ある日、古典のお勉強(スイーツ情報も)

学校の授業で習う古典が難しい・分かりにくいとか、必要ないと感じる人は、日本でもフランスでも一定数いるようである。
私がインターンをしていた高校では、選択科目の中に古典語があり、ラテン語とギリシャ語が学べるようになっていた。その頃の私は誤った認識を持っており、フランスの学校教育においてラテン語は必須科目だと思っていたので、ちょっと意外に感じたことを覚えている。
日本においては、高校の国語の授業で古典が占める割合が減りつつあるようだ。かつて教育実習を行った中高一貫校には、当時古典の先生が複数名いらしたけれど、今はどんな体制になっているのだろう。

インターン高校で日本語や日本文化を普及するにあたり、フランスではラテン語の授業があるのだから、日本の古典について話してもいいんじゃないか、と私はぼんやり考えていた。先述の通り、誤った認識で渡仏してしまったものだから、
「ラテン語のように、日本にも昔の言葉や文法があってね」
と説明しようとしたら、
「ラテン語は選択してない」
とか、
「苦手だから興味ない」
とか言われてしまった。
幸い、日本語の文字面(字体とか書体とか)に関心を持っている生徒が何人かいて、私が書道の講義で草書体について話して以降、俳句や古典文学の講義にも顔を出してくれたりした。
これはもう、お堅くやっている場合ではなさそうだ、と私は考えを改め、一種のレクリエーションと捉えることにした。
そこで、俳句に関しては、インターネットで検索してもらい、好きな書体とか惹かれる内容の句があったらそれを習字してみましょう、と提案してみた。すると、生徒たちは結構乗り気で取り組んでいたようだったので、この方針に転換して良かったと思っている。
古典文学に関しては、源氏物語を扱おうと思い、インターンのためだけに『あさきゆめみし』のボックス入り文庫サイズ7巻セット(栞がついていた)を購入し、日本から空輸便で送っていた。日本の‟漫画”が浸透しているフランスだから、ひょっとしたら『あさきゆめみし』を知っている生徒がいるかも知れないと思ったということもあるし、源氏物語を説明するには漫画から入ってもらうのが手っ取り早いと思ったのだ。私が中学だったか高校だったか忘れてしまったのだけれど、古文の先生がこの漫画を職員室に置いていたので、本職が持っているのだから、と参考にしたのだ。もちろん、この時代の行事や服装、日本家屋のしつらえ、詠まれた和歌や書かれた書体など、日本文化を説明するのに色々な方向へ話を持っていけそうだったからでもある。
私が意気揚々と『あさきゆめみし』を抱えて学校に出向き、生徒たちに披露したところ、残念なことにこの漫画だけでなく、源氏物語自体を知っている生徒はいなかった。日本の高校生が、フランス文学でいうところの『le roman courtois:騎士道物語(私が持っている三省堂の辞書・GEMでは、‟(中世)騎士道恋愛物語”と訳されている)』に属する話に馴染みがないのと同じことだろう。
しかも、私が光源氏と彼を取り巻く女性たちのことについて触れたときには、一人の男子生徒が
「ああ、ハーレムの話?彼はスルタンみたいなもの?」
と解釈していたので、なるほど、そう思っちゃうよね~、ちょっと違うけど、説明が難しい!と、頭を抱えた。
※ハレムについては、このサイトが分かりやすく解説していました。
また、そのほかの質問や意見では、
「日本は一夫多妻制なの?」
とか、
「人間心理が複雑だったり、ハッピーエンドじゃないところがフランスと似ている」
とか(近年のフランス映画などではハッピーエンドも増えたと思うけれど)、私が想定していたような安易な話の展開にはならず、自分の勉強不足を反省することになったのだった。

私が古典を面白いと感じるときは、その背景にも惹かれているのだと思う。描かれている風習や暮らしぶりなどに興味が湧くし、より詳しく知りたいという欲求も出てくる。勉学として取り組むというよりは、自分なりのレクリエーションにしているのだ。
フランスに関心を持つきっかけとなったアルセーヌ・ルパンの物語では、暗号解読にラテン語の知識が必要だったり、土地の歴史や風習を知らないと解けない謎もあった。だから、昔の言語が失われていくといった話を聞くと、危機感というよりは寂しく感じる。どこかの誰かが、古典語の知識がないと絶対解けないような暗号が出てくる小説とかゲームを考えて、読者もしくはプレイヤー用の手引書風に古典語を解説してみたら、改めて見直されたりしないかな(またしても安易な発想……)?
古典ではないけれど、アメリカの富豪が仕掛けた宝探し‟ザ・シークレット”では、9つの宝箱のうち発見されたのが40年間で3つ。箱のありかを示すのは、絵画と詩の組み合わせということだから、もしずっと解読されなかったら、詩に使われていた言語が読めなくなる日が来るかも知れない。現在、富豪が亡くなってからも子孫がこのゲームを引き継ぎ、挑戦者が宝箱を発見するのを待っている(宝箱を発見した人に、富豪の子孫が宝石を贈答する)ということだ。それならば、暗号となっている詩に使用された言語は、解読しようという挑戦者によって、消滅を免れるということになるのではないか。言語の存亡と結びつけるのは不謹慎かもしれないが、ちょっと心躍ってしまうのである。

源氏物語に話を戻すと、叶匠壽庵では、石山寺(滋賀県大津市)門前の店舗で限定販売していた石餅を、2024年の土日限定で、全店販売している。パッケージも、石山寺所蔵の『紫式部石山寺観月図』の一部をデザインしたものとなっているようだ。
今年の大河ドラマで取り上げられたこともあり、改めて見直されている源氏物語。誰かが何かを仕掛けることによって、古いものが再び脚光を浴び、人々の関心が煽られる。細くても長く、こうして古典は引き継がれていくのかも知れない。

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