ある日、印象に残る食事とは?

ちょっと贅沢な食事をするとき。お店や日時を決めたときの期待感や待ち遠しさ。自分はTPOに配慮できているだろうかとか、同伴者にお店を気に入ってもらえるだろうかといったかすかな不安。複雑な気持ちが入り混じり、そのときを迎える。
パリ・ホテル”ル・ムーリス”、1998年。『銀河鉄道999』の車掌さんのような制服を着たドアマンが、うやうやしく迎え入れてくれた。

このときより遡ること十数年前から、私は生意気にもちょっと贅沢な食事の機会を与えてもらっていた。食事は楽しみだったが、マナーが必要となるような場は、子どもにとって窮屈で緊張するものだ。『プリティ・ウーマン』でジュリア・ロバーツがエスカルゴを飛ばしたが、私も小学生の頃、とある銀座のフレンチレストランで1つ飛ばしたことがある。といっても、ジュリアのようにヒューンとではなく、ツルン・ボトンと滑らせ落としてしまった、というのが正しい。母は給仕のかたを呼ぼうとしたが、私は恥ずかしかったので、自分で床から拾い上げ、素知らぬ振りでお皿に乗せておいた。だが、お皿を下げに来た給仕の男性から、
「おや、1つ残ってますが……」
と尋ねられ、結局理由を言う羽目になり、非常に気まずい思いをしたことがある。
ほかにもあちらこちらと連れて行ってもらったにも関わらず、思い返したときに印象に残っているのは、ちょっとやらかしてしまったような出来事の方が多い。

とはいえ、このような機会が巡って来るといつも楽しみになる。大勢が集まるようなパーティーは苦手だが、母や気の置けない友人との食事は毎回ワクワクしている。私がお店を選ぶときは、行ったことがあるところか、下見してから決めたい。だが、時間との兼ね合いやお店の予約状況、予算などの関係から、「私も初めて行くんだけどね」となることもままある。
ル・ムーリスのときは、まさにいろいろなことが「お初です」の状況だった。母と2人フランス旅行を計画した際、母から「ディナーでどこかいいお店を予約して」とリクエストされたのだ。私はこの前年、短期留学で初めてフランスを訪れ、地方都市に1か月居ただけだった。
(パリのレストラン?いいお店?)
ほぼ、知識ナシ。私が知っていたのは2人のシェフのみ。その当時は、アラン・デュカス氏がプラザ・アテネで腕を振るっていた。また、斬新なヌーベルキュイジーヌの担い手として、ピエール・ガニエール氏の名前もちらほら聞こえていた。
(どちらかのお店を予約する方向でいいかなぁ?)
でも、フランスでディナーって、大丈夫か、私?
この2氏の店舗は星付きだった。お店でのTPOについては、今まで母に連れられ行ってきた日本での経験を信じるしかない。だが、メニューは?あんまり、読める自信がない(読めなかった場合、質問できる自信もない)。
そこで私は、その道のプロ・カード会社のヘルプデスクに問合せしてみることにした。デスク担当の女性は親切丁寧に、デュカス氏のレストランには日本語メニューがあることを教えてくれた。また、しごく当然な流れなのだが、カード会社を通して予約することを勧めてきた。インターネット予約がまだ普及していなかったので、個人での予約は電話かFAXになる(私はホテルをFAXで予約していた)。文書作成の手間や、万が一予約できなかったときのことを考えると、ディナーは任せちゃおうかなぁという気になってきた。
カード会社のオススメは3店舗あり(日本語メニューが用意されているからとの理由)、1つはデュカス氏のお店、ほか2つは知らないシェフのお店だった。私は悩んだ。最初に目星を付けていたデュカス氏のところにすればいいのだが、予約できる時間が遅かったのだ。一番早い時間でも20時。それ以前の時間帯が空いていないのではなく、ディナーは20時以降しか提供していないのだという。
「フランスの夕食は日本より遅いのが一般的ですから」
デスク担当の女性からそう告げられ、私はほかの2店舗の時間を確認した。1つが19時、もう1つが19時30分というので、早いほうのお店を予約することにした。我が家は日本の家庭でも夕食が早い方なのだ。今も実家に帰ると、17時とか、遅くとも18時には食卓につくことになる。母のことを考えると、あまり遅い時間は選びたくなかった。それに、フランスのディナーは時間をかけてゆっくりするものだと、学生の頃フランス語の講師から聞いていた。格式高いフルコースともなると、4時間を超えることもあるそうなので、夜中にホテルまで戻るのはちょっと怖いなぁという思いもあった。
というわけで、選んだお店が19時からのル・ムーリスだったのだ。星付きのレストランであったことや、絢爛豪華な内装などから、安定した人気を誇っているらしい。このあと、アラン・デュカス氏がプロデュースしたり、杉本シェフが総料理長代理になったりして、日本人の利用者が急激に増えたと聞いたが、母と私が訪れたときは、19時の予約客は皆無だった。煌びやかなシャンデリアと柔らかいタッチで描かれた天井画、ピアノの生演奏が流れる宮殿のような空間に、母と私が2人だけで食事している。まるで貸し切りのような状態で、非常に贅沢な過ごし方のはずなのだが、私は身の置き場がなくてソワソワしっ放しだった。20時を過ぎても2組くらいしか姿を見せず、20時30分を過ぎたあたりから徐々にテーブルが埋まり始めた。私はこの頃になってやっと気詰まりな空気から解放されたのだが、すでにお腹具合は10割に達しようとしていた。
そもそも、本場のフルコースを食するのが初めてだった上に、オートキュイジーヌ(フランス伝統の、ソースをふんだんに使った重めの料理)。しかも量が多かったので、前菜ですでにお腹いっぱいに感じていたのだ。食器もテーブルクロスも豪奢で、最初のアミューズくらいのときは、わぁ、素敵だねぇ、綺麗に作られてるねぇなどと和やかに食事を進めていた。しかし、胸から下にじわじわと押し寄せる圧迫感から、徐々にお互い口数が減っていく。オマールを1尾まるまる使用したサラダ(こんな前菜、アリ?)。直径20cmくらいのお皿になみなみと注がれたスープ。舌平目のムニエル。グラニテで少しさっぱりしたけど、満腹感は軽減されない。子牛フィレのロッシーニ風。もう、胃が喉元まで来ている感じ。デザートはあとから頼むことになっていたので、絶対チョコレート系か、モンブランがあればそうしようなんて思っていたのに、スフレしかムリ~(って、頼んだんかいっ!)。「要りません」とは言わないところが、我ながらがめつくてイヤだわ。非日常の優雅な雰囲気のなか、「うう、苦しい……」とテーブルに突っ伏さんばかりになっていた。食後のコーヒーになって、はぁ、美味しかった、よく頂きました、と思っていたのに、1ダースほどのプティ・フール(一口サイズの小菓子)が高杯皿に盛られて一緒に運ばれてきたときには、そのまま持ち帰りたかった。でも、そんなはしたない真似はできませんわね(最近はフランスでも”モッタイナイ”で持ち帰りOKのお店があるそうだが、パリの星付きでもできるのだろうか?)。で、仕方なく(?)いくつかつまむ(どこまで食い意地が張ってるんだか……)。小さいのに丁寧に作られていて、どれも美味しい。全部食べたいけどさすがにムリ。泣く泣く残し、ル・ムーリスを後にしたのだった。
思い返してみても浅ましさに恥ずかしくなるのだが、あのときは初めてのことだらけで舞い上がっていたのだ。あそこまでボリュームがあるとは思わなかった。ハラペコで出向き、身体が丸くなるまで詰め込んでしまった。赤ずきんちゃんの狼はこんな状態だったのかも知れないと想像してしまうくらい、お腹を抱えうめきながらホテルに戻った(タクシーを使ってですが)。その昔、宮廷では食事を続けるために喉の奥を刺激していたそうだ(何を言いたいかお分かり頂けるかと思いますが)。現代マナーではそういうわけにもいかないだろう。それに、そこまではやりたくない。

こんな風に、何をやっているんだか……と呆れてしまうような思い出なのだが、コース料理の詳細を覚えているのは、後にも先にもこのル・ムーリスだけなのだ。例えば、銀座ロオジエは最高のホスピタリティで、初めて訪れた際は外国人シェフの方が1階で出迎え、エレベータに乗せてくれたあと、階段を駆け上って2階で再び出迎えてくれたので、食事前から感激した。その印象が強かったせいか、食事内容を全く覚えていないのである。2回目は食後にオーナーの方(だったと思う)が地下でエレベータに乗せてくれたあと、1階に駆け上ってお見送りしてくれたのだが、このときの食事内容もやはり覚えていなかった(写真撮影OKだったので、撮った料理を見返して思い出した)。
なぜ、ル・ムーリスの食事は覚えているのだろう?そのときの料理が自分至上最高に美味しかったのかと言われたら、必ずしもそうではない。お皿の上の芸術性は、ロオジエの方が格段に繊細で美しいものだった。せっかくなら、粋でお洒落でキラキラした印象を語りたいと思うのだが、私の記憶というのは、どうやらじゃない方を留めてしまうようだ。

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