ある日、訛ってるってことですか?

その土地に思い入れがあったわけではない。フランスでの滞在先が南方に集中したのは、ほんの偶然だ。日本の語学学校で例文に沿ったジュ・ド・ロール(役を演じる)より、フランスで実践した方が時間もお金も有効だ。語学学校のときは予算やカリキュラムを比較して決めた。できるだけ長くフランスで過ごしたいという気持ちはあったが、『居』より『実』を取ることにした。学費は抑えられても、都会の大規模校で大勢に埋もれ、ヴァカンスを挟みながらダラダラと過ごすのは性に合わない。習熟度に合ったクラス分けや人数配分、講義時間や卒業生の評価などを参考にした結果、自分に合いそうな学校が南にあったというだけだ。インターンのときは紹介された学校に迷わずOKした。斡旋会社の担当者からは、キープはできないが他を検討したいなら紹介することもできると言われた。こういうものはご縁が大事と思っていたので、そこにしますと決めたのが南の学校だった。

インターンで長期滞在といっても、永住者と違いその土地に根を下ろしたわけではないから、自分がフランスに馴染んでいるような感覚はなかった。定期的に通っていても、マルシェで順番を飛ばされたりパンやで焼きたてを売ってもらえないなんてことはしばしば。旅行での電車内では、禁煙席を予約した際、私の席に座っていた男性から喫煙席と交換してと言われ、断っても席を外してくれない事態に陥った。他の乗客は見て見ぬ振りをしていたし、係員さんに相談しても、自分で解決しての一点張りで、仕方なく煙で溢れかえった息苦しい席に移った。周囲の態度に腹が立ったり悲しくなると同時に、自分自身で問題を解消できなかったことへの苛立ちで鬱屈とした。一方、他は満員なのに2等のコンパートメントや3人部屋の寝台車を独占するという、差別がいい方に働くこともあった。いずれにしても、語学留学のときより少しばかり経験値が高くなったくらいだろうと思っていた。

そんな折、インターン高校で教員たちがクリスマスパーティーを開いた日のことだ。会がお開きとなったあと、私をステイ先に車で送ってくれた女性教員から突然
「だいぶ学校にも慣れたんじゃない?会話も南のアクセントになっているわ」
と告げられた。
(それは訛ってるってことですか?)
フランス語は発音の強弱が少ないほうが美しい話し方とされている。フランスでアクセントを指摘されるとき、大抵の場合は良くない意図を含んでいる。だが、彼女はニコニコしているので、悪い意味で言ったわけではなさそうだ。
「外国人がフランス語をうまく発音できていない、ってことじゃなくて?」
「いいえ、違うわ。あなたはこの地方のアクセントで話しているわよ」
やったぁ~、私、ここに馴染んできたのね!
……とは思えなかった。むしろ、ちょっとガッカリしてしまった。
私の感覚では、日本だと一部の人が方言をからかったり、訛りがあることを隠したりすることがあっても、大抵の人は好意的に捉えていて、方言の独自性や多様性にいい意味で関心が集まることがあると感じていた。
一方、フランスだとあからさまな差別に繋がることがある。小説だと、『三銃士』でダルタニャンのガスコン方言を蔑む場面があるし、『名探偵ポアロ』で彼のベルギー訛りを「美しくないフランス語は聞くに堪えがたい」と表現したシーンがあったりする。実際の日常生活においても、訛りに基づく差別を禁止する法案が可決されたくらいだ。
この女性教員は、高校というコミューンの中の一人として親しみを持って言ってくれたのだろうし、私もよそ者から一歩踏み込めたのだと思えたら喜べたかも知れない。それなのに私は、本の中の情報や今までの体験から、差別に繋がってしまうのではないかという気持ちが先行してしまったのだ。
私は本当に訛っているのだろうか?
別の日、私はフランス語教師であるアンヌ・マリーに自分のアクセントについて聞いてみた。
「そうね、訛ってるわね」
ガーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。
みんなはどんな風に感じているのだろう?仲間意識を持ったりするのだろうか?あるいは、ポアロのフランス語のように耳障りだとか思われていたりして?
「聞いていておかしくない?」
「ないわよ。ここではみんな同じ話し方だから。でも、標準語を話せたほうがいいわね。早めに直しなさい」
と言われても、南仏のアクセントになっているなんて自分では分からなかったから、どうやって直せばいいかよくわからない。
「フランス語は滑らかに話す、って言われるでしょ?アクセントが少ない人の話し方を真似るとか、ラジオやCDを聴くようにするといいんじゃないかしら?」
アンヌ・マリーが助言してくれる。アクセントが少ない人となると、彼女のようにフランス語の教員だろう。とはいえ、彼女は毎日出勤してくるわけじゃないし、そもそも四六時中彼女とだけ話すわけにもいかない。しかし、インターン高校内において、私が他に仲良くなったフランス語教員はいない。マリーは特別講師だし、ラシェルは司書。マルティヌは数学で、ジャッキーはイタリア語。それにみんな(ルーツは別として)ここに暮らしている人だから、高校でアクセントが少ない人を探すのは難しそうだ。
学校外はどうだろう?ニコはスペインに近い地方出身。方言では話していないように思えるが、聾唖の彼は自分の声が聞こえていないため、
「アクセントどうこうより、僕の声は変だと言われたりするから、真似るのはやめたほうがいいんじゃない?」
という反応。彼以外で私が日本語を教えているミシェルは元フランス語教師だけど、彼女とは週1回顔を合わせるだけだ。ホームステイ先の家族も地元の人だからなぁ。予想はしていたけど、地方で標準語を日常的に話す人を探すのってほぼムリ。生活していたら、意識していなくてもいつの間にかその土地の訛りになるのは仕方のないことなのだ。とはいえ、このあともずっと今まで通りに過ごしていたら、しっかりアクセントが身についてしまう!
そんなわけで、これまで聞き流していただけのラジオやCDをじっくり聴いてみることにした。シャンソンからコメディ・フランセーズ、流行りの歌など、ラジオで聴いてCDを買いに行って……と、日々の中で耳を鍛えることに努めた。

その結果、どうなったかって?
会話の威力を思い知りました。言霊ではないけれど、口に出す行為ってパワーがあるんだな、と実感。すっかり南仏訛りのフランス語を話す日本人になっている。しかもなまじ耳を鍛えた分、もしかして私が訛ってるのはここ?と分かる程度になってしまった。語尾が尻上がりではっきり発音してる。特に単語の最後が「R」だと、喉の奥で「クッ」と鳴らす音が強い気がする。
帰国してから友人に「私訛ってるんだって」と報告したところ、すぐさま「え~、じゃあ、ダニエル・カールさんみたいになってるってこと?」という反応が返ってきた。
どうなんでしょう。フランス人からどう見えているのかは分かりません。
ダニエルさんは山形弁の研究までされているから、彼と比較するには、私は中途半端でしかない。でも、彼はテレビで見る限りユニークだし、親近感が湧く人柄なので、彼のように見えているのであれば、私もちょっとは受け入れてもらえていたんじゃないかと思える。
幸い、インターン期間中に訛りで差別されたことはなかったので、取り越し苦労で終わったことに安堵している。偶然行きついた南の土地。知らない間に身についていた地方の個性。美しいフランス語を話せることが理想だが、南仏訛りも悪いもんじゃないかもと今では思っている。

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