ある日、混じり合う街で
『フランス第二の都市』の称号ではリヨンと双翼を担うマルセイユ。人や店の多くが洗練された雰囲気を持ち、整った街並みのパリやリヨンとは異なり、マルセイユはどんなものでも溶け込めるような包容力を感じる。人口がフランス第二位なのも、この都市の特徴ゆえではないだろうか。
ホームステイ先のヴァイキング家族との軋轢で気分が沈んでいた際、マリーが連れ出してくれたのがマルセイユだった。マリーが家に迎えに来てくれたとき、気持ち良く送り出されたわけではなかったから、抜け出せた喜びよりも戻ったときの家族の反応を考えると憂鬱だった。
「マルセイユは初めて?」
車を運転しながら、カトリーヌが明るく声を掛けてくれる。マリーから事情を聞いている彼女は、口数の少ないマリーに代わって私を和ませようとしているようだった。
そんな二人の気遣いもあって、私も少しずつこの遠出を楽しむ気分になってきた。
マルセイユに来たのだ、と実感したのは、海岸沿いの建物の壁面に、ジダンが描かれているのを見て取ったときだ。
(写真撮りたい!じっくり見たい~!)
でも、車内だったし、停車できるような場所でもなかったため、ガマンガマン。それにしても、マルセイユといえばジダンなんだなぁ。移民に対し、良い面より悪い面が取り上げられることが多いフランスにおいて、荒々しい試合ぶりやW杯での頭突きを目の当たりにしても、非難より支持が上回るのは、普段は寡黙で実直だと言われる彼の人柄からなのだろう。
「この時間だと、魚市場は閉まってるかも知れないわね。蚤の市も立つから、いつもより人出が多いかも知れない」
駐車場所を探しながら、カトリーヌが独り言のように呟く。確かに、家を出発したのが9時だったので、彼女の予想通り、昼近くの旧港に魚売りの姿はほぼ皆無だった。たたまれていく屋台を横目に、デュマの『巌窟王』の舞台となったイフ城を眺める。実際に牢獄として使用されていただけあって、近寄りがたい様相だ。色々なものを取り込んできたマルセイユにあって、わずか数km先に世の一切から隔離された要塞。無実の罪で尊厳を奪われたモンテ・クリストが、対岸の街に希望を求め、脱獄を考えるのも頷ける距離だ。状況は全く異なるが、ヴァイキング家族の元で週末自由に外出できなかった私は、今日連れ出してもらえたことを改めてありがたく感じた。
ランチの希望を聞かれ、ブイヤベースは何度か食べたことがあると答えたところ、河岸沿いのギリシャ料理店に入ることになった。テラスがあり、日差しを求めるフランス人で混み合っている。私は中でも良かったのだが、
「折角だから、テラスにしましょう!」
と、日光浴好きな二人(こののち旅行や海に連れて行ってもらったときなど、この考えが正しいことを確信することになる)は、眩しく光る外の席へ進んでいく。
(テラスの床、大理石並みに白いんですけど?それに、ステンレスのテーブルって……。照り返し、強くない?パラソルなんて期待できないし~)
日差し大好きなフランス人は、肌が焼けることなどどこ吹く風。でも、色素の薄い目をしている彼らは一様にサングラスをかけていた。カトリーヌやマリーもいつの間にかサングラス姿になっている。
(私、持ってません!)
照り返しに目をシパシパさせながら、ドルマやムサカ、ヨーグルトを頂いたのだった。
続いて、蚤の市へ。広々とした駐車場のようなスペースにいくつもの屋台が並ぶ。しかも、区域が2か所に分かれている。こ、これは予想以上に規模が大きい!じっくり見たいけど、全部見て回るとなると、時間が足りないのでは?!
一人だったらガシガシ歩き回るのだが、連れて来てもらっているという遠慮が出て、二人とペースを合わせて回る。今まで回ったフランスのどの蚤の市とも異なり、列で区分けされていて、整然としている。行って・戻ってを繰り返せば、この区域を見逃した!なんてことにはならないので、効率的だ。人出は多いのだろうが、この区分けのお陰で誰かとぶつかったり、必要以上にスリを気にすることはなかった。
私は1つのお店でアペリティフグラスを2脚と、別のお店で銀の蓋が付いた10cmほどの陶器のビアマグを購入した。このビアマグは、ヴァイキング家族の元を去るとき、ムッシューに差し上げてしまった。気に入って購入したものだったので、別のものを用意すれば良かったのだが、ムッシューがビアマグのコレクターだということを知ってしまったので(知りたくなかった……)、後腐れないようにと贈ることにした。ムッシューも喜んでいたので、義理は果たしたはず?!
アペリティフグラスは本当は4脚セットだったので、売り手のお兄さんも全部買って!と勧めてきたのだが、私の予算が合わなかった。値切ってみても予算オーバーだったので、非常に申し訳ないのだが、2脚だけにしてしまった。
(うう、稼ぎのないインターンってツライ~)
その後、日本語を教えるバイトを始めたので(大した稼ぎにはならなかったけど)、次に行ったときにまだあのお兄さんのグラスが売れていないようだったら買おう!と思っていたのだが、それからかれこれ十数年。もうないだろうな……。中途半端に買ってごめんね~!
カトリーヌがちょっと用事を済ませたいということで、その間、マリーと私はお茶することにした。裏通りにあるお店に行くと言われたのだが、観光客の多かった地域とは違って店も人も少し荒んだ雰囲気が漂う。道すがら、体中、内臓も震えるような、ぞっとする鳥の鳴き声が聞こえた。
「加工場があるのよ」
マリーは平然と言って鳴き声のした場所を通り過ぎたけど、私はその場から逃げ出したかった。
(それって、と殺場ってことだよね?こんな街中で?)
私は耳をふさぎ、走ってマリーの後を追った。1度しか聞かなかったけど、その鳴き声が耳から離れない。思い出すと怖くて怖くて仕方がない。そんな思いをしたにも関わらず、引き続き命をいただいてます。偽善者で済みません。合掌。
マリーに連れて行ってもらったところは、モロッコ人が経営する小さなお店(タバコなどを売っている売店のような店構え)だった。入口横に、簡易テーブルと椅子が置かれている。店には同郷の人たちと思われる客層が多く、男性しかいないなか、マリーは落ち着いた様子で椅子に腰を下ろした。私はオドオドしっ放し。でも、店員もお客の男性たちも私たちを好奇の目で見るようなことはなかった。
「ミントティーを飲んだことはある?」
どうやら、ここではミントティーがいただけるらしい。マリーは高校行事の一環で生徒を連れてモロッコに行ったことがあり、「ここはモロッコ人が淹れてくれるから、本場と同じなのよ」とのことだった。さっきの鳴き声で、内臓がまだ小刻みに痙攣しているような感覚があり、喉の奥も張り付いていた。取り敢えず気分を落ち着かせたい。ミントティーならスッキリしそうだ。
このあと、銀のポットとミントティー用のグラスを持ってきた男性店員が、いくつかの動作(お湯を入れて捨てるとか)ののち、大量のミント葉と角砂糖をポットに入れた。
(えっ、砂糖多くない?)
砂糖は入れると知っていたものの、ボンボン投げ込まれる四角い塊に、思わず糖分過多を気にしてしまう。私、飲み物には砂糖入れないんです~。
更にいくつかの動作ののち(日本の茶道と同じで、手順があるようだ)、テーブルにグラスが置かれたので、さあ、いよいよ飲めるんだ、と少し姿勢を正す。座っている私たちの横で、立ちながら自分の頭上までポットを持ち上げ、テーブルのグラスめがけてお茶を注ぐ男性店員。何となく予想してはいたが、しぶきが跳ねる。いや、普通だったらもっとビシャビシャになるだろうから、相当うまく注いでいるんでしょうけど、それでもピチピチ当たるわ~。
顔に跳ねた雫を手で拭っていると、甘くて清涼感のある香りが立ち込めてきた。光にかざしたペリドットのような、うっすらとしたグリーン色。一口すすったところ、ミントの爽快さはしっかりと感じるのに、味に棘がない。あんなに砂糖を入れていたのに、まとわりつくような甘ったるさはなく、全体的に馴染んでまろやかになっている。自分で淹れるとしたら、砂糖の量は半分以下に減らすかもだけど(笑)でも、そうすると味も変わってしまうのだろうか?ミントをホットで飲むと、アイスのときより気分が落ち着くような気がする。喉や鼻もスッキリ。風邪のときとかにも良さそう。
このミントティーのお陰で、鳴き声のことはしばし頭の中から消えてくれたのである。
ジダン・巌窟王・ギリシャ料理・蚤の市・ミントティー。人や物が国も時代も超え融合して、マルセイユの街を構成している。出たり入ったりを繰り返す港町にあっては、さまざまなものがうまく混じり合って溶け込むものなのかも知れない。だが、マルセイユでは洗練とか異国情緒、歴史の重みや交易による繁栄といったものをいい意味であまり感じない。一つ一つは際立っていたり独自性があるのに、個々を意識する前に「そういうのすべて含めてマルセイユでしょ」と在るような都市。いつもどこか浮いているように感じている自分も、境界が薄れて溶け込んでいけるような街。
他人と暮らす難しさを感じていた時期、マルセイユを訪れたことで、私はここにいてもいいのだと少し勇気をもらえた。