ある日、器用に生きるフランス人

こんなことまでできるんですか?!
知り合ったフランス人の器用さに、私は度々驚かされてきた。
インターン高校で司書をしていたラシェルの旦那さん・ローランドは、自宅の壁をくりぬいて、観音開きの戸棚を作っていた。床から高さ50cmほどの木製の戸棚は、角が丸く滑らかにやすりがかけられ、扉にはめ込まれた磨りガラスには、曲線や円で描いたデザインが施されていた。優しく温かみのある流曲線の戸棚に、小人が出入りするんじゃないだろうかとファンタジーな発想を掻き立てられたが、口に出すのは気恥ずかしくもあったため、ラシェルやローランドには心の内を明かさずにいた。
ローランドは他にも、娘のベリンのために、当時彼女が興味を持っていた卓球のテーブルを自作していた。ローランドは色まで一般的な卓球台そっくりに仕上げていたが、一つだけ大きな違いがあった。それは、ベリンが一人でも練習できるよう、相手側を90度上向きに、つまり壁のように作っていたことだ。ベリンは暫くの間、壁打ちに勤しんでいたようだが、その後彼女の興味はテニスに移ったようだ。ベリンの興味が薄れてから、卓球台がどうなったかということは確認していないが、おそらく、他の用途でうまく使用していることだろう。

自分たちの使い勝手に合わせ、柔軟に物を作り上げる。機械モノには弱いと聞いていたけど、創作するのはお手の物なのでは?生活の中には手作りのものをいろいろと取り入れているし……。
しかも、器用なのはモノづくりだけでなく、生き方にも表れている。フランス人と接する機会が増えるにつれ、私はそのことをつくづく実感することになる。

あるとき、私は滞在する街の小学校の校長先生から、通訳として来て欲しいと打診を受けた。インターン高校を通じて連絡が入ったため、校長先生と面識はない。私に話が回ってきたのは、校長先生が「たまたま、偶然」私のことが載っていた新聞記事(これはエッセイ本の方に書いているが、正確性に甚だ疑問が残った……)を見たため、頼んでみようと思ってのことだと伺った。話によると、日本のとある団体が文化交流のために来仏するので、その際通訳に入って欲しいと言うのだ。通訳と言っても、歓迎セレモニーで生徒が表現することを校長先生が説明するので、その内容を伝えるという簡易的な役割だった。それなら、ということで引き受けた私は、後日、その小学校へ出向いた。
校長先生ということで、かちっとしたスーツ姿の厳格そうな人が現れたらどうしよう、と思っていたが、その想像は見事に裏切られた。上下とも生成色で、麻のシャツにチノパンというリラックスした装い。ジェレミー・アイアンズから渋さを除いて哲学的な雰囲気だけ残し、巻き毛にしたらこんな感じかな、という面持ちの方だった。生徒たちも怖がったり遠慮したりする様子はなく、気軽に話しかけたり手を取って教室へ連れて行こうとしていたので、校長先生を慕っているということが一目瞭然だった。
「こんな偶然があるのかと思ったよ。日本から文化交流の団体が来る前に、君の記事を見つけるなんてね」
校長先生はムッシューQと名乗り、私に握手を求めたのち、校庭を歩きながら文化交流の趣旨を説明してくれた。私は日時や役割を確認し、交流会の日に改めて来校した。そのときもムッシューQはアースカラーのポロシャツにコットンパンツ・足にはサンダルというナチュラルな軽装。一方、団体代表の日本人男性は汗ばむ季節にも関わらず、首まで絞めつけたネクタイと上下スーツに革靴という出で立ちで、私にはとても事務的に見えた。
生徒たちが手を上に掲げ、シフォンの布をふわふわと風になびかせながら円になって校庭を走る。生徒たちは時折交差したり上下に動いたりしていたので、円が渦のように見えたり、たなびく霞のように見えたりした。ムッシューQが「自由や喜びを表しています」「自然を表現しています」と説明する都度、私は代表の日本人男性にそのまま訳した。彼は「ほお」とか「すごいね」とか感嘆の言葉を発していたが、表情は硬いまま何度も汗をぬぐっていた。
そして校庭の真ん中に木を植樹するクライマックス。生徒たちとムッシューQは手足を水で濡らし、土で汚していたが、代表の日本人男性は遠巻きに見ているだけだった。ムッシューQが「一緒にやりましょう!」と誘っていたので、私はそれもそのまま伝えた。彼はスーツの裾や革靴を気にしながら、手の先でちょこっとだけ土をすくい、樹の根元にぱっと撒いた。そして、すぐさま手の土をはらい、水のしみ込んだ地面を避けるように足をばたつかせたのち、身体を傾けて遠い位置からじょうろで水を掛けた。
(……。何でスーツや革靴で来た?)
文化交流に亀裂が入るようなことはもちろん言ってない。言ってやりたかったけど。通訳は場を取り持つ役割も担い、文化の違いや相手の心情を考えて言葉を選び、ときには訳さなかったりすることもあると聞いたことがある。ムッシューQが言っていないのに、通訳が出しゃばって自分の意見を言っていたら、双方の融和なんて図れない!
とはいえ、日本から提案している文化交流会なのに、提案者側が他人事みたいでモヤモヤする。しかも、同胞のやったことだ。私は多分納得のいかない表情をしていたと思うが、ムッシューQは代表を労い、にこやかに声を掛けていた。大人な対応の文化交流会は、何となく中途半端な気持ちを残したまま(私だけ??)終了した。

ムッシューQからご自宅へ招待されたのは、文化交流会からそう日が経っていない時期だったと思う。小学校から歩いてご自宅まで向かったのだが、徒歩数十分くらいの立地だったと記憶している。周囲に畑が広がる開けた土地の一角に、建設中らしき一軒家があり、ムッシューQは「ここだよ」とその建物を指した。
(えっ、ここ?)
住んでいる場所は他にあるんだよね?屋根がないんですけど??
「今、住んでいるんですか?」
「そう。私が建てながら住んでいるんだよ」
(はっ?「私が」って言った??)
「ムッシューQが建てているんですか?」
「そうだよ。建築の知識や経験はないけど、図面を引いて、材料を揃えて、少しずつやっているんだ」
どうやら彼は、専門家に頼ったりすることなく、自分だけで家を建てようとしているようなのだ。しかも、校長職の合間に!
平屋になっている右側部分はキッチンのようで、水回りの仕様やテーブル・食器などがガラス扉ごしに見えた。どうやら、この部分は完成しているらしい。だが3分の2は未完成で、一部の壁や屋根がなく、1・2階部分の梁と床板(2階を作ろうと考えるあたり、半端ないチャレンジャー精神を感じる!)がむき出しになっていた。
(いったい、どこに寝ているの?風雨もしのげないんじゃ……)
疑問を率直に尋ねると、
「ああ、テントを張るから大丈夫だよ。子どもたちもキャンプみたいだと楽しんでいる」
と、大したことじゃない、という返答が返ってきた。家の前には車3台分くらいの芝生があり、テントはここに張っているようだ。芝生の後ろには畑があり、野菜の苗がいくつか見えた。
ここでムッシューQからご家族の紹介が。奥様はぽっちゃりしていた頃のレネー・ゼルウィガーに似て、親しみのある笑顔が素敵なマダム。お化粧はしていなかったが血色が良く健康的だったし、腰まであるプラチナブロンドのストレートヘアや生成のロングチュニックは、『大草原の小さな家』のように森の中で過ごしたり夜くつろいで過ごしたりするときのようにリラックスして見えた。長男は『スタンド・バイ・ミー』の頃のウィル・ウィートンのように細身で整った顔立ち。直毛のブロンドヘアは、奥様に似たのだろう。芝生を駆け回ったりして元気な小学生だ。そして、何と言っても驚いたのが、次男!最初女の子だと思っていたら、男の子だと紹介されてびっくり。3・4歳だったが、「天使」としか例えようがない。レモネードに金粉を混ぜたようなブロンド。ゆるい巻き毛。つるんと曇りのない肌。ラズベリーシロップを垂らしたような血色の良い唇。人見知りなのか、長いまつげを伏し目がちにしていたが、澄んだブルーグレーの瞳。エル・ファニングを巻き毛にしたら似ている?いや、この次男はもっとはにかんでいて内気で、女の子よりもはかなげな感じだ。実在の人物だと人間臭さが出てしまうが、この次男は年齢的にも無垢な感じで、まだ例える人がいない。漫画の方が表現できそうだ。「天使のような美少年」で検索してみたところ、『風と木の詩』のジルベールとかが当てはまるかも?
と思ったけれど、漫画を読んだことがなかったのでよくよく調べてみたら、人物の性格や育った環境とかは全く似ていなかった……。
なかなか表現できそうにないが、今まで私が「天使みたい」と形容していたもの全てを取り消して、彼だけを「天使」と言いたいくらい、こんな子が世の中にいるんだ!と思った瞬間だった。
ご家族に加え、ムッシューQの教え子である20代くらいのモロッコ移民の男性も紹介された。彼はときどき大工仕事のお手伝いをするようで、私がお邪魔したときも子どもたちと遊んでいた。外にテーブルと椅子が並べられ、私たちは心地よい風と少し肌がチリチリしそうな日差しの下、奥様の手料理を頂くことになった。どうやら、食材に使われている野菜は全てこの畑で採れたものらしく、長男が
「これ、うちの野菜!」
と誇らしげにトマトやズッキーニを頬張っていた。
「先生にはお世話になったからね。それに、チビたちがかわいいだろ」
食事をしながら、モロッコ男性がお手伝いしている理由を話してくれた。モロッコには家族がいて、仕送りをしているようだが、ここでは賃金を頂くわけでもなく手伝っているようだ。小学校の生徒たちやモロッコ男性の反応を見るにつけ、ムッシューQがどんな人柄なのかが分かる。
「先生の役に立てるなら嬉しいよ」
そう言った男性の表情は穏やかで、満ち足りた雰囲気だった。
食後はムッシューQに畑や家の中を案内してもらえることになり、彼とはいろいろな話をすることができた。
「どうして自分で家を建てようと思ったんですか?」
「子どもが成長したら大きな家が必要になる。かといって、別の場所へ引っ越したり仮住まいするのは気が進まないから、自分で建てることにしたんだ。子どもはどんどん動き回るようになるでしょう?でもこの間、2階に上がっていたとき後ろに気配を感じて、振り返ったら次男がはしごを上ってついてきていたんだ。私は血の気が引いたよ。もし彼が落下していたら……。そのあとすぐ、私ははしごの一番下段を外したんだ。そうすれば、次男は二段目に手を掛けられても足は掛けられない。好奇心は尊重するけれど、子どもの安全を守るのは親の務めだからね。ところで、日本人は仕事が忙しいと聞くけれど、君はどうなの?」
私は仕事を辞めてインターンで来ていることや、帰国したら仕事を探さなくてはならないことをかいつまんで話した。
「ふ~ん。じゃあ、君のようなケースは珍しいんだね。ぜひ、ここでの生活を楽しんでください。東京は都会だから、こういう生活はなかなかできないのでしょう?私はできるだけ家族には自然と接して欲しいと思っているんだよ。畑で野菜を育て、収穫し、料理して食べる。そのあとは肥料にする。あの箱が見える?あれは腐ってしまった野菜や残飯を入れていて、肥料にしているんだ。でも、この間蓋を開けたら、大きなネズミが眠っていて、慌てて飛び出してきたんだ。ネズミには食事にも寝床にも困らない場所だったんだろうね。ハッハッハ!」
ネズミの話から、ムッシューQは好きな絵本の話もしてくれた。
「日本の絵本で、ネズミの大家族がみんなで協力して生活する話があるでしょう?私はあの話が大好きでね。私たち家族もあのネズミ一家のようだと思っているんですよ」
どうやら、いわむらかずお先生の『14ひきのシリーズ』のようだったので、私は帰国後、手紙に添えてシリーズのうち1冊をムッシューQに贈った。
私が帰国したあとも家はまだまだ完成しないようだったが、きっと子どもたちは成長に合わせてお手伝いをしたことだろう。そして今頃は、すっかり完成した家に子どもたちが付けた傷やへこみを愛おしく感じながら、あのご家族はネズミ一家のように互いを思いやって楽しく過ごしているのだろう。
フランス人は生き方が器用だ。モノづくりに始まり生活に関わることにおいて、自分にとって大切なことが何かを理解し、それを守ったり得るための行動に迷いがない。きっと、スーツや革靴で形式的に交流へ参加することも、仕事を辞めて収入もなく期間限定でインターンをしていることも、彼らにとってはやっている人が納得しているのであればいいんじゃない?と思っているのかも知れない。私がビザの残りわずかな期間で仕事を探そうとしていたとき、長期滞在ができないにも関わらずホームステイ先のマダムが推薦状をもらえばいいと背中を押してくれたことも、この器用さから来るものかも知れない。
器用ではないけれど、やりたかったことを少しずつ行動に移していきたい。あとはそれが生活に根付いてくれればいいのだが、ムッシューQが家を建てるような気持ちで、焦らずじっくりと取り組んでいくことにしよう!

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