ある日、実現しなかったfete
‟祭り”が心と身体に与える活力。お囃子や掛け声に手足がウズウズしたり、大掛かりな山車が練り歩き体液が沸々としてくるような感覚が芽生えるもの。磨った墨が徐々に濃さを増して硯の海に落ちていくように、仄暗かった周縁が夜闇へと変化する頃、ポツポツと柔らかな橙の光点が浮き上がるさまに粛々と祈りたくなるもの。動と静の違いがあっても、脈々と受け継がれてきた文化には携わってきた人々の熱がこもる。
私は東京でも、伝統的な祭りがない地域で生まれた。両親は地方出身だが、お互い東京に出てきてから結婚したため、私の日常に祭りが深く関わることはなかった。だから、私が小学校低学年の頃、運動会の必勝弁当を作る母が
「秋は運動会よりも祭りの方が盛り上がるのよ」
と言うのを聞くにつけ、リレーより沸く祭りってどんなもの?(その時分の私にとって最大のイベントは、運動会の徒競走とかリレーだった)と興味津々だった。
歳を重ね、交友関係が居住地域の範囲から全国へと広がっていくと、友人たちの地元愛の一因に祭りが上がってくることがあると分かった。私の従弟も、東京の大学に進学してからも祭りの時期には帰省していたらしく、同じように帰って来る同級生との再会を楽しみにしていたようだった。
両親や親戚、田舎のある友人たちが当事者として享受してきた活力や熱といったものが、私には少し羨ましくもあった。
そんな当事者ではない私が、フランスでのインターン期間中、日本各地の祭りについて話したことがある。観光客として見物しただけとか、体感したことのない祭りも含めていたので、活力や熱を伝えるまでには至っていないかも知れない。でも、フランスにも各地方にfete(祭り)があるから、生徒たちは「これ、どこどこのfeteと似ている!」とか、「こういうのはフランスにないなぁ」などと関心を示してくれていた。
例えば、収穫祭は両国共にあるけれど、日本が厳かな神事を伴うことがあるのに対し、フランスは華やかな伝統衣装で踊ったりして神様に感謝を伝えたりする。もちろん、日本でも田植え歌を歌うような賑やかなものもあるし、フランスでも収穫物を教会に献上して静かに祈ったりすることもあるから、どちらにも静と動がある。ここでも共通して感じられるのは、感謝の心や生命力にみなぎる熱や活力だ。
フランスにはないような祭りの一つとしては、七夕が挙げられる。インターン高校では毎年年度末を迎える直前、教員と生徒が一体となって出し物をすることになっていた。時期的には少し早いかも知れないけれど、私は日本クラスの生徒と一緒に七夕祭りができたらと思っていた。短冊や飾り付けは折り紙があるので準備できる。卒業とか進級を控えているから、大人びた彼らでも願い事を素直に書いてくれるかも知れない。浴衣は男女のものを持ち込んだから、クラスの生徒に織姫と彦星役になってもらってもいいかも。漫画の講義をしたとき、聖闘士星矢も人気があるって生徒が言っていたから、天の川とか星座の話をしても良さそうだ。問題は、短冊を飾る笹の葉が手に入るかどうか……。ちょっと意外だったが、インターン期間中、何度か竹を見かけた。もちろん頻繁に、というわけではないが、フランスには竹林などそうそうないだろうという自分の想像を上回る頻度で目撃していた。笹と竹の見分け方として、皮があるかどうかというのが一つのポイントにあり、皮がなかったからあれは竹なのだろう。背が低い竹もあり、そこら辺にボウボウと生い茂っていたから、管理されたものではなさそうだった。それなら、1本いただいてもいいかな?という気持ちがムクムクと沸き起こってきたが、無断でいただいて後で問題が起きたら困ると思い直し、マリーに聞いてからにすることにした。
「管理されている土地かどうかは分からないけれど、手つかずみたいだから1本くらいもらっても分からないと思うわ」
……やっぱり、誰の土地か分からない場所から無断で頂くのはやめておこう。
フランスで竹はインテリアとしても人気が高く、造花(草)もショッピングモールなどで売られていた。笹じゃないけど、まあ、いいかな。
準備前の段階で、これ、うまくいくんじゃない?などと満足してしまっていた。
いざ、マリーと日本クラスの生徒に、七夕祭りのことを打診してみようと思っていた矢先、それは実行に移せないことが分かった。教員と生徒が一体となって出し物をする、ということだけ聞かされていた私は、その詳細を把握していなかったのだ。実行委員の生徒から個別に依頼された教員だけが出し物を行うらしく、体育館で音楽ライブをすることに決定したとのことだった。
「竹が欲しいって、そういうことだったのね」
マリーにも七夕祭りの詳細は話していなかったから、こんな出し物を考えているのだけれどどう思う?と尋ねた私に、彼女はそう呟き、私の企画が実現できないことを告げた。
インターン企画においても、祭りの当事者にはなれなかったけれど、フランスでは堂々とよそ者としてfeteを楽しんだ。滞在中は外国人差別を感じることがあった反面、祭りに参加したときは流儀を知らなくても「まあ、外国人だから仕方がないか」といった雰囲気で受け流してもらえた。これは日本でも同じことがあるように思う。町とか村のはっぴを着てお神輿を担ぐ人の中に入ろうとしたり写真を撮ろうとする日本人には注意していたけれど、同じことをしていた外国人は大目に見ていたり、はっぴを着せてあげたりしていた。外国人であるということが、ネガティブには受け取られない一面。モラル上は、外国人であるとかないとかに関係なく、区別のない接し方が望ましいと思う。それでも、受け入れてもらった環境には好意的になるものだ。数十年前の話になるから、今は日本でもフランスでも、同胞か外国人かに関わらず、参加者が心地よい雰囲気のなか祭りを楽しめるようになっているのかも知れない。
祭りによる活力や熱を、楽しみにしていた人たちすべてが感じ、長い年月を経ても繋げていけますように。