあるくらいの小さな寝室。スーツケースを開くと足の踏み場がなくなる。天窓と、教会側に顔を出せるくらいの小窓があった。ベッド脇に申し訳程度のテーブルと椅子があり、引き出しには聖書だけが入っていた。ドアのない隣部屋はシャワールームとトイレ。以前は従業員が使っていたんじゃないだろうか?と思うようなこじんまりとした部屋だった。ドアに鍵は掛かるが建付けが悪く、ガタガタだったので、誰かが入ろうと思えば入ってこられそう。念のため、私は椅子の上にスーツケースを乗せ、ドアノブ下に据えて眠ることにした。興奮なのか緊張なのか、はたまた時差なのか、まんじりともせず長時間横たわって過ごし、窓がうっすらと明るくなってウトウトしかけたとき、教会の鐘の音で目が覚めた。うん、この環境、嫌いではないわ~。治安や交通の便の良さ、教会の鐘。屋根裏部屋も割と落ち着く。
パリでこういう部屋に敢えて泊まりたいと思う人はきっと少ないだろう。でも私は、その後もパリ滞在時にこのプチホテルを利用している(行くたびにホテル名の一部が微妙に変わっているのが気掛かりではある)。
ここ以外では、エッセイ本『ある日、フランスでクワドヌフ?』のタイトル章で書いているオペラ座近くや、朝早く南仏方面に出るためリヨン駅近くのホテルを利用したことがある。前者は、予約もせずに日本からパリへ出てきてしまったため、安宿が取れずやむなく利用した。後者は、プチホテルが予約できなかったため、それなら翌朝利用することになるリヨン駅近くに泊まろうか、と思って適当に探したホテルだった。近隣の状況を知らなかったせいもあるが、大人のおもちゃのお店がホテル近くにあったり、お姉さんが立っていたり(ただ居ただけかも知れないけど)したのには、ちょっとまずい地区だったかしら?とビクビクした。更にヒヤリとしたことに、シャワーを浴びようと浴室に入り、あ、シャンプーとかないのね、と自前のものを取りに部屋へ戻った際、バスルームの扉を閉めた。そうしたらそのまま開かなくなってしまい、そこから小一時間、こじ開けるため扉と格闘することになった。中にいたときに閉じ込められなくて良かった!それ以来、海外のホテルでバスルームに入るときは、ドアを閉め切らないとか、何かを挟んでおくようにしている。

こんな風に、今までの旅は大抵一人で出掛けることが多く、学校や会社の友人と海外旅行をしたことがない。そんな私が、インターン期間中「情報を交換したいという人がいるのでやり取りしてもらえませんか?」と斡旋会社から連絡を受け、見ず知らずの日本人とフランスで行動を共にしたことがある。こういった連絡を受けたのは2回、どちらも女性が情報交換を希望しているとのことだった。1人とは派遣された地域が近く、何度か食事に行ったり日帰りで出掛けたりして仲良くなり、帰国後も連絡を取り合った。もう1人とは派遣先がだいぶ離れていたため、ヴァカンスシーズンにお互いの地域に出向き、小旅行することになった。
私はニースのカーニバルとマントンのレモン祭りに行くため、前々からユースホステルに予約を入れていたが、彼女も来ることになったので、1名追加で予約を入れ直した。本当だったらホテルを取ったほうが良かったのだろうが、この時期の宿泊施設はガッツリ混み合うから、なかなか空きが見つからない。さらに料金も上がるので、お高いホテルしか空いていない状況だった。私は彼女に宿泊がホステルになることを伝え、最初の予約と追加の予約、それぞれへの返答の書類に、リコンファームを受けてくれた人の名前も書いて、宿へ持参することにした。
当日、祭り見学が長引いたのと、ホステルが坂道を延々と上らなくてはならない場所にあったことで、私たちは到着が遅くなった。受付の若い男性に書類を提出し、リコンファーム時のレセプションの名前まで伝えたにも関わらず、
「1人分しか空いてない」
という答えが返ってきた。男性が言うには、ダブルブッキングとのこと。
「でも、こちらは返事ももらったし、リコンファームもしているのだから、何とかしてください」
「と言われても。もう空いてないんだ。それに僕のせいじゃない。機械が勝手にやったことだから」
(それが通用するとでも思ってる?!)
でもこれ、初めて聞く言い訳じゃない。フランス滞在中、私はこのセリフを何度か言われたことがあった。責任転嫁するなぁ~!!
日本ではありえない言い分だけど、男性は涼しい顔をしている。同行の日本人女性も、
「どうなってるんですか?」
と不安を口にする。お互いのことをまだよく知らない関係だから、気心の知れた友人のように「ちょっと困ったことになってさ」とはいかず、プレッシャーを感じる。それに、坂道を歩かせてしまったので、私は肩身が狭かった。ここは何が何でも泊めてもらわないと困る!!!
私は更に男性と押し問答を続けたが、相手も一向に折れる気配がない。
(もう、別の場所を探すしかないんだろうか……)
私はひとまず、座り込んでいる同行女性に現状を説明しようと、彼女の側に近寄った。そのとき、母娘と思われる白人の2人組が英語で男性に声を掛け、何やら話を始めた。男性はひとしきり話を聞いたのち、様子を眺めていた私に手招きして、平然と
「2人とも泊まれるよ」
と言った。
「泊まれる?」
「そうだよ」
「さっきは1人分しか空いてないって言いましたよね?」
「それはちょっとしたトリックさ」
この男性の今までの受け答え、すごくイヤ。機械のせいにしたり、トリックってなに?!絶対、あの母娘が何かしてくれたお陰でしょ!
「あの、私たちが泊まれるようになったって聞いたのですが……。お二人は大丈夫なんですか?」
私はためらいつつ、母娘に声を掛けた。
「ああ、大丈夫よ。この子と一緒に眠ることにしただけ」
母娘という予想通り、彼女たちは親子で、どうやらベッド2つのうち1つを私たちに譲ってくれたようなのだ。とはいえ、ホステルのベッドは2段とか3段で、あまりゆったりしたスペースは確保されていないはず。スリムな方々だったけど、2人で1つのベッドに寝るのは窮屈だろう。しかも、慣れない旅先で……。後から来たのは私たちなのだから、我々がベッドを分け合うべきだろう。
申し訳ないと思いつつ、私は彼女たちのご厚意に甘えることにした。お詫びとお礼を伝え、同行女性に差し上げるつもりでいた日本のお菓子をその母娘に渡したところ、彼女たちは喜んで受け取ってくれ、端の方でお菓子を珍しそうに眺めていた。
部屋に行ってみると、思った通りベッドは3段で、一般的なシングルより幅が狭かった。知り合って間もない同行女性とベッドを分け合うことになっていたら、お互い気を遣って眠れなかっただろう、と改めて母娘に感謝したのだった。

今や機械化が進んでいるから、レセプションも人ではなく機械が対応する時代になってくるのだろうか。そうなったら、あの男性のような言い訳もありがちになるのかしら、と思うと少し末恐ろしさを感じる。
あの頃より歳を重ねた今、ユースホステルではなくホテルの多少はいい部屋に泊まりたいよねぇと思う自分もいる。鍵やドアの不安は無い方がいいし、部屋にはシャワーとトイレがあって欲しい。んん?これだとあまり基準が変わってない??パリに限っては、あのプチホテルでいいしなぁ。
フランス以外の国では、美味しそうなパンがいくつも並ぶビュッフェとか、お洒落なアメニティとか、ウェルカムシャンパンとか、ジュニアスイートルームとか、普段よりアップグレードしたホテルに泊まったこともあるけれど、海外一人旅、はしゃぐのも一人。どこか引いて見ていた自分がいた。こういったところには、誰かと出掛けたほうが楽しそう。
一人旅が続く限り、私の部屋選びの基準はあまり変わらないかも知れない。

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