ある日、日本へようこそ!~ジェロームの場合~

海外インターンの日々から5・6年経った頃だっただろうか。1通のメールが私の元に届いた。帰国後どっぷり日本企業の会社員となっていた私にフランス語で届いたそれは、単調な毎日に歓喜と懐旧を与えてくれることになる。
インターン高校で日本語や日本文化のクラスを担当していたとき、最後まで出席してくれていた生徒の一人、ジェローム。その彼が、企業インターンとして来日するというのだ!私が赴任するまで日本に興味を抱いていなかった彼が、日本企業で働いてみたいと思うほど関心を高めていたとは、正直驚きだった。帰国前、ジェロームは
「シホがいなくなったら日本クラスもなくなっちゃうし、取り敢えず中国クラスに入るよ」
と言っていたから、日本に対する思い入れはあまりないのかもな、とちょっぴり残念な推測をしていたのだ。ラシェルやマリー・ニコやミシェルといった同年代もしくは年上の友人とはメールでのやり取りが続いていたものの、生徒の近況は耳に入ってこなかったので、この報告には欣欣とした。メールには、インターン先である商社の研修が東京で行われるから、その際どこかで会えないか?と記されていたので、私は二つ返事で会う日程を決めた。

久々の再会、しかも日本で会えるとは!
(もうすっかり大人だよね。会った時にわかるかな?)
当時は高校1年生、しかも同じ年頃のフランス人より若く見えるジェロームだったとはいえ、今は20歳過ぎ。
(体格や顔つきが著しく変化していたら、見分けられなかったりして……)
私は滞在中の出来事を思い起こしていた。クラスには毎回欠かさず出席し、きちんとノートを取り、適宜質問してくるなど、真面目な生徒だったジェローム。家にも招待され、ご家族とも懇意にさせて頂いた。穏やかで子どもに理解のあるパパ、しっかり者で包容力のあるママ、成績優秀だが鼻にかけず礼儀正しいお兄さん、天真爛漫でハキハキした妹さん、そして黒猫のレア。ご一家はイタリア系だが、今まで私が接したことのある同系のご家庭が陽気で話好きな典型的ラテンだったのに対し、彼らは質実剛健だった。
私が彼の家にお邪魔したとき、南フランスでは珍しく雪が降った。午前中にフェンシングを体験させてもらい、お昼に自宅へ戻ってきてからのことだったので、ジェロームママから「食後は室内でゆっくりしましょう」と勧められた。フランス人は誰かを家に招待した際、寛いでね、という気持ちから「自宅のように過ごして」と言ってくれる。気ままでいられる一方、「私たちは好きに過ごすから、あなたも部屋で過ごすなり、外を散歩するなり好きにしてね」とか「私たちは出掛けるから、小さい子を見ていてね」と言われたことがあり、何のために招かれたんだろう?と不思議に思うこともあった。招待=一緒に過ごしましょう、ではないんだな、と理解を新たにしたところだったのだが、ジェローム家の家族は同じ時間を共有する提案をいくつも用意してくれていた。クリスマス飾りを一緒に作ってみる?とか、カリグラフィ(手紙などに使われる装飾文字)に興味はある?など、私のために時間を割くことを厭わない様子に心がじんわりと温かくなったものだ。外は白雪が舞い、寒々しい天候だったが、私たちは暖炉の前でイタリック体を筆記しながら、うまく書けた!などと笑い合った。
「ジェロームはちょっと変わっているのよ。高校入学のお祝いに何が欲しい?って聞いたら、パソコンか金属探知機がいいって言うの。私はパソコンの方が長く使えるからそっちにしたら?って言ったのに、あの子は探知機を選んだのよ」
ジェロームママは探知機なんてすぐ飽きるんじゃないかしら?と溜息をついていたが、ジェロームは長く使う気でいるらしい。雪が止んだ翌日、私たちはジェロームパパとお兄さんを除く4人で近所の原っぱに出向き、探知機を始動させた。
「前に試したときは、指輪とコインを見つけたんだよ」
ジェロームは意気揚々としている。テレビなどで使っている人を見たことはあったが、実際に動かす人を見るのは初めてだ。コードレス掃除機くらいの高さの柄の下に、ロボット掃除機並みの大きさの感度円盤が付いている。地面から少し浮くくらいの位置をゆっくりなぞるように手を左右に動かすと、金属の有無によって音が変わるようになっている。何もないときのビュイ~ン、ビュイ~ンという低くて鈍い音が、金属を感じ取るとピピピピピという高くて鋭い音に変化し、手元のランプが赤く点滅する仕組みだ。私も動かしてみたが、探知されたのは釘や金属製のボタンで、お宝発見には至らなかった。腕が疲れることもあって、私は数分で探知機をジェロームに返した。しかし、ジェロームはさすがである。30分以上粘った結果、いかにも古そうなコインを地中から探り当てた。
「ひょっとしたら、珍しいものかも知れない」
ジェロームは目を輝かせながら自宅へいそいそと引き返し始めた。ジェロームママと妹さんは肩をすくめながら彼の後に続いたので、私も慌ててみんなの後を追う。家に着くなり、彼はジェロームパパの部屋へ行き、パソコンの画面とにらめっこを始めた。どうやら、コインの年代を確認しているようだ。
「これじゃないかな」
「いや、ちょっと模様が違うだろう」
パパも調査に協力している。汚れを落とし、ルーペでコインに描かれた装飾などをひとしきり調べた結果、ローマ時代のコインであることが判明した。
(それってすごいことじゃないの?!)
本当にお宝なんじゃ、と私は色めき立った。だが、彼らの反応を見る限り、大発見ではない様子。
「これは銅貨だからね。この地域では結構出土するんだ。それにあまり状態も綺麗じゃない。もし銀貨だったら、何倍もの価値があるけど」
ジェロームはがっかりしていたが、金属探査はこれからも続けていきそうな雰囲気だった。

そんな彼だから、日本への関心が廃れなかったのかも知れないな。
飯田橋駅改札でジェロームを待つ間、私はあれから彼がどんな風になっているかを想像していた。この界隈は外国人が多いので、ちょっと焦る。
(さすがに分からないってことはないと思うけど、インターン生たちと大勢で来られたらすぐには分からないかもなぁ)
私のことはきっと分かるはず。だって、私は幼稚園の頃の先生と道でばったり出会っても、すぐに「シホちゃんね!」と気付かれるくらい、全然変わってない(成長してない?)ようだから。
約束の10分前くらいだったので、改札近くに集まる人を観察する。
あ、誰かこっちに来る。金髪だからジェロームじゃない。顔立ちとかもまるで違うし。ん?私に手を振ってる??違うか、私の横の女性の方だ。この人と待ち合わせだったのね。
今度は2人組?でも、どちらもジェロームとは違う感じ。あ、通り過ぎた。やっぱりこの辺は外国人が多いな。
目の前を通過した2人の外国人男性を視線で追っていたら、その先に見覚えのある顔立ちの男性が現れた。
(あ、ジェローム)
良かった。すぐに分かった。背は伸びたけど、面影がある。もともとほっそりしていたが、体形も変わらず細身だ。額だけがジェロームパパのよう(サッカーのジダンのような感じ)になってきていた。
「シホ?髪を切ったんだね。久し振り」
当時はポカホンタスと言われたこともあったくらい髪が伸びていたから、肩までの髪を見て、ジェロームが再会初の印象として口に出したのは当然のことかも知れない。
「連絡くれてありがとう。ジェロームは背が伸びたね」
私も見たままの印象を口にする(額のことは言ってない)。
さて、何がしたい?という問いに、お土産を選びたいと言うので、神楽坂方面まで出て、手頃で日本らしいものが手に入りそうなお店をいくつか回る。お茶屋さんに入ったとき、かなり迷いながら桜模様の和紙を貼った茶筒と水出しのお抹茶を購入していたので、これは彼女でもできたかな、とニヤニヤしてしまった。
お土産を探す傍ら、私が帰国したあとのこと・来日することになったきっかけなど、時間の隙間を埋める話題をお互いにポツリポツリと話す。結局、ジェロームはその後中国クラスに在籍し、日本語や日本文化を学ぶ機会はなかったそうだ。独学で続けていたものの、学校の授業や個人レッスンを受けたわけではないので、日本語が話せるまでにはなっていない。幸い、今回の企業インターンではみんなが英語で話すから言葉の問題はないらしい。ジェロームは日本で働きたいようで、何か方法はないかと尋ねられた。私は、商社がインターン経験を就職試験の際に考慮してくれるのかと思っていたが、この経験が有利に働くことはないとのことだった。「雇ってくれたらいいんだけど」と遠い目をしている彼の様子から察するに、選考基準はかなり厳しいのだろう。私は「経験を考慮してくれる会社があって、日本で就職できたらいいね」と励ますくらいしかできなかった。
一通りお土産を見たところで、食事をすることに。近辺でいくつか心当たりのある和食のお店へと足を運ぶ。ジェロームにお店を見てもらい、希望を聞いてから決めようと思っていたため、予約をしていなかったのだが、あいにくそれらのお店はどこも満席だった。数店舗ジェロームを連れ回してしまったので、もうこれ以上断られるのは申し訳ない。そこで、入ったことはなかったが鶏肉が美味しいと言われるお店へ行ってみたところ、2人なら大丈夫とのことで入ることに決めた。鶏はフランスでも食べられる(しかも鶏はフランスの国鳥で、ブレス産は世界的にも有名)から、珍しくも何ともないよなぁ、と店を予約しておかなかったことを後悔する。フランスでは大層良くしていただいたのに、自国で店選びに迷って連れ回すとか、もっと段取りをしっかりしてなきゃダメじゃない!と凹んだが、お店の雰囲気は悪くなかったので少しほっとする。高い天井と大きな梁。この界隈は古民家や置屋を改造した店舗が多いから、このお店もそうなのだろう。店内はほのかな照明だけでしっとりとした空間だ。中学生か高校生の頃、国語の教科書に載っていた谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』において、暗がりに溶け込む漆器や羊羹の美を表現した数行に強く心惹かれた。この店で、ふとそのことが記憶によみがえる。フランスの間接照明は「暗い!」と思っていたくせに、日本家屋の暗がりはなぜか心地良い。ジェロームはどう感じているだろう?極力明るさを抑えた照明で寛げていさるだろうか?私の心配をよそに、ジェロームは店の雰囲気も食事も喜んでくれたようだ。店選びで歩かせてしまったこと・鶏料理になってしまったことなどを謝ると、「他でも和食を食べる機会があったし、このお店の鶏は美味しいからツイてる」と気遣いの言葉が。元々心配りが細やかだったけど、ますます大人の配慮ができるようになってる、とホロリとしてしまう。焼酎を頼んだ彼に、「もう飲める年になっていたんだものね」と感慨深さもひとしおだ。
食後は店員さんに写真を撮ってもらったのだが、お互い黒っぽい服を着ていたため、2人とも顔の輪郭しか見えない。ジェロームは白人だから、私よりもぬぼぉ~っと浮いて見える。ま、これも雰囲気ということで。
宿泊先が近いということだったので、私はジェロームを送り届けたのだが、お土産などの荷物を置いた彼が「夜遅いので駅まで送る」と申し出てくれた。「研修場所まで電車で通っていて、道は覚えているから大丈夫」と言うし、名残惜しくもあったので、私たちは元来た道を戻ることにした。私は「また近々日本で会えたらいいね」と健闘を祈り、ジェロームを見送った。

ジェロームと別れたその日のうちに、私は一家のメールアドレスに宛てて、今日の出来事と写真を添付して送信した。ジェロームママから早々に返信があり、息子があなたとまた再会できて良かった、と綴られていた。
残念ながら、その後ジェロームからの連絡がないので、日本での就職は叶わなかったのではないかと思われる。こちらから連絡してみたら良かったのだが、何も力になれない自分に気が引けて、とうとう連絡できなかった。そのまま時間だけが過ぎ、連れて行ったお店も閉店してしまったようで、店構えはそのままに、別の店舗が入っていた。
お店が数年で無くなってしまうなど、日本はフランスよりもいろいろな変化が早い。だが、ずっと変わらずにあるものも存在する。私はフランスに興味を持ってから渡仏するまで、15年以上かかった。その間、自分の中でも周囲でも様々なことが変化していったが、フランスへの思いは変わらなかった。ジェロームが日本に興味を持ったのが15・6歳で、そのときから今年で17年経つ。そろそろ日本へやって来てもいい頃じゃないか?もし、ずっと関心を持ち続けているのだとすれば。今まで彼の行動を垣間見てきたが、簡単に諦めたり気持ちを無くしてしまうことはないように思える。何より、一度強く揺さぶられた感情は簡単に無くなるものではないと、自分の経験がそう言っている。

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