ある日、初めてのビズ
私のファースト・ビズはナディアという女性だった。
初めて海外に赴き、その国ならではの挨拶をする機会が巡ってきた際、誰しも多少の戸惑いを感じるはずだ。
「日本では頭を下げる角度によって敬意などが変わるのでしょう?普段の挨拶ではどの程度下げればいいの?」
フランスでのインターン期間中に生徒からそう質問され、私は四角四面に“会釈・敬礼・最敬礼”について説明した。そうしたら、生徒たちは鏡を見ながら
「これって15度?」
「もっと曲げるんじゃない?」
などと指摘し合い、頭を傾けていた。
ゴメン、友達同士だったら、手を上げたり振ったりで済ませたりするのよ~。
ビジネスマナーの研修みたいになってしまい、慌てて訂正したのだった。
また、日本式挨拶として誤って解釈されている“合掌”について、
「神仏前でのお祈りのときとか、親しい間柄の人に何かを頼んだり謝ったりするときに合掌することはあるけど、挨拶ではしないよ」
と伝えると、生徒たちは
「日本人は挨拶のとき、合掌すると思っていた!」
と驚いていた。
海外で日本式の挨拶に誤解があるように、その逆もまた然り。私が初めて外国式の挨拶をすることになったのは、1回目のフランス留学のときだった。頬を寄せる欧米式の挨拶が実際どのように行われるものなのか、私は知らなかった。第二外国語の教授にでも聞いておこうか、という考えがちらりと頭をよぎったけれど、些細な質問をするのもなぁ、と放置してしまった。
ちなみに、フランスでの挨拶は“ビズ”といい、1~4回頬を寄せる。地域によって回数は異なり、パリのように2回(左右1回ずつ)の都市が一番多いようだ。
初めてのフランス、初めての単独渡航ということもあり、物珍しさから四方八方にアンテナを張っていたせいもあるが、現地に足を踏み入れてから、目の端に映る人誰もが出会いがしらにビズしているような気がする。チュッ、チュッ、という音も聞こえる。ううむ、これ、抵抗なくできるかしら……。
このほかにも緊張することは山ほどあり、道中ですっかりガチガチに硬くなった末に、ホームステイ先のマダムとご対面。さて、いよいよか?!と挨拶のタイミングを計っていたところ、マダムは握手を求めてきた。構えていた私は、肩透かしを食った気分。一気に力が抜けてしまった。
翌日、学校でクラス分けがあり、教室に入ったところでみんな自己紹介をしていた。私のクラスには他にも日本人がいて、何事もないようにクラスメイトとビズを交わしている。私も自己紹介の輪の中に入ったとき、最初に目が合ったのがナディアだった。スカンジナビア半島出身(と言っていた気がする)で、背が高くスポーティー。カーリーなブロンズヘアをポニーテールにしていた。彼女は自分の名前を名乗り、私の名前を確認したあと、頬を寄せてきた。心の準備ができていなかった私は(どんだけ乙女やねん!)、焦って彼女の頬に唇をつけてしまった。途端、彼女は目を見張って私から身体を離し、引きつった笑顔で立ち去った。
このすぐあと分かったことだが、一般的なビズは頬を重ね、チュッチュッと口で音を立てるだけで唇はつけない。どうやら私は、家族や親しい間柄の人にしかしないビズを、初対面のナディアに対して行ってしまったようだ。知らなかったんです、ごめんなさい、と伝えられたら良かったが、それ以来ナディアはずっとよそよそしく、私のことを避けているようだった。
「私、彼女に嫌われているのかな」
同じクラスの日本人女性に何気なく心の内を漏らしてしまったところ、
「そうなんじゃない?外国人は態度がはっきりしてるっていうし」
と身も蓋もない答えが返ってきた。
聞いた自分が悪いし、やっぱり?とも思ってしまったものの、もっと言い方……。
この一件から数年後のインターン期間中、ニコにナディアとのことを話してみたところ、
「ああ、ゲイやレズは気になった相手に唇をつけるから、勘違いされたんじゃない?」
と大笑いされた。
嫌われたのではなく、警戒されてた?
ドン引きとはまさにこのことか!という表情を浮かべていたナディアのことを思い出すと、誤解を解きたくて未だに心の傷がうずく。