ある日、女3人ファーム旅(前編)
さあ、旅に出よう!そういうとき、大抵は一人だった。国内旅行は友達と出掛けたこともある。だが、海外は単独のほうが動きやすい。私は旅先で食事もとらず歩き回るから、誰かと一緒だとその人が疲れてしまうだろう。私自身、海外では誰にも気兼ねせず好きなところを見て回りたいという思いがあった。
一人旅は気楽だが、何かを伝えたいときに相手がいないのはちょっと寂しい。例えば美味しい料理や美しい風景に遭遇しても、心の内で共感を求めるだけになってしまう。インターン期間中も何度か旅に出たが、感動を分け合うのはいつも自分自身のみだった。
そんな私に、マリーとカトリーヌが旅行の話を持ち掛けてくれた。農場に泊まるファームステイ・1泊2日。カトリーヌの娘・フローレンスがお父さんのところへ行く(カトリーヌは離婚していた)ということで、その間に旅行でも行きましょう、というのだ。フランスの農場がどんな感じか興味があったし、まだ訪れたことがない街だったので、私は即答でOKした。
車で数時間。グルノーブルは山並みの美しい街だと聞いていたので、私は『アルプスの少女ハイジ』並みの長閑なイメージを抱いていた。だが、近代的なロープウェイや頑強な城塞、整備された建物や石畳の街並み。想像とは異なる都会の雰囲気に、
(こんなところに農場があるの?)
街中でポカーンと建物を見上げてしまう。
実は旅行前、今回は純粋にマリーやカトリーヌとの旅行を楽しもう!と決めたため、街についてまったく調べなかったのだ。調べてしまうと、色々見て回りたい!といういつもの好奇心が抑えられなくなりそうだったからだが、
(ちょっとは調べておけば良かった……)
山登りするような格好で来ちゃったよ?!ごっつい靴履いてるから、さっきからカツカツカツカツ、歩く音が響くんですけど~。
雄大な山々に囲まれ、人も街も空気も綺麗な気がする。ここではもう少し、小ぎれいにしていたかった~!!
微妙にへこんでいる私を見て、カトリーヌが
「疲れた?」
と気遣ってくれる。疲れているのは彼女の方だ。だって、マリーは免許持ってないし、私は運転できない(しない方がいい)から、朝からずっと一人でハンドルを握ってくれたのだ。
「運転疲れたでしょ?」
と尋ねると、
「フランスじゃ、これくらいは当たり前よ」
とウインクして見せたカトリーヌ。
「でも、まずはちょっと休みましょう」
さすがに彼女も、街中を散策するより前に一息入れたかったようだ。周囲はカフェやレストランが密集し、観光客で賑わっている。どうやら、目抜きの広場らしい。いつもだったら自分で地図を用意し、街や店の情報を集めているから、何も知らないという状況が新鮮だ。とはいえ、カトリーヌは「どこも混んでるわね」と困惑ぎみだ。車の運転も任せっきりだったのに、何もかもおんぶにだっこ、というのは申し訳ない。
……のだが、カフェの空席を探して「あそこ、入れそう」と伝える程度で、結局何もできず。好奇心を抑えるため、とか自分都合のことを考えてないで、旅先のことはきちんと調べておきましょう!と反省……。
カトリーヌに連れられ、屋根のあるテラス席へ座る。2人は軽食を頼み、私はカフェ・グルマンをチョイス。これはいわゆるデザートセットで、コーヒーにお店独自のデザートが複数ついてくるもの。今ではだいたいのお店がこのメニューを扱っているそうだが、2005年当時は5軒中1軒が扱っているくらいだった。私はメニューで見つけたら必ず頼んでいたのだが、このお店のカフェ・グルマンは滞在期間中(2004年~2005年)のNo.1!以前にガッカリなカフェ・グルマンに何度も当たってしまったので(この話はまた別の機会にでもできたらと思う)、ほぼ手作りのスイーツで勝負してきたこのお店に心の中で拍手喝采した。クレームブリュレ、バニラアイス、パウンドケーキ2種、シャルロットビスキュイ、そして市販のショコラ・カレ。多分このお店は生クリームにバニラビーンズの取り合わせや、焼き菓子を得意としているんだろうなぁ、などと想像しながら堪能する。
「シホは本当にカフェ・グルマンが好きよね」
マリーが口の端を少し上げてククッと笑う。彼女とは高校の休憩時間などで外に出かけたことが何度もあるため、私の嗜好を知っているのだ。
「そうなの?どう?ここのカフェ・グルマンは?」
パウンドケーキを頬張った瞬間にカトリーヌからそう聞かれ、私は口をモグモグさせながら、力強く親指を立てて見せた。満足そうに笑うカトリーヌ。
「でも、ファームでの夕食用に、お腹のスペースを空けておいてちょうだいね。家庭料理だけど、新鮮な食材を使っているから美味しいし、きっと気に入ると思うわ」
というわけで、私たちは腹ごなしすべく、街中の散策に出掛けることにした。
広場は人でごった返していたにも関わらず、少し離れると比較的人通りが少なく、ゆったりと歩くことができた。今までのフランス滞在において、川のある街とのご縁がいくつかあったが、グルノーブルはそのどの街とも違っていた。ちょっとだけブダペストと近いものを感じる。山はなかったけど。
古い建物に彫られた細工を見たり、その背後にそびえる山々を仰ぎ見たりしながら、思い切り息を吸い込む。こういった街中だと、空気が生温かく、丸く停滞していそうだが、ここの空気は寒暖がなく、真っ直ぐに存在している。街の空気に入っていくような境界はなく、その存在に溶け込んで通過していく、そういう感覚。天気がいいので、日差しも心地よい。
マリーが古本屋の前で足を止めた。作家でもある彼女は、新旧に関わらず、本のある場所には食指が動くようだ。中に入るマリーに続き、カトリーヌと私も店の奥へ。棚に並べられ、ときどきハタキでもかけられているのであろう分厚い本もあれば、平積みにされ、ジャンルも分けられずぞんざいに扱われている本もある。店主は60代くらいのムッシューで、対応の感じから、一部の専門書にしか興味がないようだった。
私は何の気なしに平積みの本を眺めていたが、ふと、カラフルな色彩の冊子に目が留まった。手に取ってみると、表紙に赤いドレスと青いドレスを着た女の子が描かれ、下に「CONTE DE GRIMM」と記されている。グリム童話だ。『白雪と赤バラ』の姉妹のお話。タイトルの上と下に、鉛筆で文字が書かれている。名前のようだ。これを読んでいた子どもかもしれない。冊子はコーヒーで染めたような茶褐色、あるいは桑色と言うのだろうか。触感はわら半紙よりもざらっとしていて目が粗い。2ページごとにカラフルな挿絵が施され、線は単調だが子供向けに可愛らしくユーモアを感じさせる構図になっていた。
(随分と古そうだな……。いつくらいのものなのかな?)
裏を見た私は、思わず声を上げそうになった。
1945-4と書かれている。恐らく、1945年4月ということなのだろう。フランスのリヨンで印刷されたようだ。ドイツが第二次大戦で降伏したのは1945年の5月。もうじき戦争が終結することを予想していたのかも知れないが、まだ戦時中、しかも敵国の作品をこんな風に作るとは!戦争のさなかでも子どもを楽しませようとする愛情深さや職人魂!いいものはいい、と認める潔さ!これを読んだ子どもは、どんなことを感じていたんだろう?色々な感情が沸き起こり、出遭えたことに心が震えた。この感動を、マリーやカトリーヌにも!
「ねえ、これ、すごいよ!1945年だよ?グリム童話だよ?!」
興奮していた私は支離滅裂。言葉を並べ立てて何とか説明してみる。
あなた方フランス人は、いや、この会社の人の独断なのかも知れないけど、戦時中にも関わらず敵国の作品を、こんなに柔らかいタッチで、色鮮やかに、子どものためにモノづくりにプライドを持って、素晴らしいものを作ったんだよ!この職人魂!勲章ものじゃない?!
と、私は言いたかった。まるっきり伝わっていなかったようだけど。
マリーもカトリーヌも、「ふ~ん、綺麗ね」くらいの感じだったので、ガックリ、力が抜けてしまった。ま、私の伝える力が足りなかったんだよね。絶対、すごいことだと思うの~!!!
更に気が萎えたのは、古本屋のムッシューの対応だった。値段も決めていなかったようで、確か5ユーロくらいを提示された。あまり関心なく、冊子の状態も確かめないで適当に値段つけて私に売り渡してくれちゃったけど、この歴史遺産が日本に持ち去られちゃって何とも思わないのかぁ~!(買っといて言うのも何ですが……)
結局、古本屋で購入したのは私だけ。でも、いい買い物ができた。表紙に書かれていた子どもたちから私へ。フランスから日本へ。これをどうやって繋いでいこうか?
興奮したら、お腹が空いてきちゃった。さあ、ファームでのディナーはどんな感じだろうなぁ?
この続きは後編で。