ある日、人の振りと我が振り
夏真っ盛り、冷房もなく部屋を閉め切ってドラキュラのような生活を送っていたとき、ユキさんが訪ねて来てくれた。
ユキさんとはこの数か月前、ニースのカーニヴァルで出会った。彼女はパティシエで、当時フランスの別の街で働いていた。人見知りの私とは違い、彼女はいつもニコニコ、誰とでもすぐ打ち解けて話ができるタイプの人だった。オープンな性格だけでなく、フランス人の同僚とともにトップレスで海水浴してしまうくらい、度胸もある人だ(エッセイ本でも紹介しています)。ニースで出会ったとき、ユキさんは料理人を志している日本人女性と一緒だったので、私たちは数時間ほど、マルシェをブラブラしただけで別れた。ところがこの数日後、今度はイタリアにほど近いマントンという街のレモン祭りで再会したのだ。
「え~っ、え~っ!」
「すごい、また会えたね!」
お互い、驚きと喜びではしゃぎながら手を取り合う。お祭りの日程も場所も近かったから、私はユキさんがマントンにも来てるんじゃないかと思ってはいたが、会場が広いので、会える確率は低いと思っていた。訪れる日時が違っていたら、再会は叶わなかった。しかも、異国の地で、背の高い人々の間に埋もれるように佇んでいた私たちがお互いを見出すことができた。私たちは連絡先を交換し、次の機会へご縁を繋いだのである。
休暇でプロヴァンスを巡るとユキさんから連絡をもらった私は、ホームステイから独り暮らしに切り替えたこともあり、彼女を家に招待した。彼女が行きたいと言っている町や村のいくつかは、私も行ってみたいと思っていた。私が滞在している街は、近隣の都市や村へのアクセスが良かったから、ユキさんも荷物を置いて身軽に出掛けられる。数日間我が家で過ごしてもらい、そのうちいくつかの村には一緒に行こうということになり、私はユキさんの到着をソワソワしながら待っていた。
過去2回、ほんの数時間しか一緒に過ごしたことがないにも関わらず、私たちは旧知の仲のように肩をバンバン叩きながら再会を喜んだ。人を招いてみて改めて感じたのだが、暗いし暑いし、お迎えするのに充分な環境とはとても言えなかった。来れば?とか言ってしまったけれど、公共施設の方が過ごしやすかったよなぁと今更ながら気付き、私はユキさんが困惑していないかと少し心配になった。幸い、彼女は何でも楽しんでしまえるようで、「2階建てなんですね!」「こんな風になってるんだ!」など、ステュディオの構造に目をくるくるさせていた。
翌日、私とユキさんはバスで小さな村まで足を運んだ。連日晴れ間が続き、気分は上がるが体力は消耗するさなか、バス停から村まで徒歩1時間弱掛かる距離。普段は傘も帽子も使用しない私ですら、何か遮るものが欲しい!と感じ始めていた。緩く長く続く上り道の周囲は畑ばかりで、日陰ができるような建物は一切ない。淡黄蘗色の大地は光を反射して下からも熱を感じさせるし、歩くたびにモワッと土煙が立ち上る。前のめりの姿勢で歩いているからその煙が喉に張り付き、むせそうになる。干乾びて息絶えるミミズや蛙の気持ちが分かる気がしてきた頃、ユキさんが
「シホさん!あれって……」
と前方の畑を指さした。顔を上げ、ユキさんが指し示す200mほど先に目をやると、黄色いものがちらほらと点在している。
「ひまわり畑じゃないですかね?!」
そう言うやいなや、彼女は畑に向かって走り出した。さっきまでミミズや蛙に思いを馳せていた私ですら、その所在を確かめたくて小走りになっている。上下する視線の先が段々目視できるようになってくると、ツンツンと尖った舌状花がこちらに背を向けて立っていた。太陽の方向を向いているから、筒状花の部分は見えないが、ひまわりで間違いない。遠近感から推測するに、私の身長より大きく成長しているようだった。
「わ~っ、立派!大きいですね!」
ユキさんは頬を紅潮させ、興奮している。そこは確かにひまわり畑だった。残念ながら、一部が刈り取られていたり、成長しきって花がぐったりしていたりと、一面に咲き誇っていた時期は過ぎてしまっていた。ユキさんは刈り取られていたところから畑の中へずんずん入っていく。私は周囲に人がいないことを確かめてから、そろりそろりとひまわりに近づいていった。もし最盛期だったら、迷路とかできちゃうくらい広いし背も高い。畑への侵入もそうそうは見つからないだろう。だが今は、地面に臥せってみても「おい、そこのお前!」と簡単に見つかってしまいそうだ。ひまわりを近くで見たいという欲求よりも、誰かに怒られやしないかという不安が勝り、私の歩みは慎重になっていた。間近で見てみると、がっしりとして丈夫そうな茎や葉の上に、堂々たる頭花が据わっている。バス停から歩き続け、疲労から背が曲がっていたのだが、姿勢を正したくなるような存在感だった。しばしの時をこの畑の王者と過ごしたのち、私たちは目的地に向かって再び歩き始めた。道中、自生したさくらんぼの木を見つけ、喉の渇きとも相まって、個人の畑ではないのをいいことにいくつか頂いたりした。道からは少しそれたところに、現在は廃墟となっている城の一部を目線の端に捉えたが、私たちは黙々と村まで歩を進めた。
石造りの村は人口が少なく、ヴァカンスシーズンで観光客が訪れる以外は、静かで落ち着いた生活が営まれているようだった。これといった特産品はないのだが、家々の造りの美しさなどからプロヴァンスでは人気のある村だ。立ち寄った場所の階段に掲げられていたポスターも、色みがまろやかでどこか懐かしく、温かい気持ちにさせてくれた。折角長い時間掛けて辿り着いたのだから、もう少しゆっくりしたかったのだが、なんせバスの便が悪い。確か1日に2・3本、最終バスが14時とか15時台という、観光客への忖度など一切ナシの運行状況。もし我々が最終を逃せば、また日陰のない炎天下を今度は更に延々と歩き続けなくてはならなくなる。しかも、途中ひまわりやらさくらんぼやらで寄り道してしまったため、バス停まで引き返さなくてはならない時間が既に迫っていた。お互いに何も言わなかったが、二人して先ほどの淡黄蘗色の大地をジョギングよりやや速いペースで走る。往路とは反対に、今度は緩く長く続く下り道になるわけなのだが、勢いがつくほどの勾配ではないため、平坦な道を走っているのとあまり変わらない。気の焦りもあるし、疲れも出てきていたのだろう。私たちは一瞬お互いの方向にふらついてぶつかった。バチン、という大きな音とともに、私は左足に妙な解放感を覚えた。足元を見てみると、サンダルの甲にあったベルトがちぎれていた。どうやら、私の足がユキさんの足の下に入り、踏まれた瞬間にベルトが切れてしまったようだ。その日私はトングを履いていたので、甲ベルトがなくても親指のベルトだけで歩こうと思えば歩ける。だが、歩いていてはバスに間に合わない。どちらが悪いわけでもないのに責任を感じてしまっている様子のユキさんが、「これでいけますかね?」とハンカチで私の足とサンダルを縛ってくれたのだが、走れる状態にはならなかった。
(まずい……。本気で間に合わないかも!)
暑かったので履くのをやめたのだが、今日の今このとき、私はスニーカーで来なかったことを後悔した。一人旅ならともかく、ユキさんと一緒のときに足手まといになってしまうとは!
「ヒッチハイクしましょう!」
後ろ向きな私とは対照的に、ユキさんが前向きかつチャレンジャーな発言で私を元気づけてくれる。
「前にも海外でヒッチハイクに成功したことがあるから、きっと大丈夫です!」
(まじっすか?!)
私、海外で成功どころか、ヒッチハイク自体したことないんですけど?
見知らぬ人の車に乗せてもらうのはちょっと怖い。何かあったらと思うと、私にはとてもできない芸当だった。だが、今回はお日様カンカン照りの真昼間、しかもユキさんと2人。バスに間に合わなかった場合の成り行きを考えたらすこぶる不安だ。私たちは小走りしつつ、世界共通の親指立てポーズで車の往来を待った。だが、なかなかやって来ない。村へ来たとき、車だけでなく人ともほとんどすれ違わなかった。このままずっと誰も何も通らなかったら?気温や小走りのせいだけでなく、焦燥感で段々息苦しくなってくる。
「あっ、来ましたよ!」
ユキさんの声で、私たちは道のやや中央に歩み寄り、親指をぶんぶんと上下に振る。1台目は自家用車の男性。こちらに見向きもせずスルー。何だよ、ケチ。数分後、2台目が通る。自家用車の若いカップル。同じくスルー。まあ、カップルじゃ仕方なかろう。そして更に数分後の3台目。小型トラックに乗った男性が通過してしまったので、こりゃまたスルーか……と思っていたら、私たちのちょっと先で止まってくれた。
「わ~い、止まってくれた!」
ユキさんが小躍りしてトラックに駆け寄る。私はアヤシイ人じゃないよね?!と恐る恐る近づく。トラックのドアを開けてくれた男性は私たちより若そうだったが、素朴で落ち着きがあり、悪いことなど考えていなさそうな風貌をしていた。
「どこまで行くの?」
バスで次の目的地まで行こうと思っているのでバス停まで、と言ったところ、自分はその先に行くので目的地まで連れて行ってあげる、とありがたい提案をしてくれた。助手席に2人座れるようだったので、私とユキさんはお礼を伝え、揃って助手席に。サンダルが壊れてしまったので助かりました、と事情を話すと、その状態じゃ今日1日歩いても目的地には辿り着けないよ、と男性は笑った。
ユキさんの判断、さすがだわ。ヒッチハイクしてなかったら、私たちがミミズや蛙のようになってたかも……。
男性は出稼ぎに来ているモロッコ人で、家族への仕送りのため、フランスで働いていると話してくれた。
「日本は住みやすい国なんだろ?行けるなら行ってみたいよ」
私もユキさんもモロッコに行ってみたいと思っていたので、モロッコの様子などを聞いてみたと思うのだが、口数が多い人ではなかったため、到着までの間、私たちは車内で流れるラジオに耳を傾けていた。
無事、目的地に送り届けてもらい、私たちは改めてお礼を伝え、男性と別れた。いい人で良かった。自分からヒッチハイクしたくせに、アヤシくないか疑ってごめんね。
このあとは目的地でお目当てのお菓子を購入したり食材を見たりすることができ、滞りなく過ごせたことをモロッコ男性に感謝しながら1日を終えた。それなのに私ときたら、また別の日に非常識極まりないことをやらかしてしまったのである。
ヒッチハイクからその日までの間は特に大きな問題もなく、楽しい時間が過ぎていった。ユキさんは滞在中、果物の砂糖漬け(フリュイ・コンフィ)やベルランゴ飴、カリソンといった郷土菓子を「同僚へのお土産と、勉強のため」と買い込んだり、特産のメロンを品定めしたりと、パティシエとしての情熱や真剣さが窺えた。またあるときは、アルルの衣装祭りで女王になった人に物怖じせず声を掛け、一緒に写真を撮ったりしたのち、「みんなから声を掛けられていたから、疲れさせちゃったかな」と気遣うなど、ユキさんの素直で優しい性格が付き合いの短い私にも伝わってきた。この休暇を、彼女が思い残すことなく過ごせていたらいい。そんなことを考えながら、とある街中をブラブラと歩いていたときだ。私たちは柵で囲まれた敷地内に鉄道の線路を見つけた。暫く柵に沿って歩いてみると、SLのような列車のポスターが貼ってあり、列車の写真の下に時刻表が書かれていた。
「これが走るんですかね?」
ユキさんは興味津々だ。私も乗れるものなら乗車してみたいと思ったので、更に柵に沿って列車や駅の所在を探してみることにした。線路はずっと続いているが、列車も駅も見当たらないし、走行音などもしない。ここは何なんだろう?と思い始めたころ、鉄の門扉があるところに出た。手で門をガタガタと動かしてみるが、開く気配はない。
「ここから入れないのかなぁ」
「入ってみましょうか」
なぜ、私はそう思っちゃったの??柵のない畑へ足を踏み入れることには慎重だったくせに、ヒッチハイクを経て、閉ざされている公共施設への侵入を試みるとは!
私は門扉を乗り越え、敷地内へ入った。警告音が鳴ったりするような気配はなかったため、「大丈夫そう」とユキさんに頷いてみせた。二人して線路のすぐ横を歩いていく。駅は見当たらなかったが、敷地内の左前方に建物が見えてきたので、私はそこに人がいたら聞いてみようと思っていた。
突然、犬の吠える声が聞こえたかと思うと、前方から黒い犬が一匹、猛ダッシュで走り寄ってきた。
(こ、このパターンは!)
映画とかで、悪ガキ君たちが入っちゃいけない土地に踏み込んだ際、凶暴な番犬に追われるっていう、アレなのでは?!
(逃げた方がいいのかしら?)
いや、犬は逃げる人を追うはずだ。そういう習性だって聞いた。かつて飼っていた子は確かにそうだったし。
とはいえ、立ち尽くしていたら噛まれちゃったりするのでは?
……万事休す。
犬が15mくらいのところまで近づいたとき、ピュイッと指笛が聞こえ、犬は首をかしげながらピタッとその場に停止した。
「おい、誰だ、そこにいるのは?」
身体を鍛えていると思われるがっちりとした体格の男性が、犬の後ろから現れ、私たちの方へ歩み寄ってきた。
「何だ君たち、どうしてここにいる?」
「あの、えっと、列車のポスターを見まして……。列車が走っているのかどうか確かめようと……」
「列車?ああ、今は時期じゃないから走っていないよ」
どうやら、ポスターの列車はシーズントレインだったらしく、私たちが訪れたときは運行していないとのことだった。
「それにしても、どこから入ったの?」
「あっちの方にあった門からです」
「門?おかしいな、閉まっているはずなのに。開いていた?」
「……乗り越えました」
男性は呆れ顔をしている。そりゃそうだよね。小中学生の男の子だったら、この悪ガキ!で済むかも知れないけど、外国人とはいえ、いい年の大人女性がやることじゃないよね……。
今なら、なんで侵入しちゃったのよ?!と良心の呵責を覚えるが、そのときの私は、ここは何なのか確認してみよう、という気持ちだったと思う。改めて、相当問題のある行為だったと自分の非常識な行動や無責任さを反省している。不法侵入で拘束されたり撃たれたりしたケースもあることを考えると、今更ながら背筋が凍る思いだ。男性は「列車には乗れないから、また時期になったらおいで」と怒りもせず寛大な処置をしてくれたが、犬に嚙まれたり警察に突き出されたとしても何も言えない状況だった。
ユキさんは「いや~、いろいろありましたね!」と笑って自分の街へ帰って行ったが、彼女が私と出掛けるのはもうコリゴリだ、と思っていないことを願う。その後、私が帰国したのち、彼女とは連絡が取れなくなってしまったのでなおさらだ。フランスに来る前の彼女は、神奈川や福岡の有名パティスリーで働いていて、私も偶然それらのお店で購入したり取り寄せたりしたことがあった。美味しいことはもちろん、丁寧でこだわりのあるお菓子を作る名店で働いていた彼女のことだから、日本(ひょっとしたらフランス)で自分のお店を開いているかも知れない。きっと、人を喜ばせたり楽しませたりするお菓子を作って、みんなを笑顔にするパティシエさんになっていると思う。
ヒッチハイクも、トップレスも、ユキさんの行動には驚かされるばかりだが、自分の道を自分で切り開く力が彼女にはある。そうやって、パティシエとしても成功しているのではないかと思うのだ。
一方の私は、向こう見ずで学習してないなぁと思うことが多かった。あれから私は成長してきただろうか?ユキさんのように、自分の道を切り開いていきたいものである。