ある日、利用されただけかしら
つい先日、書初めの作品をテレビで見ながら思い出していた。インターン高校で私が初めて行った講義は書道だった。習字とは言わず書道と銘打って講義に臨んだのは、文字の成り立ちとか所作などにも触れながら、書くことで自己表現してもらいたいと思ったからだ。だが、
「集中力や鍛錬が~」
と言っているそばから隣の生徒にちょっかいを出す子がいるし、
「とめ・はね・はらいとは~」
と伝えた際には、”書く”のではなく絵具筆のように文字を塗りたくって”描く”子がいたりした。
書と絵の違いを説明すべきだろうか?初めて接する生徒たちにあまり細かく言わないほうがいいかしら?でもそうしたら習字でも良かったはずだし……などと手探りで進めていった。
講義の出来はともかく、初日は教室のすべての席が埋まり、立ち見まで出ていたということが、教員部屋で話題になった。「良かったわね」とか「盛況だったのね」と声を掛けてくれる教員や、校長のムッシューGまでもがわざわざ部屋に来て、
「この調子で頑張ってくれたまえ」
と握手を求めてきた。
その様子を見ていた中国語の教師であるマキシムが、
「今度僕も中国の先生を呼んで、生徒たちに書道を教える計画をしているんだ」
と声を掛けてきた。へぇ~そうなんですか、頑張ってください、とありきたりの返事をしていたのだが、このあと私は彼のサイクロン式働きかけによって、中国語の講義に強引に巻き込まれることになるのである。
マキシムは週2・3回、中国語のクラスを受け持っていた。赴任してからの年数が浅く、勤務日数も少ないため、彼は教員たちとまだ少し距離があった。そんななか、同じアジアのクラスを担当する私がやってきたとあって、彼は
「一緒に学校を盛り上げていこう!」
と共闘を呼び掛けてきた。などというと大袈裟に聞こえるかも知れないが、マリーは彼に警戒心をあらわにしていた。
「前にいた中国語の女性教員は、穏やかで親切ないい人だった。マキシムとは学年違いで教えていたのだけど、彼が校長に画策して、彼女を追い出しちゃったのよ。今も講義数を増やそうとして、校長に媚びを売っている。あなたを利用するかも知れないから、気を付けなさい」
(ひえぇ~、野心家で手段を択ばないタイプ?講義数ってアピールしたら増えるものなの?!)
悪い人には見えなかったのだけど。
というのも、私が学校で日本語のメールが読めないと言ったとき、マキシムが読めるソフトを入れてくれたのだ。中国系のもの(確か、南とか星という名前がついていた)だったので、変換された漢字がときどき読めなかったりしたのは、まあ、致し方なし。
日本より失業率の高いフランスだと、講義数の増減は死活問題なのかな。でも、私がいるのは短期間なんだし、派閥とか教員間の争いとかには巻き込まれたくないなぁ……などとぼんやりしたまま、マキシムとは当たり障りなく接していた。
私が書道の講義を数回行ったあとのこと。マキシムからクラスの手伝いをして欲しいと頼まれた。
「書道を教えてもらうんだけどね。道具がないんだ。君のを貸してもらえないかな」
(ないのに先生を呼んじゃったの?)
段取りしてから先生を呼びなさいよ!と言いたかったが、
「先生は忙しい人で、やっと来てもらえることになったんだ。校長にも日程を伝えてしまっているし」
と、今更変更は難しい様子。しかも、何かが足りないのではなく、まるっと一揃い、全部ないと言ってきた。筆も紙も墨も墨汁も硯も文鎮も下敷きも!最初から私の書道具をアテにしていたのだろう。相談もなしに話を進めたことに腹が立つ。
(こちらは自費で購入してるし、高い空輸代払って日本から持ってきたんだ!)
ケチと言われようが、私は自分のクラスのために用意したのだ。インターンだから給料ももらってない。あなたは教員なんだから、教材費として学校に予算を申請すればいいじゃないか!
ここでふと、マリーが言っていた言葉を思い出す。マキシムは校長に気に入られたいのだ。書道の講義が人気だったのは私で実証済み。とはいえ、書道具を揃えるには費用がかさむ。私立の高校ではあるが、コスト高の講義は歓迎されないのだろう。週2・3日しかクラスを持っていないマキシムが申請したところで、予算が簡単に通るはずはないし、次年度の講義継続に影響が出るかも知れない。そうだ、あのインターンの道具を使わせてもらえばいいじゃないか!
な~んてことを考えたんじゃないだろうか、この男は。堀から埋めてくるあたり、私が断れないと思っての確信犯に違いない。マリーが警戒していたのが、今になって理解できた。これが現在の私だったら、私物なので共有にするなら学校用として買い取ってもらえるよう、あなたから校長に申請して、と言ってやるところだ(本当に言える?)。でも、当時の私は眉間に深いしわを刻んだだけだった。さすがに紙は手に入りにくいので、それ以外の書道具なら貸してもいいとOKしてしまったのである。
中国語クラス当日、マキシムが私の書道具30セットを引き取りに来た。マリーの教室に保管してもらっていたので、彼女に鍵を開けてもらう。前もって経緯を話していたのだが、その際マリーは
「私の言った通りでしょ」
と肩をすくめていた。
私はといえば、中国人の先生が書道をどのように教えるのか見ることができる機会になったのだと思い直し、教室の後ろで講義に集中することにした。先生は50代くらいのふくよかな女性で、初対面での感じは悪くなかった。私のクラスとは異なり、生徒は大人しく座って話に耳を傾けている。私の講義では、墨を磨って墨液を作るところから生徒に体験してもらい、書く段階で墨汁を使用していたが、彼女は墨は磨らず、墨汁を手に取った。
「日本製ねぇ」
パッケージの裏面を見た彼女は小さく鼻で笑い、
「日本のものはあまり良くありません。液が薄いんです。中国のものは液が濃い。皆さんも使うなら中国のものがいいです」
とのたもうた。
(イヤなら使うな!自分で持ってこい!!)
それがモノを借りる人の態度かっ!しかも、日本人の私の前で、私が持ち込んだMade in Japanにケチをつけるとはいい度胸じゃないか!!
私が怒り心頭なことには気付く様子もなく、彼女は硯に墨汁を注いだ。
「あら、意外と濃いですね」
お・ま・え~!さっき言ったこと撤回しろ!!!
彼女の講義を真剣に聞く気分ではなくなってしまった。
更に、講義が終わったあとでも私はいきり立つことになってしまう。私は日本クラスの講義の中で、「自分で使ったものは自分で片付けてください」と生徒に伝えていた。道具を丁寧に扱うことも理解して欲しかったからだ。それなのに、マキシムは片付けさせることなく生徒も中国人教師も帰してしまったのだ!じゃあ、マキシムが全部の後片付けを引き受けてくれるのか?否~!
ヤツは「先生を送ってくるから」とか都合のいいことを言ってその場を離れ、戻ってきたのは30分も経ってからだった。その間、私は片付けのほとんどを一人で済ませていた。彼が戻ってきてから手伝わせるという手もあったのだが、そんな気にもならなかった。マキシムは何一つやらなかったうえ、「ありがとう」も「ごめん」もなかった。自分でも何やってんだかとアホらしく思う。でも、こういう人間はどこにでもいるものだ。
帰国の際、私は自分が持ち込んだ日本のものを、欲しいと言っている人に譲ってきた。マキシムが書道具目当てでウロウロしていたが、私は聖人君子じゃない。それに、プレコス(飛び級してきた早熟な生徒)のクラスで使用することがあるかも、とマリーが言っていたので、書道具は彼女にすべて譲ることにした。
楽して成果を出そうとする人間には、2通りあると思う。やるべきことを人任せにする人間と、楽になる仕組みを考える人間と。どちらのタイプも、人を巻き込まないと成果は出ないものだ。そして、巻き込んだ方法なりの成果が返ってくるものだと思っている。私も巻き込むなら、一緒にやっていける人を見つけ、成果を上げられる仕組みを考えたいものである。